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前編

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「ごきげんよう」
「……ごきげんよう」
 クラスメイトに挨拶されて、エーメルヴィは少し首をかしげながら挨拶を返した。

 いつもならば誰もエーメルヴィには話しかけない。誰とも話をすることなく、エーメルヴィは学園に通い、この国について学んでいた。
 エーメルヴィは森の国から留学している。この国の流儀に馴染めていないのだろうと、いっそうの努力を考えていた。

 けれど教室に入ると、エーメルヴィは自分の机に倒れた花瓶が置かれ、水浸しになっていることに気づいた。
 入れられていたのだろう花も無残に散らばり、床にまで落ちている。
「なんてひどいことを……」

 クラスメイトがにやにやとしていて、この所業への関わりを隠そうともしていない。
 エーメルヴィはため息をついて首を振った。誰かの悪意によって、ただでさえ人のために切られた花がひどい扱いを受けている。それは悲しいことだった。

「姫様」
「大丈夫よ。踏みにじられたわけではないし、そんなに時間も経っていないみたい。新しい花瓶をもらってきてくれる?」
「はい。すぐに戻ります」
 国からついてきて共をしてくれている侍女も、同じ気持ちでエーメルヴィから離れていった。

 エーメルヴィの国では動物も花も愛おしむものだ。本来なら花を切って活ける、という行為もあまり好んでいないが、それがこの国の流儀では頭ごなしに否定することはできない。
 この国を知るためにエーメルヴィは留学しているのだから。

 エーメルヴィは美しい森の国の姫だ。かつて戦を忌避したものたちが作り上げたその国では、暴力、ましてや命を奪うことは禁止されている。
 森の動物を狩ることもしない。そしてその凶暴な動物たちのおかげで、他の国の民は誰も近づかないのだ。森の国の民は森の実りを動物たちと分け合って生きている。

「っ……!」
「あーら、ごめんなさい。下女みたいに床に這いつくばっているものだから」
 花を拾うエーメルヴィの手を踏みつけたのは、この国の子爵令嬢だ。

 このような暴力に晒されたことのないエーメルヴィは、まばたきをしてしばらく見上げてしまった。
「な、なによ」
 踏まれた手は痛むけれど、それほどの力はこめられていない。だが踏みつけられているのは確かだった。

「足を退けてください。私の手が踏まれています」
「は?」
「どうぞ退けてください。痛いのです」

 エーメルヴィの手を踏みつけた女は、ぽかんとしたあとで、また笑った。
「いやよ。どうしてあなたの言うことを聞かなければならないの」
 今度は困惑するのはエーメルヴィの方だった。相手を痛めつけていることを知りながら、それをやめないというのが理解外なのだ。
「どうして聞いてくださらないのですか?」

「だってあなたは田舎の国の、この国では全く価値のない人間なんだもの。そんなひとの言うことを誰が聞くっていうの?」
「まあ、かわいそうに」
 女の言葉に、くすくすと笑って言ったのはシルビア公爵令嬢だ。このクラスになじめていないエーメルヴィでもその名は知っている。シルビア様、シルビア様、と、取り巻きたちが彼女を称えるからだ。

 さすがシルビア様、お優しいわ、と、またひとしきり持ち上げてから、取り巻きの一人が言う。
「そんな価値のない方が、伝統あるこの学園に入学してしまったことが不幸なのですわ。すぐに退学手続きをおとりになったら?」

 エーメルヴィは首をかしげて答えた。
「なぜですか? その必要を感じません。この国で身分が重視されているのは知っていますが、留学を承認してくださったのはこの国の陛下ですよ」
「なんてこと! あなた、陛下の名を借りようというの?」
「いいえ。事実を申し上げています。私の留学は陛下に許可されました。私に価値を感じてくださったものと思います。それに異を唱えるのですか?」
「無礼な!」
「私からすれば、陛下の判断を無視なさるあなた方のほうが無礼に思えます。違うのでしょうか?」

「なんと不遜な」
「さすがは田舎者の姫ね」
「姫って。戦争逃亡者の末裔なんでしょ?」
「ああ嫌だ、下賤な上に卑怯者だなんて! 同じ部屋にいるだけで気分が悪いわ」

 くすくすと笑いながら彼女たちが離れていく。手も開放されたので、エーメルヴィは立ち上がってその前に立ちふさがった。
「お待ちください。謝罪もお答えも頂いておりません」
「なっ……」
「シルビア様が、この方々のまとめ役、ということでよろしいでしょうか?」
「は、はあ? シルビア様になにを無礼な!」

「それでよろしければ、シルビア様にお伺いします。私の留学は陛下に許可されたものですが、それに疑問がおありなのですか?」
「退けって言ってるのよ!」
「シルビア様にお伺いしております」
 エーメルヴィは引かない。国が違うとはいえ相手は人間なのだから、話してわからないことはないと信じているのだ。
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