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第一部 トロイヤード編 第七章 ふたつの月
12 花 ※
しおりを挟む体が静かに湯船に沈められたのを感じて、シュウは意識を浮上させた。
(あ……れ?)
僅かに目を開いてみると、そこは見慣れない湯殿だった。
開放的に庭を見渡せる造りは同じだったが、自分がいつも使わせてもらっている場所よりもひと回り広いようだし、装飾そのほかの様子も違う。
外はまだ、昼間の日差しだった。
「目が覚めたか? ……体はどうだ」
耳のすぐ傍で声がして、次第に意識がはっきりしてきた。目を上げると、その碧い瞳が間近にあった。シュウはレドの腕に横抱きにされたまま、一緒に湯船に浸かっていた。
「陛下……」
その瞳に、今まで見たこともないような穏やかな光が宿っているのに気付いて、シュウは思わず胸を衝かれた。この王がそんな目をする人だとは、今の今まで知らなかった。
そのまま軽く唇を啄ばまれて、やっと記憶が蘇ってくる。
(そう……か、僕──)
つい先ほどまで彼と繋がっていた場所にじわりと湯が染みて、すべてが夢ではなかったことを告げていた。
とはいえ、最後に自分がどうなってしまったのかはどうしても思い出せなったけれども。
「……痛むか?」
シュウの体を気遣うレドの声も、ひどく優しかった。
「いいえ……大丈夫」
微笑んで首を振る。少し体を起こして、レドの首に腕を回した。レドの腕もシュウの背中に回ってきて、互いにゆっくりと抱きしめあった。
と、レドの手がするりとシュウの下肢に伸びて、湯の染みる辺りを探り始めた。
「あ、ちょっ……!」繋がっていた場所を指で刺激されて、思わずシュウの腰が跳ねる。「な、なにす──」
「ちょっと我慢しろ。後始末をしておかんと、体調を崩すらしいからな」
どこでそんなことを聞き齧って来るのか知らないが、レドは赤面しているシュウの頬や項に唇を這わせながら否応なしにそこへ指を潜らせてゆく。
「やっ、……あ、あ!」思わず洩れた嬌声が浴室にはよく響いて、滅茶苦茶に恥ずかしい。「や、やだ……陛下」
シュウは涙をぽろぽろ零して首を横に振った。
「すぐ終わる。俺に掴まっておけ」
少し悪戯っ気を帯びた声でそう囁いて、レドは指の動きを早めた。
◇
湯船であれこれされてしまったため少し湯当たり気味になったシュウを、レドは再び抱えて寝室に戻った。シュウには薄絹の夜着を羽織らせ、自分はいつもの普段着に着替えている。
今度は先ほどのレドの部屋ではなく、以前の正妃の間でもなかった。
そこは、例の件以降、後宮内にあらためて用意された部屋のようだった。豪華でこそないが、いかにも質のよい木材を使った落ち着いた雰囲気の調度でまとめられている。窓辺には小さな金色の竪琴が置かれていた。
そこは明らかに、シュウのために準備された部屋だった。
寝台へシュウを寝かせると、レドは食事を運ばせた。
「昼餉がまだだったろう。ここで食べるといい」レドはどこかへ出てゆく風である。そのことを尋ねる前に、少し済まなそうに言った。「晩餐は隣国の大使と取る予定でな。その前に片付けておく案件もある。一人にしてすまんが、ゆっくりしていてくれ」
やはり、国王陛下はお忙しい。
隣国と言っても例の敵対する北の国ではなく、貿易の相手国である西方のブリアン王国のことだそうだ。
「……いいえ」寂しくないと言えば嘘になる。しかし、シュウはただ笑って首を振った。「僕の方こそ、急に帰って来てご予定を狂わせてしまいました。お忙しいのに、申し訳ありません……」
この多忙な王の傍にいるということは、当然、こうしたことをも含むはずだった。
のべつ幕なし、この男と一緒にいたいなどと駄々を捏ねるような子どもでは、そもそも務まるはずのない立場だ。それはノインから釘を刺されるまでもなく、シュウも理解している。
「……夜に、また来る」
それだけ言ってシュウを抱き寄せ、最後に軽く唇を重ねてから、レドはまた風のように出て行った。
◇
エデルはレドが出ていくとすぐに、他の侍女たちと共にやってきた。この部屋づきの侍女になったらしく、あらためてシュウに向かって丁寧な挨拶をしてくれた。
「どうぞよろしくお願い致します、シュウ様」
幸いにして、例の「お可愛らしい」発言連発の女官たちの顔は見えない。シュウは密かに胸をなでおろした。とはいえ、自分が急に部屋からいなくなったことで彼女たちに迷惑を掛けたことには違いないので、近いうちに謝る必要があるとは思っている。そのうちレドにお願いしてみようと考えていた。
そういえば、この件でレドから殴られてしまった兵士がいるとも聞いている。本当に、とんでもなく気の毒なことをしてしまった。だから彼にも早く謝りたいと思っていた。
シュウは目の前の女官たちにもまずそのことを詫び、あらためて挨拶を返した。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。慣れない事ばかりなので、皆さん、いろいろ教えてくださいね」
寝台の上からで申し訳なかったが、その場で一礼させてもらった。シュウとしてはただ普通に笑顔で挨拶をしただけのつもりだったが、エデルをはじめとする女官たちがまたしても一様に顔を真っ赤にしたのには参った。
エデルも宿場町の宿であれだけ一緒にいたのだから、いい加減見慣れてくれてもよさそうなものなのだが。
「シュ、シュウ様……」と赤面したまましばらく絶句している始末だ。
(なんなんだよ、もう……)
さすがに笑顔は崩さなかったが、シュウは心の中で溜め息をついた。
どうにも腰が重だるく、またとても眠たかった。シュウはその後もひたすら欠伸をかみ殺すのに苦労した。
それが仕事であるだけに、女官たちは人の顔色を見るのに長けていた。こちらから特に何を求めたわけでもなかったのに、食事の給仕などが終わると早々にカーテンを引き、静かに部屋を辞していった。
「それでは、おやすみなさいませ」
エデルがそう言って扉を閉じた途端、シュウは枕に倒れこみ、ことんと眠りに落ちてしまった。
◇
「話には聞いていたけれど、本当にお美しい方ね、エデル?」
シュウをはじめて間近で見た女官が、女官部屋へ戻る廊下でこっそりとエデルに耳打ちした。エデルより五、六歳は年上だろうか。
「あれで、本当に男の方なの? あんな方は初めて見たわ……」
彼女はもう、うっとりと夢心地のようだ。
「そ……うですね、はい。そう思います……」
エデルは少し考えこみながらもそう返事をした。
一緒に廊下を歩いていた他の女官たちも、口々にひそひそと褒めそやす。
「ふわりとお笑いになると、もうまるで、そこにお花が咲いたようで──」
「お話ぶりも、お優しくて品がおありで……」
「男の方とはいえ、陛下がご執心なのも分かるというものだわ……」
(シュウ様って……)
エデルはあらためて思う。
本来なら、男が後宮に部屋を与えられているという時点で女官たちから多大な反感を買いかねない事態である。
そもそも女官として後宮に入るということは、すなわち王のお手がついて国母にもなるチャンスを手にしているということだ。間違っても男などにその夢を脅かされてなるものかと、普通なら彼を排除する流れになりそうなものである。
だが、不思議と誰もシュウにはそうした敵意を抱かないようだった。むしろ今のように、彼に憧憬の情を抱き、やがて日が経てば経つほどに愛着を覚え、彼が困っていれば助けになろうとさえするようになっていく。
考えてみれば、レドはもちろんタルカスも、さらにはあのヴォダリウスでさえもがそうなっているのである。
これを「才能」といわずして、なんと言うのだろう。
しかも本人にはその自覚がまるでないのだ。考えてみれば驚くべきことである。
(本当に、不思議な方……)
「慣れない生活で、きっとお困りよね。なにかして差し上げられることはないかしら……」
嬉しそうな女官たちのひそひそ話を聞き流しながら、エデルはひとり考え込んでいた。
エデルとしては、自分がさっきシュウを見てなぜそんなにも驚いてしまったのか、どうも得心がいかなかったのだ。
(だって、今朝までは普通にお話してて──)
初対面の時こそあんなにうろたえてしまったけれど、その後はずいぶん打ち解けて、彼の顔を見るだけで緊張するようなことはほとんどなくなっていたはずなのに。
何がそんなにシュウを変えてしまったのだろう。
(今朝から今までなんて、ほんの数刻のことじゃないの……)
さきほどのシュウの、内側から輝き出るものは、一体──
しかし、たかだか十二歳の少女にとっては、その違いを説明する語彙からしてまったく手持ちが足りなかった。
そして、シュウの姿をあれほど艶めかせているものの正体を知るには、残念ながらまだまだ圧倒的に恋愛経験というものが不足していた。
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