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第一部 トロイヤード編 第八章 暗転
20 追跡(2)
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遅れてやってきた部下の騎馬兵たちとともに、風を巻いて闇を突き抜けて行く。まさに疾風怒濤である。多少視界が悪くとも、ノインたちにとってここは勝手知ったるトロイヤードの庭だ。彼らは少年時代から、この国の草原を縦横無尽に駆け回りながら育ってきたのである。
疾走しつつも、ノインは脳裏に明瞭な近隣の地図を描いている。
確かこの先は小さな森になっていて、その向こうには険しい岩山が聳えているはずだ。捕虜を抱えて、賊はあの岩山を登るつもりか──?
「無謀な」と考えかけて、はっとする。
「そうか。だからトゥラームか……!」
考えるほどに、首の後ろの焦燥感が増してゆく。
トゥラームだからこそ、できるのだ。あの国の傭兵団は、ありとあらゆる環境や作戦に特化した特殊訓練を日々行っていると聞く。中には人を担いで岩山を登り、雪山を踏破するなどわけなくこなす者もいることだろう。
(やってくれたぜ、北の御大──)
こめかみに厳しい青筋が立つのを自覚する。
バルドの城塞に向かって進軍してきた、あの二十万の兵ばかりではない。恐らくは野営地を襲った先ほどの攻撃すら、陽動だったのだ。《影》を殺して見せたのも、ほんのついでのようなものだったに違いない。
初めからわざと奇妙な進軍をして見せ、いかにも裏がありそうに振る舞った。
そして、実際「裏」があったかのように、こうして王の野営地を襲撃までしてみせて──
賊を撃退し終わって敵が隙を見せるのを、近くでじっくりと待っていたのだ。
……すべては、シュウを奪うため。
恐らくは、王都にいたシュウを引っ張りだすため、何か小細工もしたに違いない。
「狂ってやがる……!!」
ノインは吐き捨てるように馬上で吼えた。
シュウが何だ?
あの青年がどうしたというのだ?
確かに容姿は美しく、人柄も高潔で心の優しい青年だとは思うのだが。
たとえ彼が、王の「想い人」なのだとしても。
あの青年がエスペローサの国王に、こんな気ちがいじみた作戦を行使させるほどの獲物だと──?
彼を奪って、敵に何の得がある……?
(ま、今更だ──)
まず、間違いない。
自分の判断ミスを招いたのは、彼に関する情報不足だ。
レドもタルカスも知っていることで、自分の知らぬことがきっとある。
タルカスのあの足が、いきなり治癒したこととも関係があるのだろう。
今、それさえ知っていたならと後悔するのは詮無いことだ。
思ううちにも森を抜け、件の岩山が眼前に迫ってきた。
夜闇に灰色に浮かび上がる岩棚の上に、さきほどの黒い群れが取り付いているのが遠目にも分かった。すでに百メトルばかりはよじ登っているようだ。
その中に、先ほどの小柄な黒い影ではなく、タルカスほどの巨体の者がいた。背負子のようなものを背に負って、そこに人をくくりつけている。
シュウであった。背負子の上で完全に意識をなくしているらしい。その頭がふらふらと揺れている。もう一人、こちらは予定外だったのか、鎧を脱がせたレドを背負ってその腕を体の前で縛り付けているらしい者もいる。
両名とも、恐ろしいほどの速さで崖を登ってゆく。さすがの膂力というべきか。
ノインは即座に、強弓の部下に尋ねた。
「射ち落とせるか?」
「やってみます」
言うなり、部下の弓使いはすぐさま大弓の弦を引き絞り、三本同時に矢を放った。
矢は鋭く夜闇を切り裂いて、小さい方の黒い影を三体ほど射ち落とした。
が、残念ながら背負子の大柄な男どもは、すでに矢の届かないほどの高さまで登ってしまっているのが判明した。あれではここから何度撃ったところで当たるはずもない。
「くそっ……!」
ノインはわが膝を拳で殴りつけた。
ぎりぎりと唇を噛み締める。すぐに血の味がし始めた。
この岩山を自分たちが登れないわけではない。しかし登ってみたところで、上から簡単に矢ぶすまにされ、虚しく地面に激突して血肉の塊になるだけなのは目に見えている。
自分に預けられている兵の命を、これ以上無駄にはできなかった。
ノインはもはや悪鬼のような形相で、岩山の上を睨み上げた。
殺気で人が殺せるなら、とうに彼らは全滅していたことだろう。
「ナリウス……!!」
ぎしぎしと噛み締めた奥歯が軋んだ。
「どっちか一人でも殺してみろ、てめえ……!」
ノインから放たれるあまりの怒気に、まわりの兵たちも一様に退いた。
周囲の空気を陽炎のように歪ませるほどの、猛烈な殺気である。
気の弱い者なら、それだけで気を失うことだろう。
黒鎧の男は、馬から下りた。
そのまま、大剣を手に近くの巨木に無造作に歩み寄る。
と、
「らああああああ────ッ!!」
大剣が一閃した。
ばきばきと轟く音を立てて、大木が森の中へと倒れてゆく。
それを振り返ることもせず、ノインは乗馬し、すぐに岩山を後にした。
もはやそちらを一顧だにしなかった。
(……許さねえ)
もしも、そんなことをした日には。
この俺が、地獄の底まで追ってやる。
覚悟しやがれ、北の王──。
疾走しつつも、ノインは脳裏に明瞭な近隣の地図を描いている。
確かこの先は小さな森になっていて、その向こうには険しい岩山が聳えているはずだ。捕虜を抱えて、賊はあの岩山を登るつもりか──?
「無謀な」と考えかけて、はっとする。
「そうか。だからトゥラームか……!」
考えるほどに、首の後ろの焦燥感が増してゆく。
トゥラームだからこそ、できるのだ。あの国の傭兵団は、ありとあらゆる環境や作戦に特化した特殊訓練を日々行っていると聞く。中には人を担いで岩山を登り、雪山を踏破するなどわけなくこなす者もいることだろう。
(やってくれたぜ、北の御大──)
こめかみに厳しい青筋が立つのを自覚する。
バルドの城塞に向かって進軍してきた、あの二十万の兵ばかりではない。恐らくは野営地を襲った先ほどの攻撃すら、陽動だったのだ。《影》を殺して見せたのも、ほんのついでのようなものだったに違いない。
初めからわざと奇妙な進軍をして見せ、いかにも裏がありそうに振る舞った。
そして、実際「裏」があったかのように、こうして王の野営地を襲撃までしてみせて──
賊を撃退し終わって敵が隙を見せるのを、近くでじっくりと待っていたのだ。
……すべては、シュウを奪うため。
恐らくは、王都にいたシュウを引っ張りだすため、何か小細工もしたに違いない。
「狂ってやがる……!!」
ノインは吐き捨てるように馬上で吼えた。
シュウが何だ?
あの青年がどうしたというのだ?
確かに容姿は美しく、人柄も高潔で心の優しい青年だとは思うのだが。
たとえ彼が、王の「想い人」なのだとしても。
あの青年がエスペローサの国王に、こんな気ちがいじみた作戦を行使させるほどの獲物だと──?
彼を奪って、敵に何の得がある……?
(ま、今更だ──)
まず、間違いない。
自分の判断ミスを招いたのは、彼に関する情報不足だ。
レドもタルカスも知っていることで、自分の知らぬことがきっとある。
タルカスのあの足が、いきなり治癒したこととも関係があるのだろう。
今、それさえ知っていたならと後悔するのは詮無いことだ。
思ううちにも森を抜け、件の岩山が眼前に迫ってきた。
夜闇に灰色に浮かび上がる岩棚の上に、さきほどの黒い群れが取り付いているのが遠目にも分かった。すでに百メトルばかりはよじ登っているようだ。
その中に、先ほどの小柄な黒い影ではなく、タルカスほどの巨体の者がいた。背負子のようなものを背に負って、そこに人をくくりつけている。
シュウであった。背負子の上で完全に意識をなくしているらしい。その頭がふらふらと揺れている。もう一人、こちらは予定外だったのか、鎧を脱がせたレドを背負ってその腕を体の前で縛り付けているらしい者もいる。
両名とも、恐ろしいほどの速さで崖を登ってゆく。さすがの膂力というべきか。
ノインは即座に、強弓の部下に尋ねた。
「射ち落とせるか?」
「やってみます」
言うなり、部下の弓使いはすぐさま大弓の弦を引き絞り、三本同時に矢を放った。
矢は鋭く夜闇を切り裂いて、小さい方の黒い影を三体ほど射ち落とした。
が、残念ながら背負子の大柄な男どもは、すでに矢の届かないほどの高さまで登ってしまっているのが判明した。あれではここから何度撃ったところで当たるはずもない。
「くそっ……!」
ノインはわが膝を拳で殴りつけた。
ぎりぎりと唇を噛み締める。すぐに血の味がし始めた。
この岩山を自分たちが登れないわけではない。しかし登ってみたところで、上から簡単に矢ぶすまにされ、虚しく地面に激突して血肉の塊になるだけなのは目に見えている。
自分に預けられている兵の命を、これ以上無駄にはできなかった。
ノインはもはや悪鬼のような形相で、岩山の上を睨み上げた。
殺気で人が殺せるなら、とうに彼らは全滅していたことだろう。
「ナリウス……!!」
ぎしぎしと噛み締めた奥歯が軋んだ。
「どっちか一人でも殺してみろ、てめえ……!」
ノインから放たれるあまりの怒気に、まわりの兵たちも一様に退いた。
周囲の空気を陽炎のように歪ませるほどの、猛烈な殺気である。
気の弱い者なら、それだけで気を失うことだろう。
黒鎧の男は、馬から下りた。
そのまま、大剣を手に近くの巨木に無造作に歩み寄る。
と、
「らああああああ────ッ!!」
大剣が一閃した。
ばきばきと轟く音を立てて、大木が森の中へと倒れてゆく。
それを振り返ることもせず、ノインは乗馬し、すぐに岩山を後にした。
もはやそちらを一顧だにしなかった。
(……許さねえ)
もしも、そんなことをした日には。
この俺が、地獄の底まで追ってやる。
覚悟しやがれ、北の王──。
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