ルサルカ・プリンツ~人魚皇子は陸(おか)の王子に恋をする~

るなかふぇ

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第七章 変わりゆく帝国

4 ベンキョウ

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 そこからは、少年にとってびっくりすることの連続になった。
 まず青年──ユーリ王子というらしい──は、黒ずくめの男に命じて自分たちが乗って来たものを出現させた。
 出現?
 いや、本当にそうなのだ。
 なにやら真っ黒くて大きな影が、いきなり空気の中からぬうっと姿を現したのである。

「ひぎゃああっ!?」
「ん? にいた、どうしたの」

 少年だけが腰を抜かして、必死で尻でいざっている横で、目の見えない妹がきょとんとこちらを向いて言った。
 それは、ちょっと見るとなんだか大きな鳥みたいなものだった。全体が平たくて、先のほうが尖っている。これが王子の乗り物であるらしい。
 妹に袖をひっぱられても、少年はその大きな何かから目が離せなかった。鳥の翼にあたる部分が、東から頭を出した月に照らされて銀色に輝いている。
 ユーリ王子は困ったように微笑んで、「驚かせてしまってすまない」と謝ってくれた。

「別に心配は要らないよ。これに乗って、一度、一緒に村に戻ろうか」
「え、でも……」

 ついさっき「無理にどこかにつきだしたりしない」と言ったのに。この王子は口ではそう言いながら、自分たちみたいな子供を平気で裏切る奴なのかもしれない。こうやってパンなんか食べさせて安心させておいて、あっさりと自分たちをあの親の所へ戻して、謝礼でも受け取ろうというのかもしれない。
 少年の目が急に疑り深いものになったのを察したのか、王子は笑って頭を掻いた。

「あ、ええっと……。安心してほしいのだけど」
 少年は、ちょっと体の力を抜いた。なんとなくだが、この人はどうも「王子っぽく」ない。どこか庶民的で、親しみやすい雰囲気があるのだ。
「君たちの意思を無にするようなことは、決してしない。これは約束するよ。きちんとご両親とお話をして、その上でこの冬だけでも身柄を引き取れないかと思っているだけなんだ。どうだろうか」
「え……」
「君たちの村では……というか、この地域ではどこもそうみたいだけど、この冬を乗り切るだけの食料が少なくなっているはずだ。冬の間、幼い子供を預かるというだけなら、ご両親も否やはおっしゃらないかと思って」

 少年はちょっと考え込んだ。
 それなら、確かに父さんや母さんも「ダメ」とは言わないかも知れない。冬の間はどうせ、農作業もそんなにあるわけではない。父さんはもっと暖かい地方に出稼ぎにいってしまい、残った家族は家の中で藁を編んで売り物のかごを作ったり、干し肉を作ったりするぐらいのものだ。

「その間に、君の妹の目のことも調べることができると思う。実は遠くの『滄海わだつみ』という国におられる玻璃皇子という方が、わが国にいる難しい病気や体の不具合をもつ人を治してくださるとおっしゃっている」
「ええっ? ほんとうですか」

 思わず大声を出し、今にも王子に掴みかかりそうになってしまって、少年はロマンにぎろりと睨まれた。首を縮こまらせて黙り込む。
 ユーリ王子がにこにこ笑った。

「うん、本当だよ。玻璃殿下は本当に誠実な皇子様なんだ。あちらのお国はこちらよりもずっと医療体制が整っていてね。技術もずっとずっと進んでいる。それでも全部の病気を治せるわけではないそうだけれど、可能なものならぜひ、治してやりたいとおっしゃってくださっているんだ」
「アーニャの目がなおるんですか? ほんとうに!?」
「もちろん『絶対に保証』なんていうことはできないんだ。あちらのお国でも、まだ治せない病気はあるそうだから。だけど、可能性はあると思うよ。向こうにいる間の君たちの食べ物や住む場所は、ちゃんと準備してくださるそうだし。もちろん、お父さんやお母さんにもこのことはお話しする。……どうかな。考えてみてくれないかな?」

 少年は胸がどきどきしてきた。
 それはもう、願ってもないことではないか。
 アーニャの目が治るかもしれない。こんな夢みたいなことがあるだろうか。
 冬の間だけ、向こうの国で目の治療を受ける。そのあと、すぐにこちらに帰ってくればいいだけなら。

「……あ。でも、実はそこでお願いもあってね」

(──そら来た)

 少年は、途端に表情を硬くして王子を見つめた。
 きっとこの後、とんでもない「条件」が飛び出る違いない。
 ものすごい大金が掛かるんだとか、姉さんみたいにどこか遠くで変な仕事をさせられるとか。きっとそうだ。そんなうまい話、あるはずがないのだから。
 しかし王子の口から出たのは、それとは全然方向の違う話だった。

「妹さん……アーニャちゃんだったっけ。彼女はまだ小さいから無理かもしれないけれど、君には勉強をして欲しいんだ」
「べ……ベンキョウ?」
 なにそれ、と思う間もなく、王子は滔々とうとうと話を進めた。
「まずは、こちらの国の言葉の読み書き。それから、簡単な計算ができるようになること。特に税とか借金に関する文書が正しく読めるようになって欲しいかな。他にも色々、勉強しておいたほうがいいことがたくさんあるけど」
「な、なんで……? それに、なんでオレ?」
 思わずそう言ったら、王子は目をぱちくりさせて少年を見た。
「いや。だって、君が来ないとアーニャちゃんが不安で泣いてしまうだろうし。一緒に来てくれるんでしょう? 君が来ないと、むしろ私たちは困っちゃうなあ」
「そ……それは、そうだけど」
「でしょう?」

 確かにそうだ。アーニャを一人なんかで行かせたら、すぐに寂しくなって「かあた、かあた」と大泣きしてしまうだろう。せめて自分がそばにいて、なだめてやる必要は絶対にある。

「どうせ来るなら、時間はムダにしないほうがいいと思うよ。読み書きや計算が少しできるようになるだけで、お父さんやお母さんの役に立てることがぐっと増えてくるはずだし」
「そ、そうなの?」

 よく考えてみたら、自分の家族できちんと読み書きができる者はいない。地主からの使いが持ってくる「ゼイ」に関する書きつけも、使いの者が読み上げてくれなければ父にも母にも内容がわからないのだ。
 少年がぽつぽつとそう言ったら、王子は表情を曇らせて、顎のあたりに手をやった。

「それだと、色々とまずいことが起こりやすいんだ。とても悲しいことだけれどね。実際、ここにいるロマンや黒鳶にも、事前に色々と調べてもらっていたんだけど……」
 王子は背後に控えている二人をちらりと見やった。ロマンは表情も変えないまま、こちらに頷いて見せている。対する「クロトビ」と呼ばれた男は微動だにしなかった。
「こちらの地方は、どうやら税務上、様々な問題を抱えているらしい。私はこれから、人事も含めてそういうことも少しずつ改善できないかと思っていてね」
「…………」

 少年はもう、ただぽかんとして王子の顔を見上げるばかりだ。
 王子は今度は清々しいような笑みを浮かべて、まっすぐに少年を見た。

「君にはぜひ、その先鞭せんべんになってもらいたい。もちろん、似たような境遇にいるほかの子たちにも声を掛けていくつもりだけどね」
「そうなの?」
「ああ。なにしろ、困っている子が多すぎるものだから。実は私たちだけじゃなく、ほかにもこうして子供たちや病人たちに声を掛けている者がいるんだよ」
「へええ……」
「だから、そういうみんなでこれから賢くなって欲しい。それで、きちんと読み書きを学んで、地主の言うままに黙って税を支払うような形からは抜け出して欲しいんだよ。みんなの力でね」

(うわ……)

 正直なことを言えば、その時の少年には、王子の言っていることの半分も理解できていなかった。
 でも、このことだけはわかっていた。

 この人は、信用できる。
 この人の言う通りに「ベンキョウ」したら、きっと自分たちの未来はもっと、ずっと明るくて優しいものになるはずだ、ということが。

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