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昔の癖
けれど安堵した途端、ふっと冷静になった。
「すみません。私の着替えを……と言いましたけど、私のじゃ一慶さんには合わないですよね……」
シンプルなものが好きだから、デザインは彼にも似合うだろう。
だけど問題はサイズだ。多分、身長は十五センチは違う。
それに洋服の上からでもわかるほど、鍛えられた身体。厚みも全く違う。
大きめのパジャマはなんとか着れたとしても、下着は確実に入らない。
「近くのコンビニで下着でも……」
そう言いかけたところで、一慶が優しく微笑んだ。
「大丈夫です。仕事柄急に家を空けることも多いので、車に数日分の着替えは載せているんですよ」
「ああ、そうなんですか」
公認会計士の仕事も出張は多い。繁忙期の時は数ヶ月単位で出張に行かされる同僚も多かった。
彼らもまた不測の事態に対応できるように、車に着替えを入れておくという話を聞いたことがある。
私が任されていたクライアントは比較的都市部が多く、長くても一泊程度の出張が多かった。
多分、それはシングルファーザーの私を気遣ってのことだったんだろう。
その点、自分の会社を経営しているとなると、自分だけに配慮することは難しい。
「出張が多いと、大変だったでしょう? 大我くんも寂しかったのでは?」
問いかけると、一慶は少しだけ視線を落とした。
「ええ、寂しかったでしょうね」
あっさりとした言い方だったけれど、気持ちが込められているのがわかる。
「なるべく夜には帰るようにしていましたが、決算期はそうもいかなくて……寝顔を見てから家を出ることもありましたよ」
「起こさずに?」
「起きていると、行かないでと言われそうで」
冗談めかしていうが、その目は少しだけ遠くを見ている。
「大我は本当に何も言わない子でした。寂しいとも、不満も……。その代わり、私の帰りが遅い時は、必ずリビングの電気をつけたままにしていて」
思い出しているのだろう、一慶がふっと笑みを浮かべる。
「どうして、電気を?」
「真っ暗だと帰ってきた時寂しいだろうからって」
その言葉に、思わずグラスを持つ手に力が入った。
子どもが父親を気遣っていたのだ。
「大我くんは本当に優しい子ですね」
「真宙くんもそうでしょう?」
「ええ、優しいですよ。私が無理をしていると、すぐに気づく」
――お父さん。無理しちゃダメだよ。
そう何度言われたことか……
ワインの栓を抜く音が小さく響く。
グラスに注がれる赤い液体を見つめながら、一慶に視線を向けた。
ワインの赤が、ゆらりと揺れる。
彼も、私と同じようにずっと一人で踏ん張ってきたのだ。
「一人で育てるのは、簡単ではありませんよね」
ポツリとこぼすと、一慶は静かに頷いた。
「でも、真人さんも同じでしょう? 今日は懐かしい思い出をいっぱい話しましょう」
静かにグラスを渡される。
軽く触れ合わせると、小さな音が静かな部屋に溶けた。
一口含むと柔らかな渋みが広がる。
そこにナッツチョコレートを含むと、一気に甘さと香りが引き立った。
「わっ、美味しい!」
あまりにも美味しすぎて、子どもみたいな感想を漏らしてしまったが、一慶も同じようにナッツチョコレートを口に運び「本当に美味しいですね」と笑顔を浮かべた。
一慶がグラスを静かにテーブルにおく。
「口元に……」
一慶の指先がそっと私の唇の端に触れる。
「チョコレートが」
その一言だけで、距離が一気に縮まる。
触れた指の温もりが伝わってきて、私は息を呑んだ。
けれど、離れていくのが惜しいとすら思ってしまった。
「あの……」
「あ、すみません。昔の癖で……」
幼い大我にもこうして口元を拭ってあげていたのだろう。
気にすることはないのに、なぜか胸の高鳴りがおさまらない。
「着替えを持ってきますね」
思い出したようにスッと立ち上がり、部屋を出ていく一慶を私は静かに見つめていた。
戻ってきた一慶の手には、小さめのスタイリッシュなボストンバッグ。
一慶に似合っているが、数日分を入れるには小さそうな気がする。
私の視線に一慶も気づいたのかもしれない。
「これ、小さいと思ったでしょう? でも意外と入るんですよ」
玩具箱でも開くように楽しそうにボストンバッグのファスナーを開ける。
一慶の性格が表れているようで、綺麗に入れられた中身は確かに想像より多い。
「あ、これ。よかったら使ってください」
渡されたのは小さなボトルが二種類。
「これは?」
「一般流通されていないシャンプーとボディーソープです。お試し用なので、よかったら使ってみてください。特に肌の弱い人に向いているみたいですよ」
そう言われて、一気に興味が湧いたのは私がすぐにかぶれやすい体質だからだ。
「へぇ、いいですね。実は、私も真宙も少し刺激が強いとすぐに赤くなってしまって……」
「それならちょうどよかった。私も昔、大我が小さい時に色々試したんですよ」
父の愛、だな。
少し大我が羨ましく思える。
そんな感情が芽生えて、ふっと我に返る。
なんで、今……羨ましいと思ったんだ?
大我に向けられていたはずの優しさを、ほんの一瞬、自分に向けられたような気がしたからだろうか?
そんなはずはない。
ただ、同じ父親として共感しただけだ。
それなのに、胸の奥が妙にざわついている。
どうしてなんだろう……
「すみません。私の着替えを……と言いましたけど、私のじゃ一慶さんには合わないですよね……」
シンプルなものが好きだから、デザインは彼にも似合うだろう。
だけど問題はサイズだ。多分、身長は十五センチは違う。
それに洋服の上からでもわかるほど、鍛えられた身体。厚みも全く違う。
大きめのパジャマはなんとか着れたとしても、下着は確実に入らない。
「近くのコンビニで下着でも……」
そう言いかけたところで、一慶が優しく微笑んだ。
「大丈夫です。仕事柄急に家を空けることも多いので、車に数日分の着替えは載せているんですよ」
「ああ、そうなんですか」
公認会計士の仕事も出張は多い。繁忙期の時は数ヶ月単位で出張に行かされる同僚も多かった。
彼らもまた不測の事態に対応できるように、車に着替えを入れておくという話を聞いたことがある。
私が任されていたクライアントは比較的都市部が多く、長くても一泊程度の出張が多かった。
多分、それはシングルファーザーの私を気遣ってのことだったんだろう。
その点、自分の会社を経営しているとなると、自分だけに配慮することは難しい。
「出張が多いと、大変だったでしょう? 大我くんも寂しかったのでは?」
問いかけると、一慶は少しだけ視線を落とした。
「ええ、寂しかったでしょうね」
あっさりとした言い方だったけれど、気持ちが込められているのがわかる。
「なるべく夜には帰るようにしていましたが、決算期はそうもいかなくて……寝顔を見てから家を出ることもありましたよ」
「起こさずに?」
「起きていると、行かないでと言われそうで」
冗談めかしていうが、その目は少しだけ遠くを見ている。
「大我は本当に何も言わない子でした。寂しいとも、不満も……。その代わり、私の帰りが遅い時は、必ずリビングの電気をつけたままにしていて」
思い出しているのだろう、一慶がふっと笑みを浮かべる。
「どうして、電気を?」
「真っ暗だと帰ってきた時寂しいだろうからって」
その言葉に、思わずグラスを持つ手に力が入った。
子どもが父親を気遣っていたのだ。
「大我くんは本当に優しい子ですね」
「真宙くんもそうでしょう?」
「ええ、優しいですよ。私が無理をしていると、すぐに気づく」
――お父さん。無理しちゃダメだよ。
そう何度言われたことか……
ワインの栓を抜く音が小さく響く。
グラスに注がれる赤い液体を見つめながら、一慶に視線を向けた。
ワインの赤が、ゆらりと揺れる。
彼も、私と同じようにずっと一人で踏ん張ってきたのだ。
「一人で育てるのは、簡単ではありませんよね」
ポツリとこぼすと、一慶は静かに頷いた。
「でも、真人さんも同じでしょう? 今日は懐かしい思い出をいっぱい話しましょう」
静かにグラスを渡される。
軽く触れ合わせると、小さな音が静かな部屋に溶けた。
一口含むと柔らかな渋みが広がる。
そこにナッツチョコレートを含むと、一気に甘さと香りが引き立った。
「わっ、美味しい!」
あまりにも美味しすぎて、子どもみたいな感想を漏らしてしまったが、一慶も同じようにナッツチョコレートを口に運び「本当に美味しいですね」と笑顔を浮かべた。
一慶がグラスを静かにテーブルにおく。
「口元に……」
一慶の指先がそっと私の唇の端に触れる。
「チョコレートが」
その一言だけで、距離が一気に縮まる。
触れた指の温もりが伝わってきて、私は息を呑んだ。
けれど、離れていくのが惜しいとすら思ってしまった。
「あの……」
「あ、すみません。昔の癖で……」
幼い大我にもこうして口元を拭ってあげていたのだろう。
気にすることはないのに、なぜか胸の高鳴りがおさまらない。
「着替えを持ってきますね」
思い出したようにスッと立ち上がり、部屋を出ていく一慶を私は静かに見つめていた。
戻ってきた一慶の手には、小さめのスタイリッシュなボストンバッグ。
一慶に似合っているが、数日分を入れるには小さそうな気がする。
私の視線に一慶も気づいたのかもしれない。
「これ、小さいと思ったでしょう? でも意外と入るんですよ」
玩具箱でも開くように楽しそうにボストンバッグのファスナーを開ける。
一慶の性格が表れているようで、綺麗に入れられた中身は確かに想像より多い。
「あ、これ。よかったら使ってください」
渡されたのは小さなボトルが二種類。
「これは?」
「一般流通されていないシャンプーとボディーソープです。お試し用なので、よかったら使ってみてください。特に肌の弱い人に向いているみたいですよ」
そう言われて、一気に興味が湧いたのは私がすぐにかぶれやすい体質だからだ。
「へぇ、いいですね。実は、私も真宙も少し刺激が強いとすぐに赤くなってしまって……」
「それならちょうどよかった。私も昔、大我が小さい時に色々試したんですよ」
父の愛、だな。
少し大我が羨ましく思える。
そんな感情が芽生えて、ふっと我に返る。
なんで、今……羨ましいと思ったんだ?
大我に向けられていたはずの優しさを、ほんの一瞬、自分に向けられたような気がしたからだろうか?
そんなはずはない。
ただ、同じ父親として共感しただけだ。
それなのに、胸の奥が妙にざわついている。
どうしてなんだろう……
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