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第一部 トロイヤード編 第八章 暗転
13 死線(2)※※
しおりを挟むと、比較的近い場所から激しい金属音と男たちの怒鳴りあう声が聞こえてきて、ふたりははっとした。
きいん、じゃきぃん、という澄んだ響きは紛れもなく誰かが敵と戦っている証拠だろう。時おり「ぎゃあっ」「ひいっ!」といった悲鳴も混ざっている。
タルカスは燃えおちた天幕の陰から素早く外を覗いた。信じられないことだが、その巨躯が猫ほどの足音も立てなかった。
「シュウ様。移動しましょう」
ごく小さな囁き声と手の動きだけで方向を示されて、シュウも静かに頷いた。
再び這うようにして天幕から出ると、タルカスはすぐ近くにあった荷車の陰にシュウを隠した。金属音がより近くなった。今では、戦う者たちの息遣いまでもが聞こえてくる。
タルカスとともにそっと覗くと、出立時にレドの近くにいた異国の大使が戦っていた。顔は兜に隠れたままで、表情は窺えない。その周りを「黒い影」としか言いようのない者たちが取り囲んで、次々と打撃を繰り出している。五、六人はいるだろうか。
大使はさほど慌てた風もなく、飛んでくる打撃を長剣で受け流したり払い飛ばしたりしていたが、身体の動きは飽くまでも最小限にとどめているように見えた。それは舞いでも舞うような、流れるように美しい動きだった。そして、一分の無駄もない。
よく見れば、大使の足元にはトロイヤード兵の亡骸がすでにいくつも転がっている。賊の者どもにやられたものであろう。
敵は黒服に黒いターバン、黒覆面と、全身黒ずくめの出で立ちだった。得物はどれも三日月のように曲がった形の剣で、長いものもあれば短いものもある。この辺りでは曲刀と呼称される剣である。
中にはあまり見たこともないような輪状をした刃物の武器を、指先でくるくると回している者もいる。
タルカスがシュウに静かに囁いた。
「トゥラーム兵です。傭兵でしょう」
トゥラームはアヤルタの海を更に南に下った位置にある、暑い南国の国である。
南国の国らしく呑気で穏やかな国風かと思いきや、まったく正反対の国柄で、国をあげての傭兵団育成に力をいれているのだと聞く。その傭兵を莫大な報酬と引き換えに各国へと貸し出しては、国益の一部にしているというのだから驚きである。
大金を積んで頼まれれば、諜報、暗殺、内政の混乱工作などなんでも請け負うという、恐るべき傭兵派遣国家である。
タルカスは出てゆくタイミングをはかっているようだった。
大使を助けには出るつもりでも、後ろのシュウを守りきれなくなるのは困る。そのように考えてやや二の足を踏んでいるようにも見えた。そもそも、点在する焚き火の明かりぐらいしかない暗い視界の中で、どこから他の賊に襲われるか分からない状況なのだ。
……が。
いきなり、ごうっと竜巻のような風鳴りがしたかと思うと、大使の目の前にいたトゥラーム兵が一気に三、四人ばかり、上体と下肢を切り離されて宙に舞っていた。
文字通り、その場に血の雨が降る。
「ノ──」
思わず立ち上がって声を上げそうになった。
が、タルカスが素早くシュウの口を塞いでくれた。
「半歩遅れたな。悪い悪い」
笑いながら巨大な血みどろの剣を肩に担ぎ、軽い足取りで大使の方へと歩いてくる、その男。
「これでも、全速力で飛ばしてきたんだがよ──」
すでに何人もの賊と渡り合ってきた後なのか、その銀髪は半分以上返り血に染まっている。黒い鎧に、黒いマント。口元にはいつもの不敵な笑みである。
顔にも盛大に返り血を浴びているため、笑顔がもはや凄絶としか言いようがない。
残った賊たちはその姿を見て、一様に後ずさったようだった。
そのうちの誰かが、思わず低く声を漏らす。
「く……『黒き閃光』……?」
信じられぬ、という響きだ。
黒鎧の男は、じろりと声のした方を見やった。
「ああ? なんかエスペローサの兵どもが時々んなこと言ってるが──」
目を細め、いかにも不快げな表情で苦笑する。
「んな、だっせえ渾名いらねーよ」
千騎長、ノインだった。
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