ひとつの秩序

水瀬 葵

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第一章

第二話

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会社に行くのも億劫で、ついため息をついてしまう朝。
莉子の足取りもいつもより心なしか重い。お気に入りの赤の薄手のニットを着てみたものの、なんだかパンツが変だった?チノパンじゃなくて白のシフォンスカートでも良かったかもしれない。パーマは今日いい感じに出てるんだけどな。そんなことを考えながら、駅に向かう。

会社までは一回乗り換えは必要だが、それなりに便利な立地を選んだだけあって、最寄り駅から電車で二十分くらいだ。

「…なんか気分上がんないなー」

オフィスにはコーヒーメーカーもあるというのに、なんか猛烈に自分を甘やかしたい気分になっていた莉子は、甘いものが飲みたい!と、コーヒーショップに入る。全国展開していて安心できる店内で、莉子はホワイトモカを頼む。普段と違って、シロップは多めだ。

普段より大きいサイズで注文したカップをテイクアウト用の袋に入れてもらい、会社のデスクの上にトン、と置いた莉子の背後から声がかかる。

「珍しいね、朝から」
「先輩!」
「おはよう」
「おはようございます!」

にこやかな表情で莉子に声をかけたのは、2つ年上の上司でもある、片倉かたくら 洋太ようただ。

「新作が今日からだったの?」
「違いますよ~なんか朝から甘いもの飲みたくて」
「いつも甘い系飲んでない?」
「それはそうなんですけど」

片倉は、俺もコーヒー入れてこようーっと、と言いながら荷物だけをデスクの足元に置いて、莉子の傍を離れていった。

ああ、会いたくないとか思っても会えると嬉しい、今日もかっこいいです先輩、かけているメガネも神々しいです、なんか心臓がぎゅっとなる気がする!なんて思いながら莉子は椅子に腰掛けて、パソコンを起動させた。


莉子が勤める会社は、駅から歩いてそう遠くない場所にある、建築系のデザイン事務所だ。莉子が入社する一年前に、ここの場所に移転した。築浅の低層のガラス張りのビルには、一階にフラワーショップやカフェ、小さなギャラリーが入っていてとてつもなくオシャレだ。

デザイナーだったという社長がひとりで立ち上げた会社だったが、今はそれなりの人数もいて、モンステラなどの観葉植物やアートポスターなど、こだわりの内装があちこちにある。

移転当初はフリーアドレス制だったらしいデスクだが、莉子が入社する頃にはいつの間にかある程度座る場所が固定されてしまっていたらしく、莉子の隣はずっと片倉だ。
片倉は莉子より会議や打ち合わせも多く、いない日もあるのだが、莉子はカレンダーで今日は片倉が一日オフィスにいることを掴んでいる。

片倉がコーヒーを持ってくると、莉子はそれに目を止めて言った。

「あれ、そんなタンブラー持ってましたっけ」
「あぁ、今日おろしたの」
「珍しいデザイン!限定ですか?」
「なんか韓国限定らしいよ」
「…彼女さんですか?」
「うんそう、こないだ韓国旅行に友達と行ったみたいで、買ってきてくれた」
「韓国ですか!いいですね~」

考えない考えない、考えるだけ凹むから、大丈夫、私は目の前の仕事に集中する!と莉子はくるりとデスクに向かって、あたかもさっきからしていたかのようなそぶりで作業を始めた。

【こないだ言ってたLPのバナー、最終調整する前に一旦俺に見せてくれる?】

片倉も仕事モードに入ったのか、隣にいるのにチャットしてくるのはいつものことだ。承知しました、と返信をして、莉子は仕事に取り掛かる。ホワイトモカ、シロップ追加なんてしなきゃ良かった。
甘ったるくて、それが喉に張り付くようだ。溶け落ちるのも遅くて、早く流し込んでしまいたいのに、流し込むそれも甘いせいで、堂々巡りで、最悪だ。






「南、キリつく?俺、昼買いに行くけど」
「つきます!私も行きたいです!」

デスクのパソコンを無理やり閉じて、モニターを強制オフにした莉子は、足元のカバンから財布を漁る。サクッと外に行くための適当なニットバッグを通販で買ったのは正解だったな。そんなことを思いながら莉子と片倉はオフィスを出た。

「あっちにキッチンカーがたくさん出てるらしくて、そこ行こうと思ったんだけど」
「え、気になります!」
「だよね、南の好きな唐揚げ出てるんじゃない?」
「やめてください、私はもう唐揚げよりエスニックが好きな女なんです」
「そうだったっけ?」

オシャレな女ってやつね、と片倉は笑って言った。莉子が新卒でこの会社に入った時、みんなオシャレですねと緊張していた初めての後輩に片倉がランチに誘った。何が食べたい?好きなもの食べに行こうよ、と言った片倉に、新卒のまだ垢抜けていない彼女が元気よく「唐揚げが食べたいです!」と言った様子のことを思い出しているのだろう。

元気なその様子が可愛らしくて、片倉が度々そのことを口に出していたら、莉子は揶揄われていると分かったのか、恥ずかしがるようになった。

そして『片倉先輩みたいに、私もオシャレな女になります、もう唐揚げとか言いません』とわざわざ宣言してまた片倉を笑わせてた彼女が、実際にどんどん垢抜けていって、片倉はそれがとても眩しく思う。

「もーいつまでもいじらないでください」
「ごめんごめん」

どの辺りですか?外で食べれますかね?事務所戻りますか?と、無邪気にナビを表示させている自分の手元のスマホを覗いてくるようにして近づいた彼女からは、柔軟剤の香りがした。その近さに慣れてしまっている自分が少しだけ怖い。

「外で食べようか、天気いいし」
「はぁい!」

莉子のパーマが風に触れてふわりと舞い上がる。髪伸びたね、そう思っても片倉は言わない。
そうして、まさかのエスニックと唐揚げ、両方のキッチンカーが売られていたことで迷う莉子に、オシャレな女はどうしたの、と片倉はまた笑いながら揶揄うことになる。
 
 
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