ひとつの秩序

水瀬 葵

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第一章

第三話

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【今、公園にいるんだー
 加瀬も来ない?】

そうメッセージを送った木曜日、十九時。辺りはもうすっかり暗い。昼間の忘れ物か、キャラクターのボールが転がる公園。東京の公園は地元ほど広くない。その狭さを誤魔化すかのように距離が近い遊具の一つ、ブランコに座りながら莉子は黄昏ていた。

【いくわ】

そう短く返ってきた文章に、莉子はメッセージで公園のマップリンクを送った。最寄り駅、いつも使う出口と反対側。木曜日の飲み屋は、金曜と違って賑わいも少し薄らいでいるように見える。そのまま目の前のコンビニでペットボトルの水を買った。会社に持って行っている水筒は小さくて、中身はもうなかった。

ベージュと白のストライプ柄のシャツの裾についたリボンが、水を飲む度に風でひらりと揺れる。

加瀬を最初から呼ぶ気だった気がするなー、と思った。なんとなくこの方面の公園に来たのも、加瀬の家の方面に近くなるからなのかもしれない。だが、しばらくその暗さと少し冷えた空気の中で考えていることは、片倉のことだ。



今日、サンプル室で、素材のやり取りをしている時に見えた、指輪。
もしかして、と頭が真っ白になった気がした。

けっこんするんですか。
そう聞いた自分の声は、多分掠れていた。違う違う!と焦ったように言った片倉に、そうなんですか、とまた同じような声で返した。ピンクゴールドがかった、真ん中に控えめなスタッズがついたリング。そういえば、右手の中指だ。

『彼女が元々持ってて、オシャレだな~と思ってたんだよね。そしたら、メンズラインに同じデザインがあるって教えてもらったから買ったんだ』
『…そうなんですね!可愛いですね』
『だよね、だからお揃いなんだけど、別に深い意味はないっていうか』

仲良しで羨ましいです、そう言った自分の声は、きっといつも通りだった。下を向く自分の視界のサイドは、胸下まで頑張って伸ばした髪の毛が塞いでいるし、下を向いているのも、この、素材のタイルを比べていたからで、だから、大丈夫で、なんとも思ってないはずだった。

別にこんなの、これから増えていくんだから。どうせ、けっこんするんだから、先輩は、私じゃない人と。



「南」

肩を叩かれるまで気づかなかった。
手元のペットボトルの中では、莉子が顔を上げた拍子に水面が揺らいだ。

「どうした」
「か、せ」
「またなんかあった?」

ひゅう、と息を少しだけ吸い込んだ音が、心臓に響いた気がした。

加瀬が莉子に、はい、と飲み物を渡した。コンビニエンスストアのマークが大きく入ったカップは暖かくて、コーヒーの香りがした。加瀬がここに来る途中に買ってきたんだろう。

「加瀬…仕事だった?」
「いや、帰りの電車だった」
「ごめんね、急に」
「別に、もう帰るだけだったから」
「そ、か」
「南は?早くね?」
「私、は…」

あれ、私って今日どうやって帰ってきたっけ。ここまで、どうやって来たんだっけ。あの後、どうやってあの場を切り上げて、結局、タイルはどれに決まったんだっけ。

やばい、思ったより、私だめかもしんない。

「先輩のさあ、」
「ん?」
「マッチングアプリっていうところが、一番堪えたんだよね」

加瀬は隣のブランコに同じように腰を降ろした。そして何も言わず、莉子の方を見つめた。

「マッチングアプリって、周りに誰もいないから、やるんじゃないの?その考え方も古い?だって加瀬だって、誰もいないなって思って、登録したんでしょ?」
「…いや、」
「先輩、絶対モテると思うの。でも、今は彼女欲しくないのかなとか、思ってたの」
「…」
「でもさ、だってさ、アプリって…」

彼女欲しいって、ちゃんと思ってて、でも、周りにそういう人いないなって思ったから、登録したんじゃん。莉子の消え入るような声が、夜に溶けていく。シャツの袖のリボンが、ブランコの金具に引っかかっているのをみた加瀬が、そっとそれを外した。

「それって、私のこと、一ミリも、何とも思ってないってことじゃん…」
「…みなみ、」
「どれくらい、登録してたんだろう」
「…」
「その間、私のこと、一瞬も浮かばなかったって、キツくない…?」

莉子が公園に来た時より、風が強くなっていた。そういえば、夕方から夜にかけて風が強まり、冷え込むでしょうなんて朝のニュースで言っていた。加瀬は、自分が着ていたスーツのジャケットを、莉子の沈んだ肩にかけた。

「…俺、アプリ登録してたって言ったじゃん」
「…?うん」
「最初の三日くらい、誰からもいいね貰えなかった」
「エッ」
「惨めになって開くのやめた」
「なんでなんで、」
「おい笑うな」
「待って待って、高校のグループラインに話していい?それ」
「おい俺はお前を励ましてんだぞ」
「ちょっと待って悲しみどっか行った」
「そしたら俺の悲しみもどっかやってくれ一緒に」

熱いのかワイシャツを捲り上げる加瀬に笑いながら、莉子は肩からずり落ちそうになるジャケットを掴む。高校の時はバレーボール部だった加瀬の、高い身長に合わせて購入されたそれはだいぶ大きい。

莉子はごめんごめん、と謝りながら手元のコーヒーにようやく手をつけた。外の空気に晒されて、渡された時ほどの温もりはとっくに失っていたが、1時間前ほど心も手も冷たくない気がした。

 
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