ひとつの秩序

水瀬 葵

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第一章

第九話

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「わ、」
「めちゃくちゃ並んでんなー」
「大丈夫?」
「俺全然気にならん。ラーメンとか並ぶし」

テイクアウトだし、そこまで時間かからんだろ。なんてことないようにそう言って加瀬は最後尾に並び、莉子もその隣に並んだ。

先日メッセージでやり取りしていた、加瀬の職場の近くの飲めるシュークリーム屋に行こうと加瀬から持ちかけられて、莉子も快く了承した。加瀬から提案してくるとは、よっぽど食べたかったんだなと莉子は思う。

何時に行く?開店待ちとか狙う?とメッセージで聞いた莉子に、すぐに返ってきた、【シュークリームはおやつだろ】と言う返事を思い出して、莉子の口元は緩む。

百八十センチ近い身長に、少し厚めの胸板。特にジムなどで鍛えているわけではないのに程よく筋肉のついたこの男が、休日に飲めるシュークリームが食べたくていそいそと並んでいる姿が莉子にはどうしても笑えてしまう。

休日、昼さがり。十四時の太陽はまだまだ高い位置にあって、冬にしては暖かい。いつの間にかコートが必要な季節になっていて、莉子は黒のノーカラーコートのポケットに手を入れた。

「そういえば加瀬、最近仕事忙しかったんだよね?」
「あーそうそう」
「もう落ち着いたの?」
「だいぶな。半年くらいの案件があってさ、仕様変更とトラブル続き」
「うわぁ」
「キャパ限界だった」
「お疲れ様」
「だから俺はシュークリームが早く飲みたい」
「極限状態」
「俺は今日シュークリームを二個飲む」
「二個飲む」

加瀬のスマホをチラリと覗くと、グルメサイトに投稿されているメニュー写真が表示されていてその真剣さに莉子はまた笑う。

「ホワイト企業だとばっかり思ってたから、そういう感じなの珍しいね」
「会社自体はホワイトでも、詰むときは詰む」
「その結果が?」
「シュークリームを飲むことになる」
「キモすぎる」

店が飲めるって言ってんだから飲んでいいだろ、と加瀬は莉子の肩を肘で軽く突きながら言った。どうやら頼むものは決めたらしく、スマホは仕舞われている。

「そういえばスーツどう?」
「ワイシャツは着てるよ。洗濯した後の感じとかも前と違っていいな」

買ってよかったわ、と言う加瀬に莉子もなんとなく嬉しさが込み上げてくる。
赤茶や濃いブラウンのタイルで覆われた店の外観に反射して、日差しが少し眩しい。目を細めた莉子に、加瀬は変わるか?と聞き、莉子は首を振る。加瀬はグレーがかったブルーの厚手のショート丈アウターの裾を少し捲った。

「ワイシャツはって、スーツは着てないの?」
「ここぞという時のためになんか取ってある」
「えー!着なよー!」
「なんか勿体なくね?俺、新品下ろす時気合い必要なタイプ」
「えー!私買ったらすぐ着たくてうずうずしちゃう」
「そんな感じする」

ガラス張りの店内が覗ける位置まで並んでいる列が進み、莉子は中を伺う。シュークリームとしか調べてなかったが、ガラスの向こう側に見える棚には透明な丸い筒の焼き菓子のようなものが置いてあり、種類もかなりあるようだ。加瀬みたいにメニューを決めておけばよかったと莉子は思った。


そうして三十分ほど並び、無事に売り切れる前に買うことができた。加瀬は塩キャラメルとプレーン、莉子はほうじ茶味を購入した。

「一個しか買わないのにそれが王道じゃないの信じらんねえ」
「ただのほうじ茶じゃないもん、十二月限定のホワイトチョコが混ざったほうじ茶だもん」
「そんな話はしてない」
「だって加瀬がプレーン買うっていうし」
「最初から人を当てにするのは良くないって習わなかった?」
「習ってないかなぁうちの高校では」
「理解力に差があるんだろうな」

ごめんなさい一口ください、と莉子が言うと加瀬は紙袋から、薄い白い紙で丁寧に覆われたこぶし大ほどの大きさの包みを渡す。

こっちに公園があった気がする、と店から三分ほど歩いたところに加瀬が案内してくれた公園のベンチに座って、莉子と加瀬はテイクアウトしたそれを食べることにしていた。

加瀬の会社のある駅はかなり栄えているオフィス街でもあるのだが、少し歩いたところにこんなに広くて緑が綺麗な公園があるんだと、莉子は辺りを見渡しながら思う。木陰から差し込む光が眩しい。東京は、緑なんて全然ないと思っていたけれど、意外と広い公園があると気づいたのは、上京して半年経った頃だった。

「南は、忙しくないの?」
「うーん私はまだメインを任されることは無いし、そこまでのことは無いかなぁ」
「そーか」

うん、と返事しながら莉子は加瀬がくれたシュークリームにかぶりつく。溢れるカスタードに目を見開いて加瀬の方を向き、美味しいと言うと加瀬に渡す。

「飲める?」
「飲んだかも」

そういえば北海道産小麦とどこかの小麦をブレンドして作った生地だとか、こだわり卵だとか、そういうことが店内に書いてあった気がする、と思いながら、加瀬と交換した自分の買ったシュークリームを頬張る。先ほどとは生地の色も違い、こちらは上に少しだけホワイトチョコが上掛けされていた。なるほど、限定なだけあって凝っている。

「そういえばさ、先輩、上手くいってないんだって」
「へー」

興味なさそうな返事をしている加瀬はシュークリームを頬張り、時たま口の端から溢れるクリームを雑に親指で拭う。莉子は先日の片倉の話をいつものように加瀬にした。加瀬は変わらず興味なさそうないつもの様子で、時たま相槌だけしていた。

「どう思う?」
「どう思うって…なんて言って欲しいんだよ」
「えー、なんてって…」
「甘やかしてほしい?現実突きつけてほしい?」

なにそれ、と言いかけた莉子の言葉は音にならずに冬の空気の中に散った。

加瀬の顔がゆるりと莉子の顔に近づいた。
少しだけ莉子の手には力が入り、膝の上でシュークリームの中身が溢れる。


「甘やかしてやろうか?先輩のことなんか忘れるように」
「…っび、っくりするじゃん!」

きっと、三秒程度。莉子の吐息が白く溢れた。
倍の体感速度を莉子に残して、加瀬は元の位置に戻った。
先ほどと表情は変わらない。

「…照れてんの?」
「て、れるよそりゃ!」
「へえ、俺でも照れるんだ」
「かせが、変なこと言うから!」

加瀬が莉子の身体の方に手を伸ばした。少しだけ背筋が伸びた莉子をよそに、莉子が巻いていた爽やかなブルーのマフラーを身体の前から肩の後ろへと流した。マフラーは先ほどのクリームの傍ではなく莉子の背中で光を受け、もこもことした生地が光っている。突然のことで、自分の顔が赤いのが分かる。

「可愛いじゃん」
「か、な、なにを」
「可愛いじゃんって言った」
「聞き返したんじゃないから!」

二人の座っているベンチは、木の葉の隙間で作られる影が穴ぼこの模様を作っていた。足元で、莉子が先日買ったばかりの黒のショートブーツも影とのコントラストを見せていた。

膝の上で莉子に握られたままのシュークリームは、今は口に運ぶ気になれなかった。
 
 


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