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第二部 エスペローサ編 第三章 過去
3 思惑(1)
しおりを挟む「それにしてもゾーグ卿。困ったものですのう、陛下にも……」
昼餉の前の御前会議が終わり、二人の男が会議の間の前でまたひそひそと立ち話をしていた。ナリウスはすでに退室している。
焦眉の顔を相手に向けているのは、がりがりに痩せた色の黒い老人だ。その体躯にまったく似つかわしくない豪華な長衣や装飾品に身を包んでいる。先ほどナリウスが足早に去った廊下を見やり、いかにも王国の行く末を案ずる風情で溜め息などついているが、老人の瞳にそれらしい色はまったくなかった。
「あのようなどこの馬の骨とも知れぬ下賎な男に、おいそれと後宮の一室をお与えになるとは。いやはや……」
「まあ、そう申されまするな、サリヨル卿」黒髪の太った男が鷹揚に答えた。「わが一族から後宮に献上した娘の親族どもも、やたらにがなりたてて来てはおりまするが。なんと言っても、相手は男。子が成せる身でもありませぬゆえ──」
後ろにぴったりと撫で付けた黒髪も、太い眉も口髭も、何を使っているものかてらてらと脂ぎった光を放っている。腹回りにでっぷりとだらしなく脂肪を蓄えているのが、これまた煌びやかな刺繍飾りに包まれた長衣の上からでもよく分かった。
「我々の領分を脅かすなどということは、万にひとつもござりませぬよ……」
「それは無論、無論のことにござりまするわな」
相手の言葉に頷きながらも、痩せた色黒の老人はまだ納得もいかず、不平も並べ足りない顔だった。
「それにしても、寝耳に水でございましたわい。あの陛下がまた何ゆえ、そちらの道にお目覚めになったものやら──」
「ええ、誠に」
黒髪と口ひげの太った男は、この国最高位の官位たる宮宰に任じられている。名をゾーグという。国王を除けば文字通り、この宮廷の最高権力者という立場にあった。
一方痩せぎすの老人は、ゾーグの下に位置する十人の宮中伯の一人であり、名をサリヨルと呼称されている。いずれも、この国の最高意思決定機関である御前会議の枢要を占める人物であった。
「まあ、またすぐにお飽きになられて囚人どもに与えておしまいになることでしょう。いつものことではござりませぬか……」ゾーグは、さもそれが当然かのように薄ら笑いを浮かべて言った。
「でしたらよろしいのですがのう……」対するサリヨルは、それでもまだ疑わしげにナリウスの去った方を見つめている。
「閨で陛下に要らぬことを囁きさえしなければ、いっときのお慰みとして役立つだけでも良しと致しましょう。気にするほどのことではござりますまい……」
そう言いながらも、ゾーグの大きな鋭い眼はぎらぎらと陰鬱な光を帯びていた。
◇
翌日。
一日休養して体力も回復し、シュウは午前のうちにあらためてアイリスの部屋に出向いた。廊下の窓から見える景色はもうすっかり雪に覆われている。
シュウの体調を考慮してか、昨夜はさすがのナリウスも夜の訪問を遠慮してくれた。ゆっくり眠れたお陰で気分も爽快である。
昨日から晴れてシュウの「監視兵」改め「護衛兵」となったクリスとホッパーも、いつものようにシュウに同行してくれている。
ホッパーはもう、今にもスキップでもしそうな浮かれようでシュウの後ろからついて来ていた。何度もクリスから注意されるのだが、うっかりするとつい鼻歌まで出てしまいそうになるらしい。それほどに、これまで「監視兵」としての仕事に重圧を感じていたということなのだろう。
「いい加減にしろ、ホッパー。兜があるからいいようなものの……」
「そのにやけた顔をなんとかしろ」とばかりに、隣でクリスが頭を抱えている。
「申し訳ありません、シュウ様……」
溜め息混じりに謝ってくるクリスに、シュウは振り向き、笑いながら手を振った。
「いいじゃないですか。僕は構いませんよ? その方が楽しいですし。クリスさんも、そう固くならないで下さい。別に僕は、そんな『高貴なお方』じゃないんですから」
「いえ、そういう訳には──」
クリスが生真面目に咳払いをした。そう言っている彼でさえ、兜ごしにもこの状況を嬉しく思っていることがよくわかった。
今日のシュウのいで立ちは、浅黄色の上衣に白のマントといった柔らかな印象でまとめられている。衣装合わせはすべて部屋付きの女官たちに任せているが、瞳の色とも呼応して、それもまたよく似合っていた。
アイリスの部屋につくと、シュウはすぐに中へ通された。護衛の二人は部屋の外で待っている。
「おはようございます、アイリス様。昨日はお休みしてしまって申し訳ありませんでした」
「おはようございます、シュウ様!」
挨拶をして一礼すると、大きめのテーブルの前に座っていたアイリスが立ち上がってシュウを迎えた。今朝は落ち着いた紺色のドレス姿だ。テーブルの上には羽ペンやインク壷、羊皮紙や巻物状の書物など、さまざまな勉強道具らしいものが揃えられている。
「お体はもうおよろしいの? ご無理をなさらないで下さいませね?」
心底心配そうに見上げてくる碧い目を見て、シュウは苦笑しそうになるのをやっと堪えた。代わりに軽く咳払いをする。多分少し顔も赤くなっていることだろう。
(ああ、心配されちゃってるよ……)
まったく、彼女の兄上は罪つくりだ。この方がシュウの「体調不良」の真の理由を知ったら、一体どんな顔をするのだろうか。
「ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。本当に、大したことはなかったので……」
仕方なくそう返事をして、シュウは微笑んだ。アイリスはほっとした様子になり、早速隣に立っていた女性に目をやった。
「ご紹介しますわ。こちら、家庭教師のモリス先生です。主に綴り方全般と、文章の読解のご指導をしてくださいます」
亜麻色の髪をひっつめに結い上げた、少し体格に幅のある女性である。鶯色のかっちりとしたドレスのボタンが、胸や腹の上で今にもはじけ飛びそうに見えた。
「あ、シュウです……。どうぞ、よろしくお願い致します」
急に緊張してきて、シュウは固くなって頭を下げた。
女性はシュウより頭ひとつぶん下の方から応じた。柔らかな低めの声だった。
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたしますわ、シュウ様。アイリス殿下から大体のご事情はお聞きしております。一緒に頑張ってまいりましょうね?」
にっこりと笑った顔は思った以上に親しみやすそうで、シュウは心からほっとした。
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