【改訂版】Two Moons~砂に咲く花~

るなかふぇ

文字の大きさ
149 / 149
第二部 エスペローサ編 第五章 呪詛

11 毒杯(3)

しおりを挟む


「王妃よ」母の言葉を打ち消して父が言った。「そなた、今ここでまことの心をもって答えよ。このナリウスは、まこと真実をもって儂の子か?」

 母の瞳は一瞬、驚きに見開かれた。

「陛下。まだ……そのような──」
「答えよ!」

 父の声は氷のとげのように無情だった。母は一瞬押し黙り、やがてその碧く澄み切った瞳でしっかりと父を見返してはっきりと答えた。
「もちろんでございます。ナリウスは間違いなく、あなた様の御子にございます。でなければいったい他のだれが、この子の父親だとおっしゃるのでしょう──」

 悲しげなその声は、最後は涙にまぎれてしまった。自分は杯を手にしたまま、目の前でにたにたと含み笑っているロズメルを睨みつけていた。怒りのために手が震え、葡萄酒のおもてをびりびりと波立たせた。

 父王の声は、その母の涙を見てもわずかも温度を上げることも、硬度を下げることもなかった。父はなんの温情も乗らない視線で母を寝台から見下ろしたまま、冷たく次の言葉を投げてきただけだった。

「ではそなた、証明して見せよ」
「……は……?」

 涙を零しながら、母が虚を突かれたように目を上げた。

「そやつに今渡したものは、毒杯じゃ。今からそやつに、それを飲んでもらう」
「……!」

 母の体があまりの驚愕に凍りついた。自分はすでにある程度の察しがついていたため、さほどの驚きは感じなかった。ただ静かに、その葡萄酒のおもてを見つめただけだった。

(なるほどな……)

 が、母は絶句し、やがてやっとこう言った。

「な……なんと……?」
「じゃがの、王妃よ」父は狡猾な色を浮かべた瞳でひたと母を見据えて、言い放った。「もしやそなたが以前の姦淫の罪を認め、そやつがその男の子供と認めるならば、そやつの命ばかりは助けて進ぜよう」
「へ、陛下……。なんということを──」

 母はもう全身をがたがたと震わせ、真っ青になって立ち尽くしていた。

「本来ならば死罪を申し付くるところじゃが、ただそやつを追放するだけで許してやろうというのじゃ、感謝するがよいぞ……」
「そ、そのような──。あまりといえば……!」

 母の血の出るような叫びなど、父の耳にはまったく届かなかった。

「構わぬな? 王妃。そやつがたとえ追放の身になったとて、或いはここで死んだとて、まだアイリスもおれば他の王子たちもおるのじゃ。なにもそやつにそこまでこだわることはない。ここまで無様な噂の立ってしもうた皇太子など、もはや我が大国エスペローサの次期国王としてはふさわしくあるまいが?」

 ぼさぼさとだらしなく伸びた白い髭の奥から、力のない錆びた声でとうとうと父王が説明している。自分はそれを、どこか遠くで聞いていた。

「いっそこの場で死んだ方が、今後のそやつの名のためにはまだましよ……。我がエスペローサ王朝の歴史書に、姦通の子の汚名があるべきではない。そうであろうが?」
「そんな……。そんな……!」

 母は口を覆って、もはや言葉もでない様子である。が、今にもその場に倒れこみそうな母を傍に駆け寄って抱きかかえることも許されなかった。

「姦淫の罪など、わたくしは決して犯しておりませぬ……! 追放などと、なぜそのような……。まして、何の罪も無いナリウスに、自ら死を選ばせるなど……!」喉を絞るようにして、母は必死に言い募った。「ナリウスは、まだたった十四にございます……! どうか、どうか……!」

 母はもう涙を零してひざまずき、身も世もなく懇願していた。
 突然、父王が激怒して大声を上げた。

「そなたは、それを可愛がりすぎる──!!」

 はっと見れば、その激情は老いた父の体をぶるぶると戦慄わななかせ、両眼を鉛色に染め上げてめらめらと燃え上がらせていた。

(──なんという……)

 愕然と父を見つめて、ナリウスにはようやく分かったような気がした。
 父の感情の、その根底にあるものが。

 それは、恐ろしく子供じみた感情だった。
 父は、母を愛しすぎている。
 いや、それを愛と呼ぶのかどうか。
 今の自分には、もうよくわからない。むしろそれは「執着」とでも呼ぶほうが相応しいのかも知れぬ。
 ちょうど、小さな子供が大事な玩具を取り上げられまいとどこかに隠してしまうように。父はこの国に母を持ち去り、この十五年間閉じ込めてきた。母の心も体も独り占めにし、思うままにして、彼女を自分のものにできたと思い込んでいたのだろう。恐らく数年間はそれで満足もし、安心もしていたのだろう。
 しかし。母の心にはずっと母国の青年が住んでいたと聞かされて、父の心は次第に壊れ始めたのだ。ましてや、今までわが子と信じてきた可愛い長子の息子までが、実はその男の落とし種だなどと奸臣どもから吹き込まれ、恐らくは体の衰えのみならず、精神の平衡をも急速に崩していった──。

 父はその時、もう正気などではなかったのだ。とうの昔に。
 その身をも焼き焦がすような嫉妬の炎でヨークランドの青年貴族を恨み、母を恨み、ナリウスさえも恨んでいた。今にして思えば、もしナリウスがまこと父の実子だったとしても、その嫉妬心から逃げ切るのは難しかったのかもしれない。父の母への執着はそれほどのものだったのだ。
 父はひたすらに邪魔だったのだ、ナリウスが。自分の子であろうが他の男の子であろうが、実はどうでもよかった。自分だけのものであるべきフローラが、己が命よりも慈しみ愛するその美しい息子のことが。
 邪魔で邪魔で仕方がなかった。憎くて憎くてたまらなかったのだ。恐らくは。

(……それならば)

 ナリウスは、それらを一瞬にして理解した。
 そして、悟った。
 この場は、自分が死ぬよりほかはない。母がもし息子の命惜しさのあまりに過去の姦淫の罪など認めてしまったら、彼女の命とて危ないのだ。
 母は若い。自分がたとえここで死んでも、また王子を産む可能性は十分にある。その母の存在を、この欲に塗れた奸臣たちがこのままむざむざと許すとは思えなかった。
 だとすれば。
 自分が今この毒杯をあおるより、母をこの恐ろしい嫉妬の劫火から逃れさせるすべはない。
 ナリウスは静かに言った。

「……お母様。もういいのです」

 床に倒れこんでいたフローラがびくりとナリウスの顔を見上げた。銀色の巻き毛を乱し、涙にかき暮れていながらも、それでも母は美しかった。
 ナリウスはその顔に微笑みかけた。

「これまで育てて頂いて、本当に有難うございました……」

 その時、心からの、そしてできるだけの優しい笑顔を母に向けた。

「さようなら……お母様」

 言って、手にした杯を傾けた。

 ──しかし。

「……!!」

 それは次の瞬間、もう自分の手の中には無かった。
 はっと隣を見れば、今の今まで床に倒れていたはずの母が、隣でその杯を空けていた。さも美味しそうに。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

従僕に溺愛されて逃げられない

大の字だい
BL
〈従僕攻め×強気受け〉のラブコメ主従BL! 俺様気質で傲慢、まるで王様のような大学生・煌。 その傍らには、当然のようにリンがいる。 荷物を持ち、帰り道を誘導し、誰より自然に世話を焼く姿は、周囲から「犬みたい」と呼ばれるほど。 高校卒業間近に受けた突然の告白を、煌は「犬として立派になれば考える」とはぐらかした。 けれど大学に進学しても、リンは変わらず隣にいる。 当たり前の存在だったはずなのに、最近どうも心臓がおかしい。 居なくなると落ち着かない自分が、どうしても許せない。 さらに現れた上級生の熱烈なアプローチに、リンの嫉妬は抑えきれず――。 主従なのか、恋人なのか。 境界を越えたその先で、煌は思い知らされる。 従僕の溺愛からは、絶対に逃げられない。

カフェ・コン・レーチェ

こうらい ゆあ
BL
小さな喫茶店 音雫には、今日も静かなオルゴール調のの曲が流れている。 背が高すぎるせいか、いつも肩をすぼめている常連の彼が来てくれるのを、僕は密かに楽しみにしていた。 
苦いブラックが苦手なのに、毎日変わらずブラックを頼む彼が気になる。 今日はいつもより温度を下げてみようかな?香りだけ甘いものは苦手かな?どうすれば、喜んでくれる? 「君の淹れる珈琲が一番美味しい」
苦手なくせに、いつも僕が淹れた珈琲を褒めてくれる彼。 照れ臭そうに顔を赤ながらも褒めてくれる彼ともっと仲良くなりたい。 そんな、ささやかな想いを込めて、今日も丁寧に豆を挽く。 甘く、切なく、でも愛しくてたまらない―― 珈琲の香りに包まれた、静かで優しい記憶の物語。

病弱の花

雨水林檎
BL
痩せた身体の病弱な青年遠野空音は資産家の男、藤篠清月に望まれて単身東京に向かうことになる。清月は彼をぜひ跡継ぎにしたいのだと言う。明らかに怪しい話に乗ったのは空音が引き取られた遠縁の家に住んでいたからだった。できそこないとも言えるほど、寝込んでばかりいる空音を彼らは厄介払いしたのだ。そして空音は清月の家で同居生活を始めることになる。そんな空音の願いは一つ、誰よりも痩せていることだった。誰もが眉をひそめるようなそんな願いを、清月は何故か肯定する……。

劣等アルファは最強王子から逃げられない

BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。 ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。

俺の可愛い幼馴染

SHIN
恋愛
俺に微笑みかける少女の後ろで、泣きそうな顔でこちらを見ているのは、可愛い可愛い幼馴染。 ある日二人だけの秘密の場所で彼女に告げられたのは……。 連載の気分転換に執筆しているので鈍いです。おおらかな気分で読んでくれると嬉しいです。 感想もご自由にどうぞ。 ただし、作者は木綿豆腐メンタルです。

運命の番ってそんなに溺愛するもんなのぉーーー

白井由紀
BL
【BL作品】(20時30分毎日投稿) 金持ち‪社長・溺愛&執着 α‬ × 貧乏・平凡&不細工だと思い込んでいる、美形Ω 幼い頃から運命の番に憧れてきたΩのゆき。自覚はしていないが小柄で美形。 ある日、ゆきは夜の街を歩いていたら、ヤンキーに絡まれてしまう。だが、偶然通りかかった運命の番、怜央が助ける。 発情期中の怜央の優しさと溺愛で恋に落ちてしまうが、自己肯定感の低いゆきには、例え、運命の番でも身分差が大きすぎると離れてしまう 離れたあと、ゆきも怜央もお互いを思う気持ちは止められない……。 すれ違っていく2人は結ばれることができるのか…… 思い込みが激しいΩとΩを自分に依存させたいα‬の溺愛、身分差ストーリー ★ハッピーエンド作品です ※この作品は、BL作品です。苦手な方はそっと回れ右してください🙏 ※これは創作物です、都合がいいように解釈させていただくことがありますのでご了承くださいm(_ _)m ※フィクション作品です ※誤字脱字は見つけ次第訂正しますが、脳内変換、受け流してくれると幸いです

孤毒の解毒薬

紫月ゆえ
BL
友人なし、家族仲悪、自分の居場所に疑問を感じてる大学生が、同大学に在籍する真逆の陽キャ学生に出会い、彼の止まっていた時が動き始める―。 中学時代の出来事から人に心を閉ざしてしまい、常に一線をひくようになってしまった西条雪。そんな彼に話しかけてきたのは、いつも周りに人がいる人気者のような、いわゆる陽キャだ。雪とは一生交わることのない人だと思っていたが、彼はどこか違うような…。 不思議にももっと話してみたいと、あわよくば友達になってみたいと思うようになるのだが―。 【登場人物】 西条雪:ぼっち学生。人と関わることに抵抗を抱いている。無自覚だが、容姿はかなり整っている。 白銀奏斗:勉学、容姿、人望を兼ね備えた人気者。柔らかく穏やかな雰囲気をまとう。

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

処理中です...