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落ち着く場所  <side晴>

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しばらく経って、サイレンの音を響かせながら何台か近づいてくるのが聞こえた。

覆面パトカーというやつだろうか?
屋根に赤色灯をつけた車が一台僕たちの傍までやってきた。
停まるとすぐに扉が開き、

「香月くんかな?」

と声を掛けながら走り寄ってくる。

ああ、この声は森崎刑事だ。
良かった。

「はい。そうです」

森崎刑事は僕と彼女の間に立つと、

「少しお話聞けるかな?」

と彼女に話を聞き始めた。

「……は、はい。歩いていたら突然後ろから抱きついてきて……咄嗟に大声をあげたんです。そうしたら、パッと手を離して走って逃げていって……」

「そこに香月くんたちがやってきたわけだね?」

「はい。僕たち、あのスーパーからアパートに帰ってる途中で急に悲鳴が聞こえて、ここにむかっている最中に逃げるように走ってくる男の人とすれ違って……あっ、そういえば隆之さんが追いかけて行ったんですけど」

「ああ、それなら大丈夫。こちらに向かうときに早瀬さんと会って、不審者を捕まえてましたよ。本人が罪を認めているので逮捕しています」

そうなんだ、すごい!
結構離れていたのに、追いついて捕まえられるなんて、どれだけ足が速いんだろう。

「……あっ、そうなんですね……捕まったんだ、良かった……」

彼女はそう言うと、腰が抜けたようにまたフラフラと地面に座り込んだ。

「大丈夫ですか?」

僕は慌てて彼女に手を差し出すと、
『ありがとうございます』と言ってゆっくりと立ち上がった。

森崎刑事は彼女の様子を見て、事情聴取は明日にした方がいいと思ったのか、

「とりあえず、今日はもう遅いですし家までお送りしますね」

と言って彼女を連れて行こうとした。

すると、彼女は僕の手をぎゅっと握って、

「あ、あのお礼がしたいので、れ、連絡先教えて貰えませんか?」

と言ってきた。

そんなお礼を言われるようなことをしてないし、どちらかと言えば隆之さんのほうが……。

「いえ、お礼をしていただくようなことは何もしてませんから、お気遣いなく」

笑顔でそう返した。

「あっ、でも……」

彼女が再度声をかけてきた瞬間、後ろから

「晴! 大丈夫か?」

と隆之さんの声が聞こえた。

「あっ、隆之さん! 隆之さんの方こそ大丈夫ですか? 怪我とかしていないですか? 捕まえたって聞いてびっくりしましたよ!」

「ああ、心配かけて悪かった。もう警察の人に引き渡したから大丈夫だよ」

「ああ、本当によかった」

ホッとして思わず隆之さんに抱きついてしまった。

「あの、早瀬さん……」

後ろから森崎刑事の声が聞こえる。

あっ、抱きついちゃったの見られてしまったかも……。

僕は恥ずかしくて、隆之さんの背中にさっと隠れた。

「森崎刑事が来てくださって助かりましたよ」

隆之さんは僕とは対照的に何も気にすることなく、森崎刑事に話しかけた。

「いえ、ですが……捕まえてくださったのは大変有り難いですが、相手が刃物や銃といった凶器を持っている場合もありますから、あまり無理されないでくださいね」

「ははっ。つい……すみません」

「いや、でも正直なところ助かりました。ここ、最近被害が多くて今週3件目だったんです。手口が似てるので、同一犯の可能性もありますし」

「そうですか。あっ、彼女ですか?」

隆之さんは森崎刑事の隣で佇んでいた彼女に目を向けた。

彼女の目が一瞬輝いたように見えた。

あっ、もしかしたら隆之さんに興味を持ったのかな?
僕に連絡先を聞いてきたように隆之さんにも聞くだろうか?
ただのお礼なら良いけれど、隆之さんと仲良くなりたいと思っているのならちょっとイヤかも……。

そんなことを思っていると、やはりというか当然というか、彼女はやっぱり隆之さんにも連絡先を聞いていた。

「いえ、そんなお礼を言われるようなことはしてませんからお気になさらず」

僕の時と同じように断られたことが少しショックだったらしく、彼女は少し俯いていた。

「あの、お家までお送りしますね」

森崎刑事がそう言うと、彼女は拗ねたような声で

「もう、すぐそこなんで大丈夫です」

と答えた。

「いや、事件のことも親御さんに話さないといけないから、一緒に行くよ。あ、そういえば名前を聞いて良いかな」

「林田梨々香りりかです」

「えっ? 林田って……もしかして?」

僕と隆之さんは顔を見合わせた。

「早瀬さん、お知り合いですか?」

「いや、晴のアパート  の大家さんが林田さんと仰って、この辺に住んでいらっしゃるとうかがっていたのでもしかしたらと思って……」

その言葉に彼女も反応した。

「ああ、なら父のことだと思います。アパートとかマンションとかの経営やってるので」

そうか、そう言われれば大家さんに似てる気がする。

「それなら、私たちも一緒に家まで伺っても宜しいですか?」

隆之さんが彼女と森崎刑事にそう告げると、彼女は不思議そうな顔をしながらも『うん』と頷いた。

僕たちは森崎刑事と共に彼女―林田梨々香さんの家へと一緒に向かった。

彼女は鞄から鍵を取り出し扉を開けると、玄関先から大声を出して父親である大家さんを呼びだした。

「梨々香、なんだ! 玄関先で大声を出したりして! 女の子なんだから――って、あれ? どちらさまですか?」

大家さんには彼女と森崎刑事の姿しか見えていないのだろう、僕たちが扉からひょっこり顔を出すと

「あれ? 香月くんに……それから早瀬さんまで。どうされたんですか?」

と何がなんだかわからないと言った様子で驚いていた。

「夜分遅くに申し訳ありません。私、東巫ひがしかんなぎ署の刑事で森崎と申します。先ほど、お宅のお嬢さんが何者かに襲われたところにこちらのおふたりが居合わせて助けてくださいました。特に目立った外傷などはありませんが、念のためご自宅までお送りさせていただきました」

「えっ? 襲われたって……梨々香! 大丈夫なのか?」

林田大家さんは、慌てた様子で彼女のところまで駆け寄ると、彼女も父親にあって緊張の糸が緩んだのか、急に泣き始めた。

「急に、後ろから……ひくっ、抱きつかれて、驚いて……ひくっ、叫んだら、この人が走ってきてくれて……ひくっ」

「香月くん、ありがとう! 君のおかげで助かったよ」

心からのお礼を言われて、僕は少しむずがゆい気持ちになった。
実際に犯人を捕まえたのは隆之さんだし、僕は警察に電話しただけだ。
特別なことは何にもしていない。

「今日はたまたまあのアパートに久しぶりに帰ってきてたんです。悲鳴が聞こえて駆けつけただけで、僕は何にもしてません。それよりも犯人を捕まえたのは早瀬さんの方で……」

そういって、隆之さんの方を向くと

「いえ、私も晴がすれ違ったあの人が怪しいと叫んだので捕まえただけで特別なことはしてません。お気になさらず。娘さんに何もなくて良かったです」

そう優しく告げていた。

「いずれにしてもうちの娘が怪我もなく、すぐに犯人が捕まったのはお二人のおかげです。ありがとうございます」

そういってゆっくり頭を下げた後、

「梨々香、先に中に入って風呂にでも入りなさい」

彼女にそういうと、さっと家の中に入らせた。

彼女が部屋の奥まで入ったことを確認してから、林田さんは森崎刑事に犯人のことを聞き始めた。

「それで、犯人はどんな奴なんですか?」

「まだ事情聴取もしてませんので、詳しいことは分かりませんがここ最近似たような事件が何件かこの辺りで発生していて手口が似ていることから同一犯の犯行だと思われます」

「ということは、無作為に狙っているということですか?」

「そうですね……その可能性もあります」

森崎刑事の言葉に隆之さんが気になることを言い始めた。

「いや、あの男は彼女―梨々香さんを狙っていたと思います」

その言葉に僕も林田さんも森崎刑事も驚きの表情を隠せなかった。

「えっ? それはどういうことですか?」

林田さんは今にも飛び付かんばかりに隆之さんに近づいている。

「……実は犯人を取り押さえた時に、言ってたんです……『やっと見つけたのに』って。だから、恐らく今までの事件は彼女と間違えて襲ってしまって、今日やっと本人にたどり着いたということではないかと……」

その話を聞いて、林田さんの顔がサァーッと真っ青になった。

「でも、犯人は捕まりましたし当分は大丈夫だと思います。ただ……出てきた時にまた梨々香さんを狙わないとも限らないので何か対策は取っておいた方がいいですね。梨々香さんにも心当たりがないか確認した方がいいです」

隆之さんがそう言うと、林田さんは弱々しく『わかりました』と口にした。

その姿が少し前の僕の姿を見ているようでどうしても林田さんと話しておきたくて僕はさっと林田さんの前に立った。

「大家さん、何かあったらいつでも連絡してくださいね」

「香月くん……ありがとう。君も大変だったのに……」

「僕も隆之さんや刑事さんのおかげで事件解決したんですよ! 僕はもう大丈夫です!」

そう言って笑顔を見せると、林田さんも少しホッとしたような表情を見せてくれた。

「今日はアパートに帰るんだろう? 君がちょうど帰ってくる日で助かったよ。本当にありがとう!」

「たまたま明日部屋に人を招待することになってて、その料理の支度のために夜から来たんです。だから、言ってみればうちに来たいって言ってくれた長谷川さんのおかげですね。ふふっ」

隆之さんの方に振り返ってそう言ってみると、そうだなと言って笑ってくれた。

森崎刑事がまた明日話を聞きに伺いますと言って、今日はそのまま林田さんの家を後にした。

アパートまで森崎刑事に送ってもらって、やっと家の中に入るとどっと疲れが押し寄せてきた。

「晴、疲れただろ? まだ明日の料理の仕込みも残ってるし、先に風呂に入るといい」

「はぁい、じゃあ先に入らせてもらいますね!」

久しぶりの自分の家のお風呂はなんだか他所の家に遊びにきたような気分になってしまい、気づかない間に僕の落ち着くところは隆之さんの家になってしまっているんだなと改めて感じていた。

「お先にいただきました」

そう言ってお風呂場から出ると、隆之さんが可笑しそうに笑って

「なんか他人行儀だな。ここは晴の家なんだから家主の晴が先でいいんだよ」

と頭を撫でてくれた。

そういえばそうか……と思いながらも、ここが自分の家だという感覚がなくなってきてるなと改めて思っていた。

「隆之さんがお風呂入ってる間に、パンの仕込みしちゃいますね!」

「ええっ? 俺も見てみたいからパンは後から一緒にやろう」

「ふふっ。いいですよ」 

そう言うと、隆之さんは嬉しそうに急いでお風呂場へと向かった。

オニオングラタンスープのための玉ねぎを薄くスライスにして、弱火でじっくり飴色になるまで炒めていく。
焦げないように焦げないようにじっくり炒めていくと、美味しそうな色に炒め終わった。

スープは明日の朝から煮込めばいいかと炒めた玉ねぎをタッパーに入れて冷蔵庫にしまっておく。

次はデザートのチーズケーキ作りだ。

まずはタルト生地を作り、重石を乗せて焼いていく。

「おっ、甘くて美味しそうな匂いがしてるな」

「今、チーズケーキのタルト生地を先に焼いてるんですよ」

「すごいな、これも作れるのか」

オーブンの中を覗き込みながら、感心したように言う隆之さんがなんだかとても可愛く思えた。

タルト生地を焼いている間に柔らかくなったクリームチーズに砂糖や生クリーム、レモン汁などを加えたケーキ生地を作っていく。

指先で少し掬って、

「隆之さん、どう?」

と口に持っていくと隆之さんは驚いていたけど、僕の意図に気づいたのか、パクッと口を開け、僕の指先を舐めとってくれた。

「うん、美味しいな。でも……」

「なにか変な味しましたか?」

「いや、晴の指の方が甘いなと思って」

耳元でそんなことを囁かれたら、恥ずかしくて何もできなくなってしまう。

「もう! これから味見なしにしますよ!」

そう言うと、ごめん、ごめんと楽しそうに笑っていた。

香ばしく焼けたタルト生地に、さっきの生地を流し込んで焼いていく。

うん、今日のチーズケーキは今のところバッチリだ!

みんなに喜んでもらえたらいいな。

さぁ、あとの仕込みはメインディッシュのライ麦ショコラパン。

今日はせっかく前日から仕込みに来たことだし、オーバーナイトで作ってみようと思っている。

冷蔵庫で低温発酵させるこのやり方は食べたい時に焼きたてのパンが食べられるのがメリットだ。

捏ねるのもそこまで強くしないでいいから、隆之さんもいることだし今日はホームベーカリー  は使わなくてもいいかな。

材料を混ぜ合わせてパン生地を作っていく。
それを隆之さんは不思議なものを見るようにじっくり眺めていた。

出来上がった生地を蓋がカチッと嵌まる大きめのタッパーに入れて冷蔵庫にしまっておく。

これで明日の準備は万端だ!

「晴、明日のために早く寝るか?」

布団を干しておく時間がなくてどうしようかと思っていたけれど、隆之さんが高木さんに布団乾燥機をお願いしてくれていたおかげで、僕が明日の準備をしている間に布団は干したみたいにふっかふかだ。

太陽の匂いとは違うけれど、ずっと締め切った部屋に置いておいた布団とは思えないほど気持ちいい。
やっぱり布団乾燥機ってすごいな。

1人用の布団しかなくて申し訳ないけれど、隆之さんはくっついて寝たらいいじゃないかと言ってくれて嬉しかった。

「俺も大学の時はこんな小さい布団だったな。懐かしい」

そんな想い出にひたる隆之さんを見ていると、大学生の頃の隆之さんがどんな学生だったのかすごく気になってくる。

「大学生活では何が楽しかったですか?」

「うーん、そうだな。俺は高校の時に桜城大学のオープンキャンパスで抽選に当たって、二階堂教授の模擬授業を体験して、絶対にこの人のゼミに入りたいって思ったんだ。だから、大学受かった時より、二階堂教授のゼミに入れた時のほうが嬉しくて……希望者もめちゃくちゃ多かったから、ゼミのところに名前が掲示されているのを見た時は周りから引かれるくらい大喜びしたもんだよ」

普段冷静な隆之さんがそんなに大喜びするなんて、たしかに周りもびっくりするかも。

「二階堂教授のゼミは人気ですもんね。ぼくも教授のゼミに入ってるんですよ」

「えっ? そうだったのか?」

「はい。でも、僕たちの時は教授の出した条件が厳しくて希望者が少なかったみたいで、今年は8人だけなんです。でも、商店街とコラボ企画を考えたりしてすごく充実してましたね。もう卒論も提出しちゃったので、最近は全然行ってませんが……。あっ、そうだ! 今度一緒にゼミに行ってみませんか?」

「俺が一緒に? いいのかな?」

「もちろんです! 隆之さんはOBなんだし、気にすることないですよ」

「そうか。じゃあ、久しぶりに行ってみるかな」

僕自身も大学に行くのは久しぶりだし、二階堂教授もきっと隆之さんに会ったら嬉しいだろうな。

ふかふかの布団に隆之さんと包まってはいっていると、もっと話をしていたいのに、どんどん瞼が下がってきてしまう。

「晴、無理しないでもう寝るぞ」

隆之さんにぎゅっと抱きしめられ、ふわりと香る隆之さんの優しい匂いに包まれながら、僕は返事をすることもできないまま夢の中へと誘われて行った。
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