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第三章 ゆれる想い
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しおりを挟む「じゃあ、どういう意味なんだっ……!」
遂にアルファが絶叫した。
それと共に、とうとう彼の目の前で、絶対に見せたくないと思っていたものが溢れだした。
「記憶がもどろうが、戻るまいが、同じだ……! いまさら、何が変わるんだ。あの男にさんざんに弄ばれ、穢された、その事実は変わらない。一生消えない。スメラギの皇族だとかなんとか言っても、たとえ記憶が戻ったとしても……もはや、受け入れてもらえるとも思えない」
そうだ。いくらあのナノマシンによって命を盾にされていたのだとは言っても。
「皇族としての誇りがあるなら、なぜ潔く死を選ばなかったのか」と詰る人間は山ほどいよう。実際にその立場になったこともない人間ほど、恐ろしいほどの正論で人を追い詰め、最後には死の淵に追いやるのだから。
「こんな体にされた皇子、だれが待っているものか……!」
間違っている。
わかっている。
この男に噛み付くなんて。
彼は自分を、あの地獄から命がけで救い出してくれた当の人だ。彼にこんな言葉をぶつけるのは、間違っている。どう考えても間違っている。
しかし。
アルファの舌は、止まらなかった。
「あなただって、嫌だと思っているくせに。本当は、触りたくもないくせに。こんな穢れた者になった私なんか。あいつの体液で、すっかり腐って……ゴミのほうがずっとマシだ。……腐ってる。くさって……るんだ──」
後はもう、何も言えずにただ泣いた。
寝転んだまま、両手で顔を覆って咽び泣く。
腐ってるんだ、汚れてるんだと、ただ言い続けて。
「アルファ! もうよせ!」
気がついたら、両腕で彼に抱きしめられていた。
アルファはめちゃくちゃにもがいて、その腕から逃げ出そうとした。が、それは無駄だった。彼の腕はさらに力を強めてきて、アルファの爪がそこに掻き傷をつくっても離してはくれなかった。
「はなして……離して! はなせ、このバカ……バカ野郎……!」
そんなふうな罵詈雑言を山ほど浴びせて、アルファはしまいにはもう、子供みたいにわあわあ泣いていた。
イヤなくせに。
キスなんかしてきて、優しく抱きしめて、頭を撫でて。
そのくせ肝心なところでは腰が引けて、さっさと逃げ出す。
どうせ、お前だってこんな体はいやだったんだ。もとは好きだったかも知れないけれど、助けてみたらこんな、もうどうにもならない状態になっていて。
お前が好きだった綺麗な皇子様なんて、もうどこにもいやしない。
(ここにいるのは……ここにいるのは)
穢れきった、汚物の器だ。
あらゆる穢れを注ぎ込まれて、すっかり腐り果てた、ただの肉塊。
それ以上のものでは、ありえない──。
「違う。そうじゃない。……聞け。聞いてくれ、アルファ」
しまいには彼の口調が懇願の形をとって、額といわず、頬といわず、優しいキスが落ちてきていた。目じりの雫を舐められ、吸い取られる。耳朶を優しく喰まれる。
アルファは今はもう、しゃくりあげながら彼の体に抱きついていた。彼の唇が鼻の頭にちゅっとキスを落とした途端、顔を上げて自分からその唇に吸い付いた。そのまま、彼の引き締まった腰に足を絡める。
ベータの腕がさらにアルファの体を抱きこみ、髪を優しく撫でてくれるのを感じた。
「ん……ん」
しばらくそのまま舌を絡めあってから、ふとベータが唇を離して言った。
「お前、ひどすぎる」
「え……」
とろんとした目で見返せば、困ったような蒼い瞳に見返された。
「この俺が、仕事でもないのにわざわざ誰かにこんなことをすると思うのか。それも、心底『汚い』と思っているような奴に。どんな物好きなんだ、俺は」
「…………」
それは逆に言えば、「仕事となれば多少のことは吝かでない」と言ったようなものだけれど。が、ともかくも今のアルファにとって大切なのは、その部分ではなかった。
「じゃあ……なぜ」
なぜ、自分にはこんなことをしてくれるのか。
同情か。
それとも、単にうるさい奴を黙らせるための方便か。
「だから、勘弁しろ」
アルファの瞳からそんな感情を読み取ったのか、ベータは吐息をついた。
「お前、普段はそうでもないくせに、変なところで鈍すぎる。まあそこは、記憶があろうがなかろうが変わらんようだが」
なにかさらっと失礼なことを言われている。が、アルファが抗議をする前に、その唇をまたふさがれた。
「そもそも、『汚い』だのなんだの言うなら、俺だって大概だ」
「え……」
男がにやりと口角をあげた。
「俺がどんな育ちだと思ってる。まさか一国の皇子様より、高貴な育ちのわけがあるまい? 生きるためには、何だってやってきた。それこそ、何でもだ──」
蒼い星の色をした瞳が、ふっと過去を思い出す色になる。そしてなぜだかちらりとアルファを見て、皮肉に満ちた笑みを浮かべた。
「もちろん俺は、以前のお前にそんなことは言わなかった。それでもお前は、薄々気づいているようだったがな。そしてそれでも、俺を見下すような真似はしなかった。無論、態度にも微塵も出したことはない」
「…………」
「そんな奴を、いまさら俺が見下すか。馬鹿にするのも大概にしろ」
そう言うと、男は改めてアルファの体を抱きしめた。
「そんなに『お綺麗な体』が好きなんだったら、あと百時間ぐらいこのカプセルに入ってろ。細胞の隅々まできれいにリフレッシュしてくれるぞ。なんならさらに、分解シャワーにも三日ぐらい突っ込んでおいてやろうか。赤ん坊も真っ青の、それは綺麗な肌に生まれ変われるだろうよ」
いや、そういう問題ではない。ないが、アルファはついくすりと笑わされてしまった。泣きたいように、嬉しかった。
アルファの笑顔をやっと見られてほっとしたのか、ベータの声もまた一段柔らかさを増したようだった。
「いい加減、限界だ。お前、わかっていないだろう。ここまで俺が、どれだけ我慢してきたか」
「え?」
意外な言葉が来て、アルファは目をまるくした。
「ここまで煽られて、そうそう何度も撤退するか。俺はそこまでお人よしじゃない」
「え――」
と、男の手がアルファの頬を再び撫で、片手を持ち上げてひっくり返し、ちらりと検分したようだった。
「ふむ。そろそろ、良さそうだな」
そのまま軽く指先に口づけられ、アルファは驚いて固まった。
「ということで、まあ覚悟しろ」
「あ、あの……ベータ?」
ベータはその後、カプセル内のパネルでひととおりアルファの治療の程度を確認し、改めてシェードを開いた。そうして素早く自分だけ下半身の衣服をつけると、ひどく慣れた仕草でアルファの体を毛布に包み、ひょいと抱き上げて自分の寝室へと連れていった。
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