ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第五章 滄海の過去

2 湯浴み

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「お待ちあれ、ユーリ殿」

 玻璃はとうとう、ユーリの言葉に割ってはいった。
 耳を疑った。今の玻璃は、腕輪の音量を最大にあげ、ほとんど耳にくっつけるようにして聞いている。ユーリがあまり小さな声で話すからだ。

「しばしお待ちを。いま、なんとおっしゃった。あなた様を、俺の何番目かの愛妾に……?」
《はい……?》

 ユーリの声が、きょとんと不思議そうなものになった。
 玻璃の腹の底で、なにかが熱を持ちはじめる。
「いったい誰が、そんな不埒ふらちな話をお耳に入れた」
《え? えっと……》
 今度はユーリがしばし黙った。かなり戸惑っているようだ。

《いや、あのう。誰に言われたということでもありませぬが。でも、そうなのでしょう? 玻璃殿は、一応『正妃として』とはおっしゃいましたけれど》

 とは言え、それは完全に立場だけのこと。相手がアルネリオの王子だから、わざわざ用意した肩書きにすぎないだろう。どうやらこの王子は、そのように考えているらしかった。
 そして玻璃のまわりには、あの帝国アルネリオの王族同様、側室やら愛妾やらといった女たちが、すでにわらわらと侍っているのに違いない、と。

(バカな……!)

 思わず玻璃は立ち上がった。長い銀の髪がぶわっと広がる。
 なんと、異なことを。
 この方は、そんな誤解をなさっていたか……!

(いや。落ち着け)

 ここでユーリを怯えさせ、萎縮させるのは本意ではない。怖がらせてしまっては、余計に本心を聞き出すことが難しくなるだけだ。
 ぐりぐりと眉間を指先でもみ込み、一度深く息を吸ってから、玻璃は言った。

「すまぬが、ユーリ殿。そちらへ伺っても構わぬだろうか」
《えっ……?》
 ユーリの声が仰天する。
「どうやらお互いの認識の間に、非常に大きな齟齬そごが生じているようだ。これは看過できませぬ。早急さっきゅうに確認し、納得していただかねば」
《え、あ、あの》
「だが、こんな腕輪での話では心もとない。できればそなたと、目と目を合わせて話がしたい。できますれば、今、すぐに」
《でっ、でも──》
「心配ご無用。黒鳶に申し付けて、俺の訪問は人目に触れぬようにさせる。それであれば構わないか」
《いや、ちょっと待ってください、玻璃どのっ……》

 ユーリは完全にまごまごしている。
 玻璃は声を落とし、慎重にもう一度訊いた。

「ユーリ殿。まことにお嫌ならばそうおっしゃって頂きたい。俺は、決してそなたの意思を無碍むげにはしない。だが、なんとかお願い申し上げる。そなたに会いたい。きちんと会ってお話しがしたい。……いかがだろうか」

 腕輪の向こうでは絶句して、呆然としたような王子の気が流れているようだった。
 が、やがて玻璃は確かに聞いた。
 あの可愛らしい王子が小さな声で「結構です。いらしてください」と答える声を。
 しかしすぐ、「たっ、ただし。少々お時間をくださいませ」と、恥ずかしそうな声で付け足してくる。
 きっと真っ赤な顔をしていることだろう。
 玻璃は悠然と微笑むと、姿勢を正してひとこと言った。

「無論です。ご準備ができ次第、どうかこちらへご連絡を」と。
 




 玻璃に「お待ちください」と懇願してから、ユーリは慌ててロマンを呼んだ。最低限の身支度をしなくてはならないからだ。いくらなんでも、この格好であの皇子に会うのは恥ずかしすぎる。

 ロマンは驚きつつも、大喜びですっ飛んできた。そしてユーリに「ひと口だけでも召し上がってくださいませ」と、麦粥のようなものを必死で勧めた。
 ちなみにこちらのお国では、米が主食であるらしい。が、それ以外にも小麦や大麦の栽培もおこなわれているという。アルネリオでは小麦食が中心で、それで作ったパンを食べるのが普通だが、こちらでは米をそのまま炊いたり、こうした粥にして食べるのが一般的なのだそうだ。

 ロマンはなぜか大いにはりきっていた。
 何か話したいこともある様子ではあったが、「まずは玻璃殿下とお話しになってからで結構です」と言い、それ以上は何も言わなかった。
 ほんの少しの時間だけお待たせすればよいと思っていたのに、ロマンときたらとんでもなかった。
 丸々一刻ほども使ってユーリに湯浴みをさせ、身体の手入れをし、着替えさせて髪を整え、乳香のような爽やかな香水を振るところまで、完璧にこなしたのである。
 凄まじい気合い。いや、もはや気迫だった。鬼気迫るものがあった。

「ちょ、ちょっと待ってくれ、ロマン。なにも、そこまでしなくとも。別にその、今から何かの式典に出ようというのではないのだから……」
 ユーリがどんなにそう言っても無駄だった。
「とにかくっ。ちゃんと玻璃殿下とお話しをしてくださいませ。いいですか? いいですね? 遠慮なんてしてはなりませんよ? ちゃあんと、言いたいことはぜんぶ、ぜーんぶ、玻璃殿下に申し上げてしまってくださいませねっ!」

 ほとんど脅迫するような勢いで、怒涛のようにそんなことを言うばかりである。
 もはや小姑か何かのようだ。ユーリもしまいには根負けして、文句を言うのをあきらめた。

「それにしても、ロマン。こんな湯殿、私は初めて見たけれど。よくも使い方がわかるものだね」
「いえ。実は殿下がお部屋にいらした間に、波茜なみあかねさまに使い方を教わっておいたのです。殿下がお出ましになられたら、いつでもお使いになれるようにと。波茜さまの方でも、いつでも使えるように常にご準備くださっていましたし」
 ユーリは驚いて少年を見た。
「そうだったのか。さすがは波茜どのだな……」

 連れてこられたワダツミ式の湯殿は、それはそれは快適だった。
 ほかの部屋とも調和するような、銀色で金属製のつくりなのかと思ったら、なんと木材をふんだんに使った木のただよう品の良い浴室である。
 壁や湯舟の縁に例のプレートのようなものがいくつかはめこまれていて、そこに触れることで石鹸の泡がでてきたり、天井からシャワーが降ってきたりする。
 ひととおりロマンに髪や体を流してもらって湯舟に浸かると、こわばっていた筋肉がほぐれ、心からゆったりできた。そんなユーリの様子を見て、やっとロマンはほっとしたような顔になった。
 申し訳なさが胸から溢れて、ユーリは湯舟脇に控えている少年をじっと見つめた。

「すまなかった、ロマン……。随分と心配をかけてしまったな」
「いいえ! 滅相もないことです」
 少年は心底嬉しそうに、にこにこ笑った。いつもはしかつめらしい顔をしていることの多い少年だが、こうしていると若い頬がはじけるように赤く染まって可愛らしい。
「どうか、玻璃殿下とよいお話しがなされますように。それさえ叶えば、こんなものは苦労のうちに入りませぬ」
「ありがとう、ロマン……」

 ようやく支度が整って、あらためてユーリは例の腕輪で玻璃を自室に呼んだ。
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