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第九章 暗転
11 殿下の足跡
しおりを挟む翌日。シディはセネクス翁とティガリエ、ラシェルタに伴われて魔塔を出発した。
魔塔にいれば、帝国貴族のだれぞかからの攻撃は防げる。けれども、場所を特定されているのはやはり危ない。それならいっそ外へ出て、少人数で動こうということになったのだ。そのほうが敵の目を眩ますことができる。
シディの訓練は旅先で続けることになった。魔法の師匠はセネクス翁とラシェルタ。武術はティガリエの担当だ。
「最終的にはレオ千騎長らが待つ《黒い皿》へ向かうが、それまで少し寄り道をいたそうか」とセネクス翁がにこやかにおっしゃった。
「寄り道……ですか?」
首をかしげるシディに、翁はゆったりとうなずいた。
「せっかくゆえ、この際インテグリータス殿下の足跡をたどってみるのはいかがかと思うてな。まっすぐに向かうよりは、より敵への目くらましにもなろう。どうじゃ?」
「えっ。殿下のそくせき……?」
殿下の足跡。つまりたどって来た道のことだ。
それはつまり、過去に殿下が自分の《半身》を探して各地を巡っておられたときに立ち寄った場所ということらしい。
聞けば殿下はその時に、平民の傭兵団の中からあのレオ千騎長を見いだしたのだとか。同様にして、ご自分が「これは」と思う者を雇い入れ、信用に足る人々だけで周りを固めていったというのだ。
「いっ、行きます!」
それを聞いたシディの返事は当然、一も二もなかった。
「行きたいです、連れていってください、師匠……!」
「よし。ではすぐに支度に掛かろうぞ」
◆
そのようなわけで。
いまシディは辺境の島のひとつにやってきている。
比較的大きな島で、島民も二百名ほどはいる。みな衣服は素朴なもので、藁を編んだ屋根をかぶった簡素な小屋に住んでいた。
季節はすでに静かに冬へと移行しつつあるが、分厚い上着が必要なほどの寒さではない。
セネクス翁は多めの金貨を村長に渡して、小さな小屋のひとつを借りうけた。ここに住んでいる家族は、自分たちが滞在する間だけ親戚の家に世話になるらしい。
「魔力を溜める技術はずいぶん身についたようじゃな。では次は、それをより精緻に操れるようになることを目指そうぞ」
翁のそんなひと言で、日中は村はずれで修練を積むことになった。時間を決め、昼餉をはさんで魔術と武術の両方を交互に行う。
魔術の修練の間はティガリエが、そして武術のときにはラシェルタが、それぞれ警護に立ってくれた。
とはいえ、最初からうまくいくはずもない。魔術も武術も、まだ初心者に毛がはえた程度のシディにとっては難しすぎる。何度やっても思うように魔術を編み上げられないし、ティガリエの剣を受け止めるだけでも大汗をかく始末だ。
「オブシディアン様。魔力を編みあげる際にはより明瞭で具体的な形を思い描くとよろしいかと」
「は、はいっ」
「《黒き皿》を包み込むものとして、オブシディアン様なら何を思い描きまするか」
「え、ええっと……」
そう突っ込まれると、あまりうまく答えられない。が、どんな場合でもラシェルタが気分を害したり腹を立てたりすることはなかった。爬虫類の人の表情はわかりづらいけれども、この人はなかなかの人格者であるらしい。シディがどんなに飲み込みが悪くても、いつも通りのものやわらかな態度も崩さず、忍耐強く教えてくれた。
「なるべく身近なものがよろしいかと。よくご覧になるものや、実際に使ったことがあるものなど」
「えーと」
シディはちょっと考え込んだ。
魔力を溜めるものとしては《壺》を思い描いた。そこから魔力を取り出して、粘土をこねるようにして柔らかくほぐし、今度は細い細い糸にして再び編み上げる。皿を包み込んで外側からぎゅうっと強い力を加えて搾《しぼ》り上げる──
「えっと……。果物を搾る、荒布はどうでしょう?」
「よろしいかと思います」
ラシェルタがわずかに目を細めた。たぶん笑ってくれたのだ。
「では。それをなるべく明瞭に思い描いてから、もう一度」
「はいっ」
ティガリエもまた、ラシェルタに負けず劣らずの忍耐強い教え手だった。すでに毎日やっている基礎体力をつける訓練からはじまって、剣のないときとあるときに分けて様々な護身術を伝授してもらう。
「体重移動は重要ですぞ、オブシディアン様。体の中心に一本の芯がある、それを意識して動くのです」
「は、はいっ」
言われてすぐにその通りにできたら苦労はないが、とにかくできるようになるまで体を動かし続けるだけだ。
「相手の動きからは決して目を離さぬよう。特に目線です。しかし、瞬時にわざと視線をそらしてだまそうとする輩もおりますゆえ、お気をつけを」
「はいっ」
「あなた様の敏感な鼻があれば、慣れてくれば相手の《気》を読むこともたやすいはずにございます。それがあればだまされにくくなりましょう。ご心配召さるな。あなたには才がありまするぞ」
ティガリエは本当に優しい。無骨なのに、言葉にいちいち優しさが滲んでいる。彼の言葉はこの世で半身を失って打ち砕かれた心に染み入り、稽古中だというのについ涙ぐんでしまいそうになるほどだった。
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