不妊を理由に離縁されて、うっかり妊娠して幸せになる話

七辻ゆゆ

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ぬくもりと涙

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(少なくとも、わたくし一人ではどうにもならない)

 ラチェリナは最悪の場合「出ていけ」と言われることも覚悟して、父に妊娠したことを話した。

「……おまえ」

 実際の父は、信じられない顔をしてラチェリナを見た。
 ラチェリナは身を縮めた。我ながら、無責任なことをしでかしてしまったと理解している。

「好きにしろとは言ったが……はあ……」
「申し訳ありません。産みたいのです」
「……父親は?」
「言えません」
「……」

 父は怒りをこらえたのだろう。
 というよりも、希薄な家族関係なので、どう怒って良いのかもわからないようだった。ラチェリナも、父に叱られた記憶がない。
 幼い頃、ラチェリナをいつも叱っていたのは乳母だ。彼女なら「なんて無責任なことを!」と泣きながらラチェリナを詰ったかもしれない。彼女も今はいない。王家に嫁ぐ女に情の厚い乳母は合わないと、早いうちに引き離された。

 なんとも言えない、よそよそしい空気だった。メイリーフ伯爵なら、もう怒りをあらわにしているのだろうか。
 愛情深いメイリーフ伯爵家だが、それが鬱陶しいこともあると兄妹は言っていた。たびたび喧嘩になるのだそうだ。ラチェリナは家族と喧嘩などしたことがない。

「…………問題が多すぎるが、かといって堕胎もまずいか」

 父の指がとんとんと机を叩く。頭痛をこらえるように顔をしかめ、ひとまずは前向きに考えているようだ。
 堕胎は、まずいだろう。父がラチェリナの健康を気にしないのであれば別だが、幸いというべきか、そうではないようだ。
 であれば医者か、それに類する人間が必要になる。そしてもし堕胎が公になってしまえば、侯爵家の破滅になり得るのだ。堕胎してしまったら月数などわからない。王家の子を殺したと言われて、反論もできなくなってしまう。

「まあ……そうだな。金の話をすると悪くはない。王家との慰謝料の交渉だが、向こうはおまえの不妊は事実だと言って渋っている。どうせしばらくまとまらんから、おまえが適当な相手と結婚して、でかい腹を見せびらかして夜会に出れば有利になるだろ」
「えっ?」

 ほとんどお咎めなしのように言われて、ラチェリナは首をかしげた。
 しかしその時、執事が責めるような声をあげた。

「旦那様、あんまりな言いようです」
「何がだ! 俺に言われてもわからんと言っているだろう」
「申し訳ありません、お嬢様、旦那様が無神経なことを……妊娠した女性に、そのような……」

 どうやら「でかい腹を見せびらかす」について言っているようだ。確かに、神経細やかな女性なら卒倒しそうな言葉だ。

「うるさいな、無神経なのは知っている。何度も言われたからな。だからあいつの遺言どおり、できるだけ関わらんようにしているだろうが」
「奥様はそうではなく、お嬢様を大事に扱えと言いたかったのですよ」
「それが無理だから……ごほん、とにかくだ。都合のいい相手を探しておく。それから、これ以上おまえを自由にしておくと何をしでかすかわからん。しばらく外出は控えるように」

「は、はい。ご温情に感謝します」

 父がたびたび無神経なのはわかっていた。悪気はないようなので、そういうものだと思っていたが、死んだ母は遺言に残すほど気にしていたらしい。
 そしてそれを父も守っていた、ようだ。
 今度詳しい話を聞いてみようと思った。なにしろ関わりが希薄だったので、父に母の話を聞くということがない。

 ラチェリナが母をなくしたのは8歳の頃だ。
 母が生きていたら、もっと暖かな家庭で育ったのだろうか。父との距離感のせいか、兄弟たちともあまり交流がない。皆で楽しく食卓を囲む日々があり得たのだろうか。

「ちょっと、想像できないわね」

 自分がテティシアやレナルドのように育ったらと考えて、少し笑ってしまった。幸せかもしれないが自分ではない。ラチェリナは決して、今の自分が嫌いなわけではないのだ。

「……いえ、だめだわ。今のわたくしは、だめね」

 自分のやったことの責任を取れていない。
 周囲に迷惑をかけているし、このまま誰かと結婚したら、その相手にも迷惑をかけるだろう。
 しかし一人で子を産んだとして、育てられるとは思えなかった。

(どうすればいい? わからない……)

 少なくとも、父の言いつけを破って外に出ようとは思わなかった。お金もこれから大事になるだろう。無駄遣いをしてはいけない。
 ラチェリナはひとり静かに部屋で過ごした。
 だが数日で耐えられなくなった。何もしないでいると落ち込んで、もうすべてが終わりのように思えてくる。何か意味のあることをしたい。

(そうだ、この子のために暖かいものを編もう)

 産まれてくるのは冬の始まり頃になるはずだ。防寒具はいくらあっても良いだろう。複雑な状況で産まれてきてしまう子だが、せめて寒い思いはしてほしくない。
 ラチェリナはしばらく日々をそうして過ごした。一目、一目を編むたびに、子供のことを思い、レナルドのことを思った。

 彼の手が触れた己の体のことも考えた。
 もうずいぶん前なのに、ぬくもりがまだ残っていたようだ。考えると頬が熱くなる。

(あの時……あの熱が、この子になった。いけないことをした。でも)

 幸せだった、とラチェリナはつぶやいた。

(わたくし、あの方のことが好きだったのだわ)

 はらりと頬に涙が落ちた。
 なんとも未練がましい。ラチェリナは首を振って、これからのことを考えた。

(結婚相手がどんな方でも、できるだけのことをしよう。自分の子でないのだから、この子が愛されないのも仕方がない。そのぶんわたくしが愛さなければ)

 少し不安だった。
 ラチェリナは家族との関係が希薄で、愛し方というものがよくわからない。義務ではなく心から、抱きしめて大事にすることができるだろうか。

(レナルド様なら)

 どんなふうに愛するのだろう。

「……」

 また涙があふれてしまった。
 ラチェリナは目を閉じてしばらくじっとしていた。
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