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第二章 新たな生活
3 インテス
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(おいしい、おいしい、おいしい……!)
どれもこれも、頬と舌がとろけてしまいそうに美味い。
こんな美味いものを食べたのは初めてだった。
そんな少年を、青年はずっと微笑ましさいっぱいの目で静かに見守っている。
「ほらほら。慌てなくても大丈夫だ。汚れてるぞ」と、時おりとても優しい手つきで汚れた口許をぬぐってくれさえした。
(う……っ)
なぜか体がぽっと熱くなった感じがする。思わず目をそらし、余計にがつがつと食事に向かってしまった。いまは食べることに集中だ。
やっと腹がくちくなって「ごちそうさまでした」という代わりに頭をさげ、人心地がついてきたところで、そろそろ少年にも青年に聞いてみたいことが湧いてきた。いや、はっきりいって聞きたいことだらけだ。
「くうん……きゅうん?」
「ん? なんだ」
一番はもちろん、相手の名前である。
身振り手振りで「あなたの名前は?」と何度も訊ねてみて、青年はやっと「ああ、私の名か?」と、こちらの意図を理解してくれたらしかった。
「私はインテグリータス・アチーピタ。長ったらしいばかりで、ムダに偉そうな名前だろう?」
少年は「わあ、やっぱりカッコいい名前だな」なんて思ったぐらいなのに、「いや本当にムダなのだがな」と自嘲するように言っている。
「面倒なので、皆には『インテス』と呼ばせている。そなたもそう呼んでくれ」
なるほど、インテス様か。
で、どこの何者なのだろう。
あのとき、屈強な警備隊の男たちを当然のように引き連れていたところからして、かなり身分の高い人ではないかと思うのだけれど。身分が高くても決してムダに偉そうにはしないところはなかなかいい。……いや、口には出せないが。
もうひとつ大きな疑問もある。あの時、この男は「この者は自分のハンシンだ」とか言っていた。その「ハンシン」とはどういう意味だ。さっぱりわからないことだらけである。
と、今度はそれを訊いてみようと口を開きかけた時だった。部屋の外から控えめな声がかかり、インテス青年が許可の声を発すると、すぐにぞろぞろと人々が入室してきた。医師や召し使いらしき人々である。寝台のそばまできて空いた食器をとり片付け、そのまま少年の診察が始まってしまう。
診察に携わる者はみな、独特な白い衣を身にまとっていた。この館の医師団なのだろうか。中でも最も中心的な立場らしい医師は、鹿の形質をもつ誠実そうな目をした中年の男だった。
目の片方にだけ、透明なまるいものをつけている。それが「片メガネ」というものだと少年が知るのは、ここから少し先の話になるけれども。
「少しじっとしていてください。どうやら熱は下がったようですね」
「舌を長く出してみて。そのまま『べー』と言ってみてください。……そうそう」
「手首に少し触りますね。脈をとります」
「胸の音を聞かせてもらってよろしいですか」
鹿医師はてきぱきと診察を終え、最後にインテスに向き直って少年の状態の説明を始めた。幸い熱も下がり、体力的にもだいぶ改善しているらしい。自分では気づいていなかったが、あの夜の段階ですでに発熱していたらしいのだ。
どうやらあのときの少年は、ある種の酩酊状態でもあったらしい。恐らくそれはインテス青年の香りにあてられてのことだったろう。
それにしても、あれは鼻のいい自分だからああなってしまっただけなのだろうか。みなはこの青年のこの素晴らしい香りに当てられて酔ってしまったりしないのだろうか? 今でさえ、目が回りそうなほどのいい匂いで部屋全体が満たされているというのに。
診察の間、インテス青年は少し下がって少年の様子を見守っていた。
「体調には問題がないようですし、耳などの治癒はすぐにでも始められそうですが。いかがなさいますか、殿下」
「うん、すぐに始めよう。キュレイトーを呼んでくれ」
「はい。少々お待ちくださいませ」
(ん? いまこの人『デンカ』って言った?)
この人は「インテス」ではなかったのか。一体どういうことなんだ。さっぱりわからない。
まあ、そもそも文字のひとつも読めなければなんの基礎的な知識も教養もない自分だから、仕方がないのかもしれないが。
と思ううちに、医師たちは来た時と同じようにしずしずと下がっていき、入れ替わるようにして草色の長衣を着た老人が入ってきた。
高貴な人々のために治癒をおこなう高位の治癒師なのだろうが、特に風体に飾りけはない。見れば腰は荒縄でしばっていて、そこにあれこれと薬草らしいものが突っ込まれている。むしろ異様な格好に見えた。
「治癒師のキュレイトーだ」
インテスがあらためて紹介してくれる。
見たところウサギの形質を持つ人のようだ。ぼさぼさの灰色の髪の中から灰色の耳がつきでていて、顔の横にしなびたように垂れている。非常な高齢らしく、顔も手も皺だらけだ。彫りが深いため皺に隠れて目がよく見えない。肌は枯れ木のように乾いて見える。
老人はやっぱり枯れ木みたいな細い足をのそのそ動かしてこちらへ近づいてきた。
どれもこれも、頬と舌がとろけてしまいそうに美味い。
こんな美味いものを食べたのは初めてだった。
そんな少年を、青年はずっと微笑ましさいっぱいの目で静かに見守っている。
「ほらほら。慌てなくても大丈夫だ。汚れてるぞ」と、時おりとても優しい手つきで汚れた口許をぬぐってくれさえした。
(う……っ)
なぜか体がぽっと熱くなった感じがする。思わず目をそらし、余計にがつがつと食事に向かってしまった。いまは食べることに集中だ。
やっと腹がくちくなって「ごちそうさまでした」という代わりに頭をさげ、人心地がついてきたところで、そろそろ少年にも青年に聞いてみたいことが湧いてきた。いや、はっきりいって聞きたいことだらけだ。
「くうん……きゅうん?」
「ん? なんだ」
一番はもちろん、相手の名前である。
身振り手振りで「あなたの名前は?」と何度も訊ねてみて、青年はやっと「ああ、私の名か?」と、こちらの意図を理解してくれたらしかった。
「私はインテグリータス・アチーピタ。長ったらしいばかりで、ムダに偉そうな名前だろう?」
少年は「わあ、やっぱりカッコいい名前だな」なんて思ったぐらいなのに、「いや本当にムダなのだがな」と自嘲するように言っている。
「面倒なので、皆には『インテス』と呼ばせている。そなたもそう呼んでくれ」
なるほど、インテス様か。
で、どこの何者なのだろう。
あのとき、屈強な警備隊の男たちを当然のように引き連れていたところからして、かなり身分の高い人ではないかと思うのだけれど。身分が高くても決してムダに偉そうにはしないところはなかなかいい。……いや、口には出せないが。
もうひとつ大きな疑問もある。あの時、この男は「この者は自分のハンシンだ」とか言っていた。その「ハンシン」とはどういう意味だ。さっぱりわからないことだらけである。
と、今度はそれを訊いてみようと口を開きかけた時だった。部屋の外から控えめな声がかかり、インテス青年が許可の声を発すると、すぐにぞろぞろと人々が入室してきた。医師や召し使いらしき人々である。寝台のそばまできて空いた食器をとり片付け、そのまま少年の診察が始まってしまう。
診察に携わる者はみな、独特な白い衣を身にまとっていた。この館の医師団なのだろうか。中でも最も中心的な立場らしい医師は、鹿の形質をもつ誠実そうな目をした中年の男だった。
目の片方にだけ、透明なまるいものをつけている。それが「片メガネ」というものだと少年が知るのは、ここから少し先の話になるけれども。
「少しじっとしていてください。どうやら熱は下がったようですね」
「舌を長く出してみて。そのまま『べー』と言ってみてください。……そうそう」
「手首に少し触りますね。脈をとります」
「胸の音を聞かせてもらってよろしいですか」
鹿医師はてきぱきと診察を終え、最後にインテスに向き直って少年の状態の説明を始めた。幸い熱も下がり、体力的にもだいぶ改善しているらしい。自分では気づいていなかったが、あの夜の段階ですでに発熱していたらしいのだ。
どうやらあのときの少年は、ある種の酩酊状態でもあったらしい。恐らくそれはインテス青年の香りにあてられてのことだったろう。
それにしても、あれは鼻のいい自分だからああなってしまっただけなのだろうか。みなはこの青年のこの素晴らしい香りに当てられて酔ってしまったりしないのだろうか? 今でさえ、目が回りそうなほどのいい匂いで部屋全体が満たされているというのに。
診察の間、インテス青年は少し下がって少年の様子を見守っていた。
「体調には問題がないようですし、耳などの治癒はすぐにでも始められそうですが。いかがなさいますか、殿下」
「うん、すぐに始めよう。キュレイトーを呼んでくれ」
「はい。少々お待ちくださいませ」
(ん? いまこの人『デンカ』って言った?)
この人は「インテス」ではなかったのか。一体どういうことなんだ。さっぱりわからない。
まあ、そもそも文字のひとつも読めなければなんの基礎的な知識も教養もない自分だから、仕方がないのかもしれないが。
と思ううちに、医師たちは来た時と同じようにしずしずと下がっていき、入れ替わるようにして草色の長衣を着た老人が入ってきた。
高貴な人々のために治癒をおこなう高位の治癒師なのだろうが、特に風体に飾りけはない。見れば腰は荒縄でしばっていて、そこにあれこれと薬草らしいものが突っ込まれている。むしろ異様な格好に見えた。
「治癒師のキュレイトーだ」
インテスがあらためて紹介してくれる。
見たところウサギの形質を持つ人のようだ。ぼさぼさの灰色の髪の中から灰色の耳がつきでていて、顔の横にしなびたように垂れている。非常な高齢らしく、顔も手も皺だらけだ。彫りが深いため皺に隠れて目がよく見えない。肌は枯れ木のように乾いて見える。
老人はやっぱり枯れ木みたいな細い足をのそのそ動かしてこちらへ近づいてきた。
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