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第三章 宇宙の涯(はて)で
6 赤子
しおりを挟む「第一世代」とやらの意味はよく分からなかったが、その子が普通でないことはすぐに分かった。
赤ん坊は、男が浴室からお包み替わりの衣服を取ってくる間に首が据わり、その後数日で四つ這いをするようになったのだ。人間の子供であったら、到底考えられない速さだった。
赤ん坊は男の子で、目は綺麗な若葉色だった。
(わあ……可愛い)
そうだ。その子は普通に可愛かった。
いや、ちょっと普通でないほど可愛かった。
邪気のない瞳はどこまでも澄んでいて透明だ。普通の人間の赤ん坊がそうであるように、誰のことも疑っていない。つやつやと瑞々しい頬は本当にきれいな薔薇色で、小さな手をぱたぱたさせて赤ん坊特有の高い声で笑ったり、泣いたりする。安心しきった顔をしてくうくう眠る。
そう。その子は堪らなくかわいい子だったのだ。男もそれには賛成なのか、この赤子に対してだけは冷たく厳しい態度をとる様子がなかった。まあ、わざわざ笑いかけてみたり、変な顔を作って笑わせたりこそしなかったけれども。
男はかなり甲斐がいしくこの子の世話を焼いているらしい。ちょっと意外な感じはしたが、「さもありなん」とユーリも思った。赤子の容姿が次第にはっきりしてくるに従って、ユーリ自身も胸がどきどきするような高揚感を抑えられくなっていったからだ。
(似てる……よね? あの子に)
そうだ。似ているのだ。あの映像で男から「双子の弟だ」と教えられた、あの小さな金髪の少年に。
金色の髪は少しずつ色を濃くして蜂蜜色に近づいてきているし、育つにつれて顔立ちそのものもあの少年にかなり似てきているようだった。
男は赤子を「フラン」と呼んだ。
それは男の使っている言語では「紅」を意味する言葉なのだそうだ。ちなみに男の名である「アジュール」は「蒼」を意味する。色目として、ちょうど対になる名前なのだった。
ユーリの勝手な予想だけれども、それはきっと、あの亡くなったらしい双子の弟と同じ名前なのではないだろうか。
はたで観察する限り、その子を育てるのは至ってお手軽なものだった。ユーリが使っているのと同じ食事提供機能を使えば月齢にふさわしいミルクや粥などは出てくるし、《電子シャワー》を使えば排泄の後始末も簡単だ。赤子はしばらくおむつを穿かされていたけれど、それもほんの数日で外れてしまった。
生まれてから七日もすると、赤ん坊はゆらゆらとお尻をゆらして立ち上がり、ほんの数時間もつたい歩きをしたかと思ったら、もうよちよちと歩き始めた。
赤子が生まれてきてからこっち、男は毎日その子をつれて《水槽》の部屋にやってきた。
正直、最初のうちは薄気味悪く思わなくもなかったユーリだったが、赤ん坊のあまりに可愛らしい仕草や表情を見ているうちに、すぐに我慢ができなくなった。
男からはじめて「抱いてみるか?」と訊かれたときは、間違いなく目を輝かせていたに違いない。
「いいんですか? はい! はい!」
すぐにぶんぶん首を縦に振り、気が付いたら両手をそちらに差し出してにじり寄っていた。
男は軽く苦笑して、案外あっさりとユーリの手に赤ん坊を抱かせてくれた。
赤ん坊は優しくて乳くさく、いかにも「赤ん坊」という匂いがしていた。ふくふくと柔らかい肌。幸せそうな表情。
「うわ、軽いなあ。小さい……可愛い!」
思わず抱きしめて、頬ずりをしてしまう。
どうして赤ん坊には、いっぱいの「未来」や「希望」がつまっているように思うのだろう。現実的に考えれば、未来にいろんな苦難や悲嘆が待ち構えていることは避けられない事実なのに。
「こんにちは、フラン。僕、ユーリだよ。ああ、元気だね。いい子だね~?」
なんだかんだ言いながら、ユーリはもう蕩けそうな顔をしていたに違いない。《水槽》の中の玻璃も、表情をゆるめてそんなユーリと赤子を見つめていた。
よく乳母などがするように、目をぎゅっとつぶって「ばあ!」なんてやって見せると、赤子は素直にきゃっきゃと笑ってくれた。笑ってくれると、本当にその場に太陽でも生まれたのかと思うぐらいにぱっと周囲が明るくなる。
それにしても、なんだか随分不思議な感じだった。この子を人質にしてユーリが何かする可能性もないわけではないのに、男は妙にあっさりとその子をユーリの腕に預けたからだ。
だが、その理由はすぐにわかった。
衝撃的なその言葉が、ユーリを打ちのめしたからである。
「注意しろよ。お前の子でもあるんだからな」
「え──」
ユーリは凍り付き、《水槽》の玻璃も目を剥いた。
何を言われたのかわからなかった。
長い長い沈黙がつづく間、赤子の楽しそうな声だけがきゃいきゃいと部屋に響いた。ユーリは何度か口をぱくぱくさせた挙げ句、やっとのことで声を絞り出した。
「あ……あの。ぼ、僕の、子供って……?」
男はしれっとした目で応じ、至極さらっと言い放った。
「そのままの意味だが。この間、お前から採取した精液。あれを使った子供だからな」
「…………」
あまりの驚愕で危うく赤子を取り落としそうになったユーリの腕から、男はその前にするりと赤子を取り上げていた。当然、予期していたのだろう。完全に停止した二人をほっぽって、男はひょいと赤子の顔を覗き込んだ。ちょっと悪い顔でにやにやしている。
「フラン。『ユーリパパ』だぞ。ちょっと出来は悪いが、お前の親だ。覚えておけよ」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと……!」
「ついでながら、あっちの『ゴリラ』は他人だからな。別に覚えなくていいぞ」
「あ、あのねえ!」
つい、思った以上に大きな声が出てしまった。大体、玻璃の前で何を言うのか。
「なっ、なに言ってるんですか! わ、わけがわからない。わた、僕はそんな……そんなことっ!」
「『そんなこと』ってどんなことだ? 幼児の前で、あんまり不埒なことは言うなよ」
「ふっふふ、不埒って! だから──!」
「精液さえあれば、子供なんていくらでも作れるさ。どうせこの船は、そのための船なんだからな」
「え、ええ……?」
玻璃とユーリは遂に完全に沈黙した。
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