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第十二章 過去の世界
6 深海にあるもの
しおりを挟む水の精霊《アクア》たちに誘導されながら《クジラ》は悠々と大洋を泳いでいった。《アクア》たちの助けで完璧になった《隠遁》魔法のおかげもあって、旅はごく平穏で心地いいものだった。
とはいえ海上では昼が夜になり、朝になり、また天候もさまざまに変化していたようだ。
「この方向だと、島々がまったくない大洋の中央部を目指しているようだな」
「そのようですね」
「中央部……ですか? そこにはなにがあるんですか」
少し難しい顔をしてインテス様とティガリエが話しているのが聞こえて、シディは少し不安になった。
《アクア》たちには悪意なんて欠片もないけれど、そうはいってもかれらはそもそも人ではない存在だ。人間が望むことと、かれらが望むことはおのずと違う。もしかしたら、自分たちにとって──特にインテス様にとって──危険なことが起こるのではないかと、少しだけ心配していたのだ。
「なにもない。いや少なくとも人間の世界では『なにもない』と思われてきた。長い間な」
インテス様が丁寧に説明してくださる。
「そうなんですか……」
「我らのような人間たちがこの世界に生まれてきた経緯については、様々な古代文書が残されているが……その記述も最初から、この世界には巨大な大洋が存在し、その中央にはなにもない、と記されている」
「その何もないはずの中央部に、《アクア》様たちは我らを招き、何かを見せたいとおっしゃっているわけですね」とラシェルタ。
「まあ、行ってみるしかあるまいよ」
そうして数日の「航海」の果て。
「そろそろ食料が尽きまする」と魔導士たちが困った顔をしはじめたころ、ついに《アクア》たちが「ここだよ」と言って進みを止めた。
みんなは緊張し、周囲を見回す様子だったが、周りの様子はこれまでと変わった風には思われなかった。
ただシディの耳にはなにか非常に深遠な、音とも言えない音が聞こえていた。
(なんだろう……耳が痛い)
ううん、という低周波の音が足もとのほうから聞こえている。だがどうやら自分だけのようで、非常に耳のいい種族であるティガリエやほかの兵士、魔導士たちにも聞こえていないようだ。
「どうしたんだ、シディ」
「え……えっと。なにか音がするんです。下のほうから……」
「下? 下だと?」
言われてみんなが足もとを見る。
と、《アクア》たちが今度は海底の方へと移動を始めた。きらきら光ってまたいつもの「おいでおいで」をしている。どうやらこのまま、さらに深い場所へと潜っていくようだ。
「……まあ、ついていくしかないな。ここまで来たのだし」
「そ、そうですね……」
そのまま《クジラ》は静かに潜航をはじめた。海面ちかくの生き物の多い層を離れると、急に周囲が暗く冷たくなりはじめた。深海には深海の生き物がいるらしいけれども、どうしても体が小さく、数も少なくなるという。水圧の関係らしい。
太陽の光がいよいよ届かなくなってきて、魔導士たちは魔力の明かりを灯した。《クジラ》の目やひれなどがぼうっと光を発し、うっすらと周囲の様子が見えるようにしてくれる。
しばらくはしんと静かだった。シディの耳に聞こえている不思議な音以外はなにも聞こえない。
みんな固唾を飲んで、周囲の少しの変化も見逃すまいと全神経を集中させている。
「……ん? あれは……なんだ」
だれかがそう言ったのが始まりだった。
その言葉を皮切りに、周囲の景色が一気に変化しはじめたのだ。
最初はなにか、海底に断崖絶壁があるのかと思った。妙につるりとした平面的な岩だなあと思ったが、次第にそうではないことに気付いてシディの背筋は冷たくなった。
(こ、これは──)
規則的に四角く開いた穴が並び、真っすぐな柱や滑らかな曲線を描く柱の数々。自然の岩が勝手にこんな形になるはずがない。では、これは──
絶句していたインテス様がぽろりと言った。
「まさか……都市なのか」
そうだった。
それは明らかに、だれか人の手によって作り上げられた巨大な都市の……なれの果てだった。
どんな巨木よりも高かったであろうと思われる石でできているらしい建物群は、ぼろぼろに割れて壊れ、斜めにかしいで積み重なっているようだった。
当たり前のことだったが、人の姿などどこにもない。深海に棲む不思議な形をした魚やエビのような生きものたちが、真っ黒く開いた四角い穴からときおりひょいひょいと出入りしているのが見えるだけだ。
「死んだ、まち……」
誰かがそう言ったのが聞こえた。
そう。
それはまさに「死んだ街」そのものだった。
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