8 / 209
第二章 新たな生活
1 目覚め
しおりを挟む覚醒し、目を開く前から少年には多くのことがわかっていた。
こういう時、嗅覚や聴覚で得られる情報は視覚よりも役にたつ。
まず、とても心地いい寝具に包まれて横になっていること。貴族たちが身辺によく飾るという花の香りがすること。非常に空気が清浄であること。
無音なわけではないが、少し離れた場所を歩き回っている人々が明らかに足音をしのばせているらしいこと。だれかがそっと、温かな手で自分の片手を握っていること。
そして何より重要なのは、周囲がすべてかの青年のすてきな香りに満ちていることだった。
そこまでの情報を得てからようやく、少年は目を開く努力を始めた。
が、それはなかなかうまくいかなかった。なぜか非常に体が重い。一応目覚めたはずなのに、体はまだ「休みたい、もう一度眠りたい」と激しく訴えてきている。
だが、起きなくては。
こんなことをしていたら、またあの親方に痛い鞭をもらうことになってしまう──
「ウウッ……」
ひとつ唸って、やっとのことで両目をこじ開けた。
途端、手を握っている力がぐっと強まり、だれかが立ち上がる気配がする。
「目覚めたか! よかった……」
安堵の吐息まじりに聞こえた声は、あの青年のものだった。顔をめぐらすと、自分の右手に青年が座っている。ぎょっとなって身を竦めた。青年が慌てたように少年の手にこめた力を緩める。緩めただけで放しはしないが。
「大丈夫だ。なにもしないよ。ここにいれば安全だ。安心してくれ」
大きな窓にたれた遮光の布をすかした朝の光を受けて、青年のお日さま色の髪がきらきら輝いている。
……きれいだ。とても。この世のものでないほどに。
この人はいったいなんなのだろう?
いったいどうして、自分なんかを助けてくれたのだろう。
「ウ……ウウ?」
「どうした? 水が欲しいのか」
青年の声はひどく優しい。そのまま、まるで羽根でも扱うようにしてそっと体を起こしてくれ、水差しから水を汲んでこちらへカップを差し出してくれる。少年がまだそれをうまく持てないらしいのに気づいて、彼はみずから少年の口にカップをあてがってくれた。
「んく、んくっ……」
喉を鳴らして何度も飲んだ。あんまり慌てて、顎の下へどんどん水がこぼれてしまうのにも気づかなかった。そうやって何杯か飲み、やっと人心地がついてくる。着せられている軽くて柔らかい夜着らしいものの胸元をかなり濡らしてしまった。
(あ。しまった……!)
どきりと胸が跳ね、思わず胸元をつまんでキョロキョロしてしまう。じりじりと寝台の上をいざって、青年から逃げるように反対側へと尻を動かす。しかし青年に咎める様子はまったくなかった。むしろなんとなく悲しそうな目になっている。
「そんなにおどおどしないでくれ……。大丈夫だから」
「あう……」
相変わらずの優しそうな表情に、少しほっとして体から力を抜く。
「これほどつらい目に遭わされたのだものな。恐れるのも無理はないが」
青年はまた少し目を伏せて眉根を寄せた。不快ななにかを思い出したらしい。
「あの売春宿の元締めと仲間どものことなら、もう心配することはない。二度とそなたを惨い目に遭わせたりはできぬゆえ」
「うう……?」
聞けば少年は、あれからかなり長いこと眠りつづけていたらしい。今日で五日目なのだそうだ。
その間に、親方と仲間の男たちへの沙汰はおりたのだという。
あの夜の約束どおり、一応は少年に傷をつけた客を探させ、見つからなかった客のぶんはすべて親方がその身に引き受けることになった。
つまり耳をちぎり、尻尾を半分の長さに切り取り、爪を剥ぎ、体じゅうに鞭打ちをおこない、男どもに散々に犯させた。
とはいえ親方の尻尾は服に隠れるほどの小さく細くくるんと巻いた形のものだったので、ほとんどすべて切り取ったに近かったらしいし、鞭うちも本来なら一千発うっても足りないほどだったのを、「それでは殺してしまうから」というので数十発に留めたということだ。
その後、親方はあらためて囚人奴隷として北方の開拓地へと送られたらしい。そこは少年の耳にさえ噂が届くほど厳しい環境で知られた開拓地だった。
本来なら死刑でもよかったらしいのだが、この青年が「それでは生ぬるい」と刑の変更を求めたらしい。一見減刑にも見えるけれども、実際はそうではなかった。いっときに殺して楽にしてしまうより、何十年もかけて厳しい開拓地でひどい苦しみを与えるほうがいい。そう判断したのだ。
あまりの罪の重さゆえ、あの親方が自由の身になることは今後死ぬまでないのだそうである。
少年はそれらの話をひたすらぽかんと聞いていた。
とても現実のこととは思えなかった。
青年は柔らかな手つきで、手の甲を少年の額にあてた。
「腹は減っていないか? 熱はどうやら引いたようだが……。食事はできそうだろうか」
「ウウ……ッ」
うん、腹は減ってます。
助けてくれてありがとう。
それで、あなたはだれなんですか──
言いたいことはいっぱいあったが、歯のない自分がみっともない発音しかできないことをすぐに思い出す。少年はがっかりし、黙りこんで身を固くした。
青年の宝石みたいな紫の瞳がさらに暗くなる。
「……かわいそうに。こんなひどい目に遭わされていると知っていたら──」
青年は悔しげに唇を噛み、拳を震わせた。
1
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
全8話
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c
この世界は僕に甘すぎる 〜ちんまい僕(もふもふぬいぐるみ付き)が溺愛される物語〜
COCO
BL
「ミミルがいないの……?」
涙目でそうつぶやいた僕を見て、
騎士団も、魔法団も、王宮も──全員が本気を出した。
前世は政治家の家に生まれたけど、
愛されるどころか、身体目当ての大人ばかり。
最後はストーカーの担任に殺された。
でも今世では……
「ルカは、僕らの宝物だよ」
目を覚ました僕は、
最強の父と美しい母に全力で愛されていた。
全員190cm超えの“男しかいない世界”で、
小柄で可愛い僕(とウサギのぬいぐるみ)は、今日も溺愛されてます。
魔法全属性持ち? 知識チート? でも一番すごいのは──
「ルカ様、可愛すぎて息ができません……!!」
これは、世界一ちんまい天使が、世界一愛されるお話。
【本編完結】転生したら、チートな僕が世界の男たちに溺愛される件
表示されませんでした
BL
ごく普通のサラリーマンだった織田悠真は、不慮の事故で命を落とし、ファンタジー世界の男爵家の三男ユウマとして生まれ変わる。
病弱だった前世のユウマとは違い、転生した彼は「創造魔法」というチート能力を手にしていた。
この魔法は、ありとあらゆるものを生み出す究極の力。
しかし、その力を使うたび、ユウマの体からは、男たちを狂おしいほどに惹きつける特殊なフェロモンが放出されるようになる。
ユウマの前に現れるのは、冷酷な魔王、忠実な騎士団長、天才魔法使い、ミステリアスな獣人族の王子、そして実の兄と弟。
強大な力と魅惑のフェロモンに翻弄されるユウマは、彼らの熱い視線と独占欲に囲まれ、愛と欲望が渦巻くハーレムの中心に立つことになる。
これは、転生した少年が、最強のチート能力と最強の愛を手に入れるまでの物語。
甘く、激しく、そして少しだけ危険な、ユウマのハーレム生活が今、始まる――。
本編完結しました。
続いて閑話などを書いているので良かったら引き続きお読みください
竜の生贄になった僕だけど、甘やかされて幸せすぎっ!【完結】
ぬこまる
BL
竜の獣人はスパダリの超絶イケメン!主人公は女の子と間違うほどの美少年。この物語は勘違いから始まるBLです。2人の視点が交互に読めてハラハラドキドキ!面白いと思います。ぜひご覧くださいませ。感想お待ちしております。
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。
ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。
異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。
二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。
しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。
再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。
★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる