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第二部 エスペローサ編 第五章 呪詛
7 夢(1)
しおりを挟む「あ、ちょっと待っててくださいね? ナリウス様……」
地下牢を離れる少し前。シュウは自分を抱きしめて放さないナリウスをなんとか宥めすかして、ほんのわずかの間だけサリヨルの傍に近づいた。
血みどろの顔を恐る恐る覗きこむと、幸いにも──というのは気の毒だったが──老人はあまりの激痛のために目を剝いて気絶していた。シュウは安堵し、そっとその体に触れて彼の傷を癒しておいた。
「シュウ様。もう、そのぐらいで」
「あ、はい……」
さりげなくクリスに注意され、シュウは老人の体から手を引いた。
あまりやりすぎれば、何も知らない兵たちが不審に思う。クリスはそう判断したようだった。そのため完全に治療したわけではなかったが、それでもサリヨルの苦しみはかなり軽減されたはずだった。少なくとも、消失していたその爪はもとの形を取り戻していた。
◇
そのままナリウスに肩を貸しながら、シュウはクリスと共にナリウスの部屋に戻った。二人で抱き上げて寝台に横にならせると、ナリウスはすぐに眠ってしまった。まるで子どもがそうするように。シュウはその脇に座って、ずっと彼の手を握っていた。実のところ、ナリウスはシュウの手を地下牢から一度たりとも放さなかった。
やがて夕餉の席に出てこない兄を心配してアイリスがやってきたが、クリスが扉の外で丁重に面会を断る低い声が漏れ聞こえてきた。
「申し訳ございません。今は詳しいお話はできません。……ご心配はいりませぬ。シュウ様がついておいでですので──」
きっとまたアイリスが悲しげな顔をしていることだろうと思うと心が痛んだ。だが正直、シュウもそうしてもらったほうが良いと思った。今のこのナリウスの姿を実の妹に見せるのは酷だと思ったのだ。ナリウス自身も、きっとそんなことは望まないだろう。
ナリウスは眠っていながらも疲れきった様子で、ひどくやつれた顔をしていた。顔色はなく、ほとんど蒼白で、目の下には隈ができている。午後だけのことで彼がこうまでなってしまった理由は、シュウにとっては誰かに教えてもらうまでもないことだった。
……過去の蓋が、開いたのだ。
それはきっと、ナリウスがずっと知りたがっていて、でも知ることを長い間恐れてもいたことに違いない。
「ナリウス様……」
シュウは握った彼の手にそっと口付け、額にあてた。
怖がらなくていい。みんな居る。
アイリスも、クリスも、ホッパーだって自分だって、必ずあなたの味方になる。
昔のあなただったらもしかしたら、アイリス様以外、誰もそうは言ってくれなかったかも知れないけれど。
今なら、そんなことはない。
まだまだ少ないのも本当だけれど、今はもう、一人じゃないんだ。あなたは。
「それだけは、本当だよ……」
シュウは目を閉じた。
すると、急にひどい頭痛を覚えた。頭の芯がぐらぐらするような、強烈な痛みだ。あまりの緊張と恐怖からくる疲労のためだろう。と同時に、すぐに眠気が襲ってきた。
「ナリウス、さま……」
夢を見るんだ。
ナリウス様と陛下が、いつか──
いつか、どこかの草原で。
あなたたちが互いに手を取り合う姿。
あなたはいつもの、ちょっと皮肉な笑顔を浮かべてて。
陛下はいつもの、明るくて不敵な笑顔に決まっている。
お互いに皮肉交じりに、でもなんとなく嬉しそうに談笑なんかして。
あなたの後ろにはアイリス様と、クリスさんやホッパーさんや、兵士のみなさんが立っていて。
陛下の後ろにはヴォダリウス様。それからタルカスさんに、ノインさん。それに沢山のトロイヤードのみんながいる。
そうなったらいいなと思っている。
あなたに会った日から、ずっと。
もしかしたら……もしかしたら。
違う形で出逢っていたなら。先にあなたに出逢っていたなら。
愛したのは、もしかしたら──あなただったかも知れない。
だから……どうか、許してください。
あなたに会った時にはもう、他の人のものになっていた僕を。
心はあげられなくて、ごめんなさい──
(……でも)
でも、あなたのことだって大事だよ。
これだけは、嘘じゃない。
あなたのためにだって、僕は死ねるよ──。
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