白と黒のメフィスト

るなかふぇ

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第十二章 過去の世界

7 朽ちた林

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 《クジラ》の明かりだけでは足りず、暗くてよく見えない場所は《アクア》たちが気をきかせ、あちこちに泳ぎまわって照らしてくれる。
 目が少しずつ慣れてきたこともあって、周囲の様子がさらによく見えるようになってきた。
 が、次の瞬間。

「ひいいっ……!」

 思わず飛びすさってインテス様の衣にしがみついてしまう。とつぜん目の前に巨大な人の腕が現れたのだ。ほかの魔導士や兵らも息を飲み、シディ同様、小さな悲鳴を上げた者もいる。
 が、さすがにティガリエやラシェルタは動じる気配を見せなかった。インテス様も目を見開いてはおられるものの、シディの背中をしっかり抱いて、極力驚きを見せないようにされている。もちろん情けない声などもあげない。
 シディの胸はまだばっくんばっくんうるさかった。

「あ、あれは……なんなんでしょう?」
「……巨大な像、のようですね。くずれて今は一部だけになっているようです」

 冷静な声で答えたのはラシェルタだ。
 
「ぞ、像……? あんな大きいものが?」

 インテス様の陰から恐るおそる顔を出して観察する。
「ああ……」思わず吐息がもれた。
 たしかにそれは、やっぱり石でできた、もの言わぬ物体に過ぎないようだった。
 ただ、とにかく大きさが度外れている。巨大な手はそれぞれどこかを指さしたり何かを受け取るような形になったりしていて、てんでに何本も好きな方向を向いて突き出しているようなのだ。さらに進むと、手だけではなく足や顔の部分が欠けた状態で沈んでいるらしいのがわかってきた。
 名前も知らない白くて細いヘビみたいな魚が、空洞になった女の巨大な眼窩からゆらりゆらりと出たり入ったりしている。なんとも不気味で、どうしても背筋が冷たくなってしまう。

 遠目にはひどくなめらかに見えた像の表面は、近くに寄るにつれてあちこちがひび割れ、剥がれ落ちてぼろぼろであることがわかってきた。これはまさに、朽ちた像の林だった。
 不思議なことに、いくつもあるその像のうち獣人のものはひとつもなかった。すべて純粋な人間ピュオ・ユーマーノの、しかもほとんどが女性のものであるようだった。

「だ、だれがこんなもの……作ったんでしょう」

 シディの震える声に答えられる人はここにはだれもいない。ただ沈黙が返ってきただけだった。もちろんシディ自身、それを期待して発した質問ではなかったからいいのだけれど。
 ともかく、これらは相当古いものであるようだ。いわば「古代の遺跡」と呼んでもいい代物しろものだろう。

「あの……《アクア》様たち。これはいったいなんですか? なんでオレたちにこれを見せたんですか」
《モウチョット、イクヨ。クロイコ》
「いや、あの──」
《ワタスモノ、アル》
「渡すもの……?」

 アクア様たちはよく言えば自由気まま、悪く言えば自分の欲望に素直すぎる感じがする。今回も案の定、シディの質問にまともに答える様子はなかった。そのまますいすいと《クジラ》を奥へと案内していく。要するに、かれらが本当に見せたいものはそちらにある、ということなのだろうか。
 魔導士たちはうすら寒い気持ちを隠し切れないといった顔で、真っ暗な深海の奥からつぎつぎ現れる不気味な構築物の残骸を見つめている。兵たちも同様だった。みな一様に顔色が悪かった。

「……過去、ということなんだろうな。この世界の」
 インテス様がぽつりと言った。
「過去、ですか……?」
「ああ」
 みなの視線が、自然にインテス様に集中している。
「かつてこの世界にはもっとたくさんの陸地があった、という話はしただろう。それが何かの事件があって打ち砕かれ、今のようにほとんどが海という状態になってしまった」
「あ、はい」
 それは聞いたことがある。
「ここは恐らく、過去に陸地があった場所なのだろうと思われる。それがなにがしかのことがあって海に沈んだ。大きな陸地ごと……この都市ごと全部。そういうことだろう」
「はい……」
「だとすればここには過去の世界が沈んでいるということだ。過去のわれわれ……人間の世界が、まるごとここに眠っているんだろう」

 《クジラ》の中は再び沈黙に満たされた。

「過去……って、どのぐらい前なんでしょう」
「それはわからぬ。だが、現存する古代文書が記される前ということだから──今のわれわれの世界、現在の地形の状態になるよりはるかに昔ということじゃないかな」
「…………」

 絶句してしまう。
 周囲をきょろきょろしてみても、みんな自分と同じように不安そうな目をしてこちらを見返してくるだけだ。

「ともかく、ついてゆこう。《アクア》様たちが我らに見せたいものを見るほかはない」
「はい……」
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