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第七章 兄二人
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しおりを挟む目を開けてからもしばらくは、アルファはそのままの姿勢でいた。つまりぼんやりと横になったままだった。
天井がひどく狭く感じられるのは、ここが御帳台の中であるかららしい。そんなことに気づくのにも、随分と時間がかかってしまった。御帳台は大体、畳二畳ぶんの大きさで作られるのが普通である。
と、足元で微かな衣擦れがして、側付らしい中年の女房がしずしずと水の入った泔坏を持って入ってきた。アルファの髪を洗ったり整えたりするためのものらしい。
女はそれを枕辺にあった漆塗りの五脚の台上に静かに置き、アルファの枕元に座ると、伏し目がちにそっとこちらの様子をうかがうようにした。
途端、ぱちりと目が合う。
微笑もうと思ったのだが、どうもうまくいかなかった。それは恐らく、ぴくりと唇の端をゆがめた程度の変化に過ぎなかっただろう。
「っひ……!」
女は驚いて、危うく泔坏をひっくり返しそうになった。が、どうにかそれは踏みとどまり、畳にぴたりと両手をついて頭を下げてきた。
「ご無礼を致しました。どうかお許しくださいませ。いま、いま……皆様をお呼びいたしますゆえ。しばしお待ちくださいませ、殿下……」
深々と頭を下げ、すぐにしずしずと下がっていく。さすが宮中に仕えるだけのことはあるなと、変なところで感心した。彼女もさぞや由緒ある高貴な家の出なのだろう。少し心楽しくなって、アルファはほうと息をついた。
なんだか、長い夢を見ていたような気がする。
細かいことまでは思い出せなかったけれども、とある女人のイメージだけは明瞭に頭の中に残っていた。
今ならわかる。かの女性が、いったい誰に似ていたのか。
と、周囲からざわざわと人々の気配や足音が集まってきて、すぐに足元の帳が揺れ、父、モトアキラの顔が現れた。
「タカアキラ! おお……よう、よう……! タカアキラ──」
父は枕辺までほとんど飛ぶようにしてやってくると、アルファを抱き起こして力いっぱい抱きしめた。あとはもうろくに言葉にもならず、こらえようとしながらもただ泣き咽んでおられる。
「父上……。ご心配を、お掛けしました……」
掠れてがさがさする声でそう言うと、父は涙をこぼしつつ何度も頷いてくれた。少し目をめぐらすと、御帳台の外にはザンギやミミスリ、それにマサトビやそのほか<恩寵部隊>の面々が集まってくれているのが分かった。
「み、皆も……。心配を、かけた。……す、すまない……」
途切れ途切れにしゃべるのがやっとである。なんだか体じゅうに力が入らない。自分はいったい、どのぐらい眠っていたのだろうか。
ザンギはじっとこちらを見ながら頷き、ミミスリは涙をにじませた目でこちらを見つめてやっぱり頷いている。マサトビはと言うと、もはやとっくに号泣になっていた。
「よ、……よう、ござりました。殿下の御身に何かありましたらともう……わたくしは、わたくしは──」
周囲のエージェントたちも同様である。少し嗚咽したり洟をすすったりする音がしばし続いた。
やがてミカドはようようアルファの体を少し離すと、背中を支えるようにして座らせてくださった。そうしてアルファは、そこからあれ以降の事態の進展について簡単な説明を受けることになった。
どうやらアルファはツグアキラの槍によって貫かれ、一時は本当に死んだのであるらしい。それを父モトアキラが自らの<恩寵>である<反魂>によって呼び戻した。聞けば父の<恩寵>の程度というのはかなりささやかなものであるらしく、珍しいとはいえ普段はほとんど役に立たないようなレベルであったのだそうだ。
それでも必死に祈り続け、ザンギやミミスリたちエージェントの助けもあってアルファはどうにか蘇生した。しかし、そのまま運び込まれた内裏内の医療カプセルでの治療が終了しても、なかなか目を覚まさなかった。
父は父で、久しぶりに使った<反魂>ですっかり精も根も使い果たし、二、三日は臥せっておられたそうだ。そう言われて改めて見れば、父は相当にやつれていた。しかし「何も言うな。心配には及ばぬ。そなたさえ無事に戻ってくれたなら、何を困ることがあろうか」と優しく笑っておられるばかりだった。
結局、あの事件からここまで十日ばかりが経っているとのことだった。
「つ、……<燕の巣>、は」
「あ、はい。それでござりまするが」
掠れた声での問いに答えたのは、マサトビだった。
もともとの作戦通り、マサトビはあのタケルやカンナの母である燕の顔をした女アヤメなどとともに、アルファたちとほぼ同時に<燕の巣>を占拠することに成功していた。連れて行った<恩寵>もちたちの主だったものは、大抵<催眠>の使える者だ。
そもそも<燕の巣>は皇家のものだ。その所有者はミカドであって、皇太子ナガアキラやそのほかの大臣たちの誰のものという訳でもない。だから理を尽くして話す機会さえ持てれば、そこを守る武官らも特に反抗することはなかったかもしれなかった。しかしあの場合、そこまでの時間は取れなかった。
だからマサトビたちは、まずはそこで<燕の巣>を守護する武官らを<恩寵>によって眠らせたり、アヤメの<置換>によって認識に齟齬を生じさせるなどして、易々と<燕の巣>中心部へ入り込んだ。具体的には、その場の最高責任者がマサトビであるという認識を防備の者らに植え付けたのだ。
門前や要所要所に立っている衛士たちは、それによって驚くほどスムーズに彼らを中へと導いてくれた。
<燕の巣>内部にいるのはあとは老年の<恩寵博士>と助手の青年たち、雑務をこなす小者などが中心である。武官たちさえ押さえてしまえば、あとは難なくことが運んだ。
アルファは胸をなでおろした。彼らのことはずっと気がかりだったのだ。
「そうか……。よかった。ありがとう、マサトビ……」
「いえ、いえ……! こちらで殿下が斯様な大ごとになっておられるとも知らず……。それを聞いた時にはもう、臣はまこと、命が縮みもうしましたぞ──」
マサトビがまたぐずぐずと洟をすする。
「しかし、ようございました。まことにようございました……」
「それで、その……<燕の巣>のほうは」
「……は、それにござりまする。<燕の巣>は、すでに生まれてそこで育てられていた子らを最後に、新たな子らを生み出す営みを中止し、殿下のご命令通り稼働を凍結させておりまする」
「そうか……」
「<恩寵博士>がたも、おおむねは協力的にござります。それも当然にござりまする。わたくしどもはそもそも、<恩寵>の研究を旨とする者なのであり、子らを搾取して大金をせしめることを喜んでいたわけではございませぬゆえ。むしろ大臣たちの温情なきなされようには、焦眉の者も多かったのでござりますれば」
「そうか。……そうだな」
アルファはほっと安堵の息をついた。何より心配していたのは、すでに生まれてそこにいる子らのことだったからだ。
「なお、ナガアキラとツグアキラにございまするが」
そのあとはザンギが話を引き継いだ。
彼の口調で分かる通り、ナガアキラもツグアキラも今や完全に罪人としての扱いになっている。もっともその罪の程度には違いがある。当然、ツグアキラのほうがはるかに重い。
あのあと、ナガアキラとツグアキラは二人ともナノマシンを装着させられ、そのうえで内裏の内部にある座敷牢にとどめ置かれているのだそうだ。そのままかの二名には今に至るまでザンギたちによる訊問が続いている。それにより、ここまでの状況がかなり明らかになってきた。
とはいえもともと高貴な身分だということで、特に厳しい拷問などは行っておらず、基本的には口頭での訊問にとどまっているとのことだ。
ほかの高位の大臣たちもおおむねは同様である。
「大臣どもはさっさとこと細かに訊問に答えております。まずまず、至って素直なものにございます。まあ我らの<恩寵>のほどを目にした者ほど、ですかな。さほどの苦労はございませぬ」
「そ、そうなのか……」
「これまで闇商人を介して<燕の巣>の子らの売買に関わったと見られる者については、より厳しい詮議を行ってはおりますが、本人は勿論その家族連中に至るまで、特に逃亡する者等はでておりませぬ。……まあ、無理だからということもございましょうが」
それはまあ、そうだろう。どんなに高貴で使える金に余裕があっても、これら<恩寵部隊>の面々の目が光っていてはそうそう遁走などできるものではない。
「ええと、あの……それで」
アルファはそこで、やっと先ほどから気になっていたことを口にした。実はマサトビの説明を聞いている間からずっと気になっていたのだ。
どんなに見回してみても、その場に彼の姿がない。
目を覚ましたら、誰より一番に見たかった人の顔がないのだ。
(ベータ……。どこに……?)
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