大富豪ロレーヌ総帥の初恋

波木真帆

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悪意の訪問者

アイリスと百合はフランスの国花。
ニコラのことを愛し続けていたアマネにはぴったりの花だろう。
そしてそれにたくさんのカーネーションで埋め尽くした祭壇は美しいアマネをより一層輝かしく見せた。

カーネーションはフランスでは墓に供える花、お悔やみ用の花として一般的だ。
だが、今回祭壇にカーネーションを入れるようにと言ったのは、アマネがクローゼットに大切に保管していたユヅルの手作りのカーネーションを見たからだ。
調べると、日本では母の日にカーネーションを贈る風習があるらしい。
おそらくあの手作りのカーネーションもきっとユヅルがアマネへの感謝の気持ちをこめて作ったものなのだろう。

ならば、きっとアマネもその花で送られたいと思っているはずだ。
そう信じて、私はセルジュにカーネーションを加えるように指示したのだ。

ユヅルは私のその意図に気づき、嬉しそうに涙を流した。
それだけでユヅルの思いが伝わってきて嬉しかった。

ユヅルの手を取り、アマネの眠る棺へと向かう。
十数年ぶりに見るアマネは確かに多少年齢を重ねていたが、あの時とほぼ変わらない綺麗な顔立ちをしていた。

ユヅルは一瞬だけビクリと身体を震わせたが、すぐにアマネのすぐ横にしゃがみ込み、

「……か、あさん……」

と弱々しく声をかけ、涙を流しながらアマネの頬にそっと触れていた。

その絵画のような美しさに私もセルジュも言葉を失い、ただ二人の最期の別れを静かに見守った。
ユヅルがアマネへどのような言葉をかけたのかはわからない。
だが、必死に悲しみを乗り越えようとするその姿を私は必死に目に焼き付けた。


フランス式で行った葬儀は神父の聖書の朗読に始まり、聖歌を歌った。
おおよそ日本の厳かな葬式とは違っただろうが、ユヅルは終始穏やかな表情でアマネの棺を見ていた。

そろそろ葬儀も終わるかという頃、私はユヅルに声をかけた。

「ユヅル……最後にアマネにヴァイオリンを聴かせてあげないか?」

その言葉に一瞬驚きの表情を見せたが、ニコラとアマネのストラディヴァリウスを手渡すと、スッと立ち上がり、ヴァイオリンを構えてみせた。

小さく深呼吸したユヅルから奏られた曲は

Hymne à 愛のl'amour讃歌

ニコラと比べれば、技巧的にはもちろん拙いだろう。
だが、アマネとニコラへの深い愛がひしひしと伝わってくる。
両親への思いを乗せて、感情のままに弾いていたユヅルの目からは涙が伝っていた。

その素晴らしい演奏に、私もセルジュも、そして神父も……その場にいる全員が胸を打たれていた。

アマネの棺はその後、火葬場に向かい、アマネが空へと昇っていく様をユヅルとセルジュと3人で見送り、美しい骨壷にアマネの骨を収めた。

ユヅルはそれを小さな身体で大事に抱え、ようやく家に戻った。
アマネにしてみれば事故の日からようやく自宅に帰り着いたのだ。
きっと喜んでいることだろう。

ユヅルがそっとアマネの骨壷を畳間の棚に置いたと思ったら、ゆらりとユヅルの身体がふらつき、そのまま倒れ込んだ。

声を張り上げながら慌ててユヅルに近づき、床に倒れる一瞬前にユヅルを抱き止めることができた。

「ユヅルっ!」

声をかけたが血の気を失い、顔が青白くなっている。

『おそらくアマネさまのご葬儀を無事に終えられて緊張の糸が切れたのでしょう。すこし休ませて様子を見ましょう』

セルジュがユヅルの脈を診てそういうのだから間違いはないだろう。
私はそのままユヅルを抱き上げ、ベッドへ寝かせた。

リビングへ戻ると、セルジュがせっせと荷造りをしている。

『明日、東京へお帰りになりますよね?』

『そうだな。もちろんユヅルも一緒だぞ』

『承知しております。選別していただいた荷物はすでに業者に手配しておりますので明日の朝、荷物を運び出します。それを見届けてから東京に向かうということでよろしいでしょうか?』

『ああ、それでいい。あのストラディヴァリウスはどうする?』

『あちらだけは専門の業者を頼んでおりますので、しっかりと梱包をさせてから機内に持ち込みます』

『わかった。それでいい。この家はどうした?』

『この家の手続きも全て滞りなく済ませております。ユヅルさまの学校へは転校の手続きも済ませておりますのでご心配なく』

『お前がいてくれて本当に助かる』

『いいえ、全てはユヅルさまのためですから』

『ふふっ。そうだな。お前は本当にユヅルを気に入ったようだな。あまり優しくしていると、お前のmon lapinうさぎちゃんが妬くんじゃないか?』

『問題ありません。私の可愛いうさぎもきっとユヅルさまを気にいるはずですから』

にっこりと微笑むセルジュは恋人を絶対的に信頼している。
その一途な愛に驚かされたものだが、ユヅルを知ってからはようやくセルジュの気持ちがわかった。
本当に愛するものに出会えば、一途になるものなのだな。

この穏やかな雰囲気をかき消すように、玄関のチャイムがピンポンと鳴った。

我々以外に尋ねてくることなどないはずのこの家に一体誰が来たというのか。

ユヅルを起こしたくないのだろう。
セルジュが急いで玄関へ向かったあとを追いかけ、私も玄関へと向かうとシルエットが二つ見える。

もしや……。

いや、間違い無いだろう。

決してユヅルに知られるわけにはいかない。
私はセルジュと顔を見合わせ、玄関を開けるとすぐに外に出て、玄関をピシャリと閉めた。

客人は我々の姿に狼狽した様子だったが、

「何しに来たのだ?」

我々が日本語がわかるやいなや、突然大声で怒鳴りつけてきた。

「知り合いの伝手で天音が事故死したと知って、天音の子どもがひとりになったのを可哀想に思ってわざわざこんな田舎くんだりまで迎えに来てやったっていうのに、何しに来たとはなんて言い草だ!!」

「そうですよ! 私たちはその可哀想な孫を助けるためにこんなところまで来てやったんですよ」

「来てやっただと? ふざけるな! 裁判所から接近禁止命令が出ているはずだ。お前たちを彼には会わせない。絶対にな」

「大した血のつながりもないあんたがなんの権限があってそんなことを? 私たちはね、あの子の祖父母なのよ! 天音が死んだ今、親権者は私たち。だから、裁判したって私たちが勝つのよ!」

「はっ。勝手なことをほざくな。お前たち、何が目的だ? お前たちが欲しいのは彼じゃないだろう?」

アマネが亡くなって急にユヅルに言い寄ってくるこいつらに反吐が出る。
私は怒りを震わせながら目の前の二人を睨み続けた。

「私は聞いたんだ。天音があの男からかなりの価値のあるヴァイオリンを手に入れたってな」

やっぱり、ニコラのストラディヴァリウスが目的だったか……。

おそらくニコラが亡くなったあと、我が家にも探しにきていた奴らがアマネの存在を知り、アマネの実家にまでストラディヴァリウスを持っていないか尋ねにいったのだろう。
10億にもなるヴァイオリンだと聞いて、こいつらはアマネのことを血眼になって探していたに違いない。
いや、正確にいえばアマネではなく、探していたのはニコラのあのストラディヴァリウスか。

「天音はあの時、病院から抜け出して姿を暗ます前に、自宅からあのヴァイオリンだけを持って逃げだしやがったんだ。あれが価値あるものだとわかっていたんだろう。だから、天音の行方をずっと探していた。あのヴァイオリンさえ手に入ったら、いや、もしすでに売り飛ばしていたとしてもその金が手に入りさえすれば、天音がしでかしたことを許してやろうと思っていたのに……。なぜか天音の行方はどこに調べさせてもわからずじまい。最後に頼んだ興信所で、ようやく何者かが天音の行方を私たちに知らせないように圧力をかけていることがわかった。どうせ、それがお前らなんだろう? あの金を独り占めしようだなんて図々しいんだよ!! 結局お前たちも俺たちと同じじゃないかっ!」

なるほどな。
そうまでしてアマネの行方を探していたのか……。

アマネの行方を漏らさないように圧力をかけたのは父だ。

父はアマネを全力で支援すると決めたが、アマネはそれをよしとしなかった。
ニコラとの愛の結晶を必ず自分だけで守り抜くのだといって出産時以降、父からの援助を受けなかった。

だからこそ、父は表立っての援助をやめた。
そして、アマネが気づかないように裏からそっと支援していたのだ。

目の前にいる奴らがアマネの行方を探しているのを知って、日本中の興信所や調査員に圧力をかけアマネの情報を流さないようにした。
そのおかげで今の今までアマネとユヅルの生活は保たれていたのだ。

ところが、今回アマネが亡くなったことでその均衡が崩れた。
だからこうしてユヅルの居場所を突き止めここまでやってきたのだ。

だが、残念だな。
もうすでにセルジュが全ての真実を暴いた。

お前たちに勝ち目など何もない。


「言いたいことはそれだけか?」

「なにっ?」

「アマネが逃げ出したのはお前らに子どもを奪われそうになったからだろう? 勝手に中絶させようとしたくせに、今更自分たちの孫だと主張するのは都合が良すぎるんじゃないのか?」

「そんなこと関係ないだろう! 現に生まれてるんだ。私たちの孫に変わりはない」

「孫、ねぇ……。そもそもお前たちとアマネには血縁関係がないだろう? アマネは生まれてすぐに施設に入れられ、お前たちが引き取った。だが、アマネが病院を抜け出し、金ヅルだったアマネの行方が分からなくなって自分達にメリットがなくなったと思って、お前はすぐにアマネとの養子縁組を解消した。その後だろう? アマネが10億もの価値のあるヴァイオリンを持っていると知ったのは。慌てて、養子縁組を再度しようとしたが、本人が行方不明中のため認められず、結局今もまだ養子縁組は解消したままのはずだ」

「くっ――! なぜ、それをお前が知ってるんだ!」

「そんなことはどうだっていい。つまり、お前たちが彼を孫だと主張する理由はどこにもないってことだ! わかったらさっさとここから出ていけっ!」

「くそっ! ふざけた真似しやがって! けっ、どうせお前はその天音の子をうまく誑かして10億いただく算段なんだろう? お前も俺たちと同じ穴のムジナだ!」

「なんだとっ、貴様――っ!!」

こんな奴らと同じだと言われて、思わず怒りを抑えることができなかった。
手を出してはダメだと思いつつも、私は怒りに震え目の前の男に殴りかかろうとした。

その時だった。

「エヴァンさんっ、やめてっ!!」

玄関の扉が開き、ユヅルの悲痛な声が響き渡ったのは。
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