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第一章 彼方より来たりし者
4 失踪
しおりを挟むがちゃんと、持っていた紅茶のカップが音をたてた。
「なんだって? それは一体、どういうことだ……!?」
《文部科学局》の建物の一角で、ユーリは初めてその報告を受けた。貴賓の学習者のために設えられた、広々とした休憩室である。
言われたことがすぐには脳内で処理できず、ソファから腰を浮かしかけ、口をぱくぱくするばかり。
「お、……落ち着かれませ、配殿下」
そう言うロマンだって、顔はすっかり蒼白だ。
鰓手術と尾鰭の装着を終えた翌日から、ユーリたちはここを訪問し、遂にあの《すぴーど・らーにんぐ》とやらのお世話になる運びとなった。
玻璃が以前に教えてくれていた通り、それはなかなか手軽な勉強方法だった。映像と音声による魅力的なプログラムが組まれており、睡眠時に記憶を定着させるシステムも並行して使っていく。様々な工夫により、あの小さな兄妹たちですら楽に言語の習得ができるようになっているものだった。
ただし、玻璃は数日ですべてをこなし記憶したという話だったが、ユーリとロマンがこちら滄海の言葉をおおむね覚え込むまでには、十日ほどを要してしまった。
なんというか、そもそも言語のなりたちが基本からまるで違っている。
アルネリオなら大文字と小文字と多少の記述記号を覚えるだけで済むはずのところ、こちらの言語は同じ音をあらわす基本文字だけでも二種類ある(『カタカナ』と『ヒラガナ』という)うえ、数が倍ほどもある。都合、四倍の文字を覚えることになるのだ。
覚える文字はそればかりではない。それぞれに意味を持つ別の種類の文字(こちらは『カンジ』と呼称される)が、ほかに数千と存在するというのだから、気が遠くなる。
ともあれ、滄海の人々だってすべてを覚えているわけではないそうだ。
ということで、基本文字は必須として、ユーリたちは「カンジ」についてはひとまず一千字を目標に覚えていくことにした。随分あるように思うけれど、ここまでなら十やそこらの子供でもそこまでは普通に覚えている範囲だというのだから、まことに目が回りそうになる。相当がんばらなくてはならなかった。
しかし、逃げ出すわけには行かない。
自分はすでに、この国の皇太子の配偶者だ。こちらの国の言葉のひとつも話せない、公式文書を読み解くこともできないのでは、先々差し障りがありすぎるというものだ。
それに、なによりユーリはこちらの言語を話したかった。
玻璃の口から流れ出るとき、滄海のことばは流れるように雅やかで、まことに美しかったから。
できれば彼とこちらの言葉で、さまざまなことを話し、意思の疎通をはかってみたかったのだ。
まあそうは言っても、現実の勉強は大変だった。
ユーリはロマンにもめちゃくちゃに励まされながら、東宮とこことを毎日行き来して学習を続け、どうにかこうにかここ数日でそれなりの成果をあげられるようになってきたのだ。
その恐ろしい知らせが届いたのは、そんな感じでようやく学習の目処がついてきた頃のことだった。
「嘘でしょう? うそだと言ってくださいっ、波茜どの……!」
すらりとした細身の美しい女性官僚を前に、ユーリは身内がかたかたと震えてくるのを抑えられない。
隣に立つロマンも、ちょうど準備していた紅茶のポットを取り落とさないようにテーブルに置くだけで精一杯の様子だった。
「玻璃どのが……玻璃どのが、行方不明だなんて! こ、この滄海から、どうしてあの方が消えてしまうなんて、ことがっ……!」
「ユーリ様!」
ユーリはほとんど呼吸困難をおこし、吐き気をもよおして頭を抱えてしまう。ロマンが必死で支えてくれた。反対側から黒鳶のたくましい腕が同じように支えてくれなかったら、そのままソファから崩れ落ちていただろう。
報告にきた波茜自身ですら、背筋をのばし表情を変えまいと努力しながらもその顔は真っ青だった。いつもなら薔薇色の唇にも頬にも、まるで血の気らしいものがない。
「奇妙なこと続きだったのです。先日から木星近辺に出現していた巨大な船影。皇太子殿下の御命令で出撃した艦隊が、原因不明の事故に見舞われてしばし行動不能になり──」
「それ以前に、不具合を生じて滄海へ帰還していた重巡洋艦『あきかぜ』でも、不穏な事態があったとか」
「玻璃殿下がご失踪されたのは、そこからまもなくのことでした」
「その後、総点検に回されていた『あきかぜ』が何故か勝手に出航し、艦隊を大回りする形で航行して消息を絶ちました」
ユーリは指の間から波茜を見やった。
「そ、それに……玻璃どのが?」
その宇宙船に、玻璃が乗っていたというのだろうか。
「……恐らくは」
「いったい、それは──」
波茜は少し言葉を切った。が、やがて低く続けた。
「これは、海底皇国に対する明らかな攻撃です。かの者は迎撃にむかった宇宙艦隊を嬲るようにしておいて、実は事前にひそかに『あきかぜ』に侵入していたものでしょう。……ちょうど、そこの黒鳶のように姿を潜めて」
「…………」
ユーリとロマンが思わず黒鳶を見やってしまったものだから、彼はわずかに居心地の悪そうな顔になった。
「そうして皇太子殿下を狙い、攫い奉った……と、そのように考えます」
「そ、そんなっ……」
どうして。
一体どうして、玻璃どのが。
大体、何をしようと言うんだ。
玻璃どのを攫って、そいつに何の得がある……?
ぐらぐらと頭の芯が回る。
視界が暗く翳っていくのを覚えながら、ユーリはからからに乾いた舌を凍り付かせ、頭を抱えてうずくまった。
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