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後編

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「おわかりいただけましたか? つまり下賤という言葉は私にはふさわしくないのです」
「はい……わかりました。わかりましたから……」
「本当にわかっていますか?」

 エーメルヴィは穏やかに問いかけた。
 シルビアは疲れてしまったのか、さきほどから中身のない「わかった」を繰り返している。よくない傾向だ。
 どうやらこの国の人間は本当に会話が苦手らしい。
 会話の重要性を広げて欲しい、とエーメルヴィは国王陛下に言われたのだが、なるほどと理解した。このままでは会話のない国になってしまうだろう。

「シルビアさん、焦らなくていいですから、ゆっくり話をしましょう」
 優しく、全く悪気もなくエーメルヴィは言った。エーメルヴィの国でも、小さな子供はこんなものだ。
 丁寧に話をし、会話に慣れさせていくのである。

「い、いえ、もう、わかりました、わかりましたから……! お願いです、外に出してください!」
「シルビアさん、落ち着いて。ひとまず座って休みましょう? 何も答えなくていいですから、私の話を聞いていてくださいね」
 夢のようなこの空間では、長い時を感じても空腹になることはない。疲れたなら休んで、また会話を始めればいいのだ。

「下賤という言葉は、身分や生活が低いことを言います。シルビアさんはこの国の高貴な方ですからおわかりでないのは仕方のないことなのですが、この国にも私の国にも、もっと身分の低い方がいらっしゃいます。いえ、むしろ、そちらの方が大変に多いのです。苦しい生活を送らざるを得ない方々がたくさんいるのですよ。ですから、私のように豊かな生活を送っているものが、下賤であると自称することは罪だと思うのです。そもそも、彼らを生み出しているのは身分の高い人々です。つまり、高い地位にいる方々こそが、下賤な方々の存在を恥じなければならないのです。わかりましたか?」
「はい……わかったので、おねがい……」
「シルビアさん、疲れているなら答えなくて大丈夫ですよ。どうしても言いたいことがあったら、教えてくださいね」

 シルビアは強く首を振った。
 帰りたいのだ。
 早くこの拷問から逃げ出したいのだ。エーメルヴィの話は懇切丁寧に延々と続き、いつまでも終わりそうにない。どうすれば、何を言えば終わるのか、考えてもわからない。わかるわけがない。考えたこともない事態だ。

「ゆえに、もし相手が事実下賤であったとしても、あなたはそれを蔑むことなく、ましてや花瓶を割るなどの暴挙に出ることもなく、守り導くべきと考えます。もちろんそういった人々は大変に数が多いので、直接に手助けをするよりも、もっと大きな視点から変革を起こすべきではないかという議論の余地はあります。ただこれはあなた方の国のことですから、私としましては、強くこうすべき、というほどの情報を持っていません。ですが少なくとも目の前に居、クラスメイトとして学ぶのであれば、加害するという行為は間違っていると言わざるをえません。ですから……」
「わ、私が悪かったです。もうしません、許して……」

 エーメルヴィは微笑んだ。
「シルビア様、私は怒ってなどいませんよ。国が違い、育ちが違えば、価値観が違うのは当然のことです。さあもっと、お互いをわかりあっていきましょう!」
「許してぇ……っ!」
「さ、泣かないで。シルビア様のことも、もっと聞かせてください。時間はたくさんあります。どんなふうに育って、何が好きで、どのようなことを目標としているのですか? どのような自分を理想としているのかも! ああ、楽しみ。さあ、シルビア様、好きなだけ、お話してくださいませ!」




「……それで?」
「は。結界が消えたあと、シルビア嬢はひどく大人しくなり、対話は重要なものだと語ったそうです」
「ほう……」
「こちらに報告がありますが、一部を読み上げます。その……すべてとなると、大変長くなりますので」

 影の報告に国王は頷いた。
 森の国のエーメルヴィの留学を認めたのは、その話術を必要としたからだ。

 現在、国同士は互いににらみ合い、とても戦争などできない状況だ。どこかの国へ攻め込んだ瞬間、これ幸いと「悪国を討つ!」と他国が結託して襲ってくるに違いない。
 そのような状況において、森の国の話術は大変に価値のあるものだ。
 小さな森の国は話術ひとつで自分たちの地位を守っている。

 その話術と、それを成長させるための魔術。彼らは魔術結界の中でひたすら会話をし、互いを高めているのだという。
 その秘密が明らかになると期待したのだが。

「力は何も生まない。人々は会話し、理解し合うことが必要です。心の底をさらけ出した理解こそが、人を真なる幸福に導くことができます。私はようやく幸福を感じています。みなさまも、会話という喜びを得ましょう」
「……」

 国王は沈黙した。
 影の報告に嘘はない。なんといっても他の影にも同じ報告をさせたのだから、間違いないと信じなければ、他に何を信じればいいかわからない。

「…………シルビア嬢は、そのような性格ではなかったはずだが」
「はい。まるで人が変わったように、会話の重要性を語り、下位であろうと誰にでも話しかけるようになったと。……話しかけられた方は無下にも出来ず、困っているようです」
「そう、だろうな……」
「しかしシルビア嬢はめげず、また、周囲の貴族令嬢にも常に会話を求めています。それによるものか、エーメルヴィ嬢への嫌がらせは行われなくなり、今ではクラスの中心にいるようです」

「……はあ」
 国王は重くため息をついた。
 森の国の秘密を欲していたが、このままでは、この国にとってよくないことになりそうだ。

「エーメルヴィ嬢の留学を取り消すべきだと思うか?」
「……私には、なんとも言いかねます」
 それはそうだろう。
 決断するべきは王である。

 王は頭を抱えた。
 森の国は怒りはしないだろう。だが話し合いによって、代わりの何かを求めてくるに違いない。森の国のあの語り口を聞いていると、どうしても頷かざるを得ない気になってしまうのだ。

 しかしこのままエーメルヴィを国に置いては、この国をこの国たらしめているものがなくなっていくのではないだろうか……。
 それが良いことなのか悪いことなのか、国王はすぐに判断できなかった。
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