白と黒のメフィスト

るなかふぇ

文字の大きさ
166 / 209
第十四章 審議

4 皇太子宮

しおりを挟む
「ヴルペスが煙のように消えたとでも言うのか? ふざけるなっ」

 一方の皇太子宮。宮のあるじの執務室では、今しも報告をうけた皇太子の手から茶の入った器が臣下の顔に投げつけられたところだった。

「そのとき神官のダチョウ女までが一緒に捕まったというではないか。なんという失態! なんという不手際ふてぎわ!」

 いらいらと執務机のそばを歩き回るだけで、巨体の腹肉がゆれ、床が地響きをたてる。ぶくぶく太って日焼けをしていないなまっちろい顔の上には、ぶつぶつと相変わらず吹き出物が散っている。
 アーシノスは肉厚保の手でがん、と執務机を叩いた。その拍子に書類や筆記具などがばらばらと落下した。
 もうこれ以上口を開きたくなかったであろう臣下の男は、凍ったように床にはりついたまま、ようやくのことでこう言った。

「御前会議が招集されましてございまする。そ、その……第五皇子殿下の求めにより、陛下のご容態に関する疑義あり、とのことで──ぎゃっ!」

 最後まで言い切る前に、その顔に羊皮紙の巻物が叩きつけられた。芯になっている木製の棒がしたたかに男の額を打った。

「もうよい! さがれッ」
「は、はは……」

 目の縁あたりから血を滴らせながら男が下がっていく。まわりにいた文官たちが棒立ちになってそれを見送った。
 なにかキリキリ音がすると思って文官らがそっと目をやると、それは皇太子がたてる歯ぎしりだった。

「うおのれえっ……インテグリータス! 妾腹めかけばら風情が偉そうにのさばりおって」

 実は「妾腹」というのはあたらない。一夫多妻のこの皇家にあっては、インテグリータスの母とて、れっきとした妃には違いないからだ。最初に生まれた男子が皇太子になり、その母である女が一応「正妃」のような形になるばかりのこと。あとの奥方はすべて「側妃」のような扱いにはなるが、さほど身分に差があるわけではない。ましてや「妾」つまり愛人呼ばわりなど、まったく当たらない話。
 だが、今のアーシノスにはそんなのはどうでもいいことだった。
 唯一無二の皇太子がいて、そのほかは有象無象うぞうむぞうにすぎぬこと。万が一、自分になにかあったときのための保険のようなものにすぎぬ。
 ただ惜しむらくは自分にとっての直接の弟、本当に血を分けた弟がいないのは残念だ。母はほかにも皇子を生んだは生んだのだが、かれらはすべて成人する前に病死したから。

 第一子の男子、つまり自分を生んでから後しばらくして、皇帝の母への寵愛は一気に失われたらしい。自分が皇太子に定められてからは夜のお渡りもほぼなくなり、ただ浪費と享楽があるだけの日々。子育てのほうはというと、貴族や皇族たちはふつう側近の乳母に任せるものなので忙しくはないのだ。
 皇帝の心が離れたのは、どうやら「わが息子を一日も早く皇太子に」とやや強引に水面下で動きすぎたのが原因らしい。母の強い権力欲は、皇帝の興を大いにそいだのだ。同じ男としてその気持ちはわからなくもない。

 そういう自分は、性格のみならず体質も母に似ているのだろう。少し放蕩が過ぎただけで体じゅうに純粋な人間ピュオ・ユーマーノとしてはあり得ないほどの脂肪を蓄え、むやみと激しい性欲に身をまかせてしまいがちなところが、特に。

 母はそれでも皇后ゆえ、宮に男を引き入れれば死罪は免れぬ。ゆえに意図的に男として使い物にならなくした者(つまり宦官)や女、子どもがその相手となった。
 残酷さも大したもので、少しでも反抗的な態度を見せた者には苛烈な処罰をすることで有名だった。
 そんな酸鼻をきわめる妻から皇帝は何十年も目をそむけ、無視しつづけてきた。

 母に問題がなかったとは思わない。だがそれでもあんな男、父と思ったこともない。あんな男に無駄に長い期間、皇帝の座を温めさせることはないのだ。
 どうせ醜く人望もない皇帝。死を願っている者のほうがはるかに多いはずである。

(それならさっさと、そのムダな王座を余に与えればよいものを)

 そう思った。
 あのやたらと下賤の民に人気のある見目麗しい弟皇子がこれ以上力をつける前に。
 《救国の半身》だなどと調子づいて、これ以上自分の目の前をうろうろと小バエのように飛び回るようになる前にだ。

 実際、母も同じ考えだったらしい。
 なぜならあまり身分の高くなかった第五皇子の母親は、皇子を生んで早々に死んだらしいからだ。
 背後にいたのはおそらく母だ──証拠はないが、血を分けた息子として本能的にそう感じる。恐らくそれはまちがいない。
 第五皇子の母親は非常な美貌の人であり、心映えもすぐれ、そのころ父の寵愛を一身に受けていたという。あの母がどう動くかなど自明のことだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

この世界は僕に甘すぎる 〜ちんまい僕(もふもふぬいぐるみ付き)が溺愛される物語〜

COCO
BL
「ミミルがいないの……?」 涙目でそうつぶやいた僕を見て、 騎士団も、魔法団も、王宮も──全員が本気を出した。 前世は政治家の家に生まれたけど、 愛されるどころか、身体目当ての大人ばかり。 最後はストーカーの担任に殺された。 でも今世では…… 「ルカは、僕らの宝物だよ」 目を覚ました僕は、 最強の父と美しい母に全力で愛されていた。 全員190cm超えの“男しかいない世界”で、 小柄で可愛い僕(とウサギのぬいぐるみ)は、今日も溺愛されてます。 魔法全属性持ち? 知識チート? でも一番すごいのは── 「ルカ様、可愛すぎて息ができません……!!」 これは、世界一ちんまい天使が、世界一愛されるお話。

【本編完結】転生したら、チートな僕が世界の男たちに溺愛される件

表示されませんでした
BL
ごく普通のサラリーマンだった織田悠真は、不慮の事故で命を落とし、ファンタジー世界の男爵家の三男ユウマとして生まれ変わる。 病弱だった前世のユウマとは違い、転生した彼は「創造魔法」というチート能力を手にしていた。 この魔法は、ありとあらゆるものを生み出す究極の力。 しかし、その力を使うたび、ユウマの体からは、男たちを狂おしいほどに惹きつける特殊なフェロモンが放出されるようになる。 ユウマの前に現れるのは、冷酷な魔王、忠実な騎士団長、天才魔法使い、ミステリアスな獣人族の王子、そして実の兄と弟。 強大な力と魅惑のフェロモンに翻弄されるユウマは、彼らの熱い視線と独占欲に囲まれ、愛と欲望が渦巻くハーレムの中心に立つことになる。 これは、転生した少年が、最強のチート能力と最強の愛を手に入れるまでの物語。 甘く、激しく、そして少しだけ危険な、ユウマのハーレム生活が今、始まる――。 本編完結しました。 続いて閑話などを書いているので良かったら引き続きお読みください

竜の生贄になった僕だけど、甘やかされて幸せすぎっ!【完結】

ぬこまる
BL
竜の獣人はスパダリの超絶イケメン!主人公は女の子と間違うほどの美少年。この物語は勘違いから始まるBLです。2人の視点が交互に読めてハラハラドキドキ!面白いと思います。ぜひご覧くださいませ。感想お待ちしております。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。

ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。 異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。 二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。 しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。 再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。

異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします

み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。 わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!? これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。 おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。 ※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。 ★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★ ★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★

処理中です...