1 / 3
前編
しおりを挟む
「ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
クラスメイトに挨拶されて、エーメルヴィは少し首をかしげながら挨拶を返した。
いつもならば誰もエーメルヴィには話しかけない。誰とも話をすることなく、エーメルヴィは学園に通い、この国について学んでいた。
エーメルヴィは森の国から留学している。この国の流儀に馴染めていないのだろうと、いっそうの努力を考えていた。
けれど教室に入ると、エーメルヴィは自分の机に倒れた花瓶が置かれ、水浸しになっていることに気づいた。
入れられていたのだろう花も無残に散らばり、床にまで落ちている。
「なんてひどいことを……」
クラスメイトがにやにやとしていて、この所業への関わりを隠そうともしていない。
エーメルヴィはため息をついて首を振った。誰かの悪意によって、ただでさえ人のために切られた花がひどい扱いを受けている。それは悲しいことだった。
「姫様」
「大丈夫よ。踏みにじられたわけではないし、そんなに時間も経っていないみたい。新しい花瓶をもらってきてくれる?」
「はい。すぐに戻ります」
国からついてきて共をしてくれている侍女も、同じ気持ちでエーメルヴィから離れていった。
エーメルヴィの国では動物も花も愛おしむものだ。本来なら花を切って活ける、という行為もあまり好んでいないが、それがこの国の流儀では頭ごなしに否定することはできない。
この国を知るためにエーメルヴィは留学しているのだから。
エーメルヴィは美しい森の国の姫だ。かつて戦を忌避したものたちが作り上げたその国では、暴力、ましてや命を奪うことは禁止されている。
森の動物を狩ることもしない。そしてその凶暴な動物たちのおかげで、他の国の民は誰も近づかないのだ。森の国の民は森の実りを動物たちと分け合って生きている。
「っ……!」
「あーら、ごめんなさい。下女みたいに床に這いつくばっているものだから」
花を拾うエーメルヴィの手を踏みつけたのは、この国の子爵令嬢だ。
このような暴力に晒されたことのないエーメルヴィは、まばたきをしてしばらく見上げてしまった。
「な、なによ」
踏まれた手は痛むけれど、それほどの力はこめられていない。だが踏みつけられているのは確かだった。
「足を退けてください。私の手が踏まれています」
「は?」
「どうぞ退けてください。痛いのです」
エーメルヴィの手を踏みつけた女は、ぽかんとしたあとで、また笑った。
「いやよ。どうしてあなたの言うことを聞かなければならないの」
今度は困惑するのはエーメルヴィの方だった。相手を痛めつけていることを知りながら、それをやめないというのが理解外なのだ。
「どうして聞いてくださらないのですか?」
「だってあなたは田舎の国の、この国では全く価値のない人間なんだもの。そんなひとの言うことを誰が聞くっていうの?」
「まあ、かわいそうに」
女の言葉に、くすくすと笑って言ったのはシルビア公爵令嬢だ。このクラスになじめていないエーメルヴィでもその名は知っている。シルビア様、シルビア様、と、取り巻きたちが彼女を称えるからだ。
さすがシルビア様、お優しいわ、と、またひとしきり持ち上げてから、取り巻きの一人が言う。
「そんな価値のない方が、伝統あるこの学園に入学してしまったことが不幸なのですわ。すぐに退学手続きをおとりになったら?」
エーメルヴィは首をかしげて答えた。
「なぜですか? その必要を感じません。この国で身分が重視されているのは知っていますが、留学を承認してくださったのはこの国の陛下ですよ」
「なんてこと! あなた、陛下の名を借りようというの?」
「いいえ。事実を申し上げています。私の留学は陛下に許可されました。私に価値を感じてくださったものと思います。それに異を唱えるのですか?」
「無礼な!」
「私からすれば、陛下の判断を無視なさるあなた方のほうが無礼に思えます。違うのでしょうか?」
「なんと不遜な」
「さすがは田舎者の姫ね」
「姫って。戦争逃亡者の末裔なんでしょ?」
「ああ嫌だ、下賤な上に卑怯者だなんて! 同じ部屋にいるだけで気分が悪いわ」
くすくすと笑いながら彼女たちが離れていく。手も開放されたので、エーメルヴィは立ち上がってその前に立ちふさがった。
「お待ちください。謝罪もお答えも頂いておりません」
「なっ……」
「シルビア様が、この方々のまとめ役、ということでよろしいでしょうか?」
「は、はあ? シルビア様になにを無礼な!」
「それでよろしければ、シルビア様にお伺いします。私の留学は陛下に許可されたものですが、それに疑問がおありなのですか?」
「退けって言ってるのよ!」
「シルビア様にお伺いしております」
エーメルヴィは引かない。国が違うとはいえ相手は人間なのだから、話してわからないことはないと信じているのだ。
「……ごきげんよう」
クラスメイトに挨拶されて、エーメルヴィは少し首をかしげながら挨拶を返した。
いつもならば誰もエーメルヴィには話しかけない。誰とも話をすることなく、エーメルヴィは学園に通い、この国について学んでいた。
エーメルヴィは森の国から留学している。この国の流儀に馴染めていないのだろうと、いっそうの努力を考えていた。
けれど教室に入ると、エーメルヴィは自分の机に倒れた花瓶が置かれ、水浸しになっていることに気づいた。
入れられていたのだろう花も無残に散らばり、床にまで落ちている。
「なんてひどいことを……」
クラスメイトがにやにやとしていて、この所業への関わりを隠そうともしていない。
エーメルヴィはため息をついて首を振った。誰かの悪意によって、ただでさえ人のために切られた花がひどい扱いを受けている。それは悲しいことだった。
「姫様」
「大丈夫よ。踏みにじられたわけではないし、そんなに時間も経っていないみたい。新しい花瓶をもらってきてくれる?」
「はい。すぐに戻ります」
国からついてきて共をしてくれている侍女も、同じ気持ちでエーメルヴィから離れていった。
エーメルヴィの国では動物も花も愛おしむものだ。本来なら花を切って活ける、という行為もあまり好んでいないが、それがこの国の流儀では頭ごなしに否定することはできない。
この国を知るためにエーメルヴィは留学しているのだから。
エーメルヴィは美しい森の国の姫だ。かつて戦を忌避したものたちが作り上げたその国では、暴力、ましてや命を奪うことは禁止されている。
森の動物を狩ることもしない。そしてその凶暴な動物たちのおかげで、他の国の民は誰も近づかないのだ。森の国の民は森の実りを動物たちと分け合って生きている。
「っ……!」
「あーら、ごめんなさい。下女みたいに床に這いつくばっているものだから」
花を拾うエーメルヴィの手を踏みつけたのは、この国の子爵令嬢だ。
このような暴力に晒されたことのないエーメルヴィは、まばたきをしてしばらく見上げてしまった。
「な、なによ」
踏まれた手は痛むけれど、それほどの力はこめられていない。だが踏みつけられているのは確かだった。
「足を退けてください。私の手が踏まれています」
「は?」
「どうぞ退けてください。痛いのです」
エーメルヴィの手を踏みつけた女は、ぽかんとしたあとで、また笑った。
「いやよ。どうしてあなたの言うことを聞かなければならないの」
今度は困惑するのはエーメルヴィの方だった。相手を痛めつけていることを知りながら、それをやめないというのが理解外なのだ。
「どうして聞いてくださらないのですか?」
「だってあなたは田舎の国の、この国では全く価値のない人間なんだもの。そんなひとの言うことを誰が聞くっていうの?」
「まあ、かわいそうに」
女の言葉に、くすくすと笑って言ったのはシルビア公爵令嬢だ。このクラスになじめていないエーメルヴィでもその名は知っている。シルビア様、シルビア様、と、取り巻きたちが彼女を称えるからだ。
さすがシルビア様、お優しいわ、と、またひとしきり持ち上げてから、取り巻きの一人が言う。
「そんな価値のない方が、伝統あるこの学園に入学してしまったことが不幸なのですわ。すぐに退学手続きをおとりになったら?」
エーメルヴィは首をかしげて答えた。
「なぜですか? その必要を感じません。この国で身分が重視されているのは知っていますが、留学を承認してくださったのはこの国の陛下ですよ」
「なんてこと! あなた、陛下の名を借りようというの?」
「いいえ。事実を申し上げています。私の留学は陛下に許可されました。私に価値を感じてくださったものと思います。それに異を唱えるのですか?」
「無礼な!」
「私からすれば、陛下の判断を無視なさるあなた方のほうが無礼に思えます。違うのでしょうか?」
「なんと不遜な」
「さすがは田舎者の姫ね」
「姫って。戦争逃亡者の末裔なんでしょ?」
「ああ嫌だ、下賤な上に卑怯者だなんて! 同じ部屋にいるだけで気分が悪いわ」
くすくすと笑いながら彼女たちが離れていく。手も開放されたので、エーメルヴィは立ち上がってその前に立ちふさがった。
「お待ちください。謝罪もお答えも頂いておりません」
「なっ……」
「シルビア様が、この方々のまとめ役、ということでよろしいでしょうか?」
「は、はあ? シルビア様になにを無礼な!」
「それでよろしければ、シルビア様にお伺いします。私の留学は陛下に許可されたものですが、それに疑問がおありなのですか?」
「退けって言ってるのよ!」
「シルビア様にお伺いしております」
エーメルヴィは引かない。国が違うとはいえ相手は人間なのだから、話してわからないことはないと信じているのだ。
応援ありがとうございます!
2
お気に入りに追加
582
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる