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聖女
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「やあセーラ、十年ぶりだ。……おかえり、と言うべきか?」
「ええ……ひとまずは」
私は悲しい気分でそう答えました。
結局、こうなってしまったのです。
「ひどい顔だ。だが大人になったな。十年前の君には、若い理想しかなかった」
「……そうでしょうね」
「現実は見えたかい?」
「ええ。殿下が私を送り出してくれた意味も」
殿下は苦笑すると肩をすくめ、懐かしむように目を細めました。
「もし、かの国が君を大事にするのなら、それでも良いと思ったんだ。国は発展するだろう。もしかすると我が国よりも」
「思ってもいないことを」
「そんなことはない。この国が魔物から民を守るため、どれほど金をかけているか知っているか? それがまるごとなくなるんだ。その金を上手く使えば、国が発展するのは当然だ」
そうかもしれない。
でも、実際にそんなことにはなりませんでした。
浮いたはずの金はどこにあったのでしょう。新しい産業も事業もおこらず、王家も貴族も教会も、そして平民も、ひたすらに平和を謳歌して日々の不満を抱えておりました。
「残念な話だ。得している時、人は得していることになかなか気づけない。損には素早く気づくのにな。だが、優秀な王家、優秀な神殿、優秀な民である可能性もゼロではなかったさ」
「結論は出ました。可能性の話をする段階ではないでしょう」
「……そうか。寂しいな。美しく賢い人々というのも、どこかにいてほしいものだが」
私はなんともいえない気分になります。その奇跡のような人がいるとすれば、眼の前の彼以外であるでしょうか。
「あなたは?」
「俺はやれるだけのことをやるだけだ」
「強い力を持つ聖女が現れたのに、あなたは使わなかった」
「人がそれほど賢くないことを知っていたから、君という可能性から逃げたのさ。そして予測通り、隣国は君という宝を手に入れ、捨てた」
懐かしい十年前、誰もが私を救国の聖女と呼んだのに、殿下だけはそうではありませんでした。結界を張ることを申し出た私に、困った顔をして「それは困るんだ」と言うのです。
『ひとりの聖女に頼った防衛など怖くてたまらない。君が裏切ったらどうする。君の力が消えたら? どうあれ君もいずれは死ぬ』
『で、でも、大侵攻は無傷で超えられます。この危機さえ乗り切れば人は死なずに……』
『人は生きるよ。そのために死なねばならない』
そうして殿下は私が異常な力を持っていることを隠しました。結界は役に立つけれども、限定的なものだと広めました。そして、このような少女の肩に期待を乗せすぎてはいけないと臣下を発奮させたのです。
そして、魔物に対抗できる力を集めました。
私は力を使わせて欲しいと何度も願いました。殿下は困った顔で少し考え、苦さをこらえるように言いました。
『どうしても人を助けたいのなら、隣国へ行くといい』
『隣国……?』
『ああ。神にとって、この国の人間も、他国の人間も同じだろう?』
確かにそうだと思いました。
だから私は請われるまま隣国へ渡り、願われるまま国に結界を張ったのです。
『でも、もし、君がもう不要だと言われたら、帰ってきなさい。この国のためにも、隣国のためにも、やるべきことがある』
あの言葉の意味も、今の私にはもうわかっています。
「隣国の状況は悪い。結界で守られたぬるま湯の中で、優秀な武人が育つはずもない。すでに多くの死者が出ていることだろう」
「……はい」
私の罪です。
かつて私が救った民が、今、死んでいくのです。
私はもっと賢く、上手くやらねばなりませんでした。十年前、あの大侵攻が終わったあとは、結界の力を緩めていき、人々が私なしで生きられるように促さなければならなかったのです。
ええ、平和に「このままでいい」と考えることをやめてしまったのは、私も同じなのです。
周囲の反対にくじけて、諦めのような日々を過ごしたのです。
そしてこの日が来てしまった。
ああ、私はなんて愚かなのでしょう。
「落ち込んでいる暇はないぞ。すぐに部隊を整える。もちろん行くのだろう?」
「はい。……隣国の民を、救うために」
私は目を伏せて言いました。
このままでは隣国の民の多くが犠牲になります。いまから結界を張り直そうとしても、私の力は衰えています。すでに国に入り込んだ魔物を追い出すのは難しいでしょう。
放っておけば隣国は魔物に蹂躙された土地になります。
救うことができるのは、この国の武力だけです。
「では我々は、聖女様が隣国の王都にたどり着けるよう協力しよう」
私は震えながらうなずきました。
決断するしかないと、わかっていたはずなのに、恐ろしくてなりません。
私はこれからこの国の兵を借りて、隣国へと侵攻するのです。民を救うためという大義名分を抱えて。
そして民を守り、兵は多くの民とともに王都にたどり着くでしょう。
私はまた、かつての殿下の言葉を思い出しました。
『隣国を助けて、よいのですか……?』
十年前、そう聞いた私に、殿下は言ったのです。
『ああ。結局はそれも、我が国のためになるだろう。あるいは聖女の正しい使い道なのかもしれない……いや、忘れてくれ』
殿下はこう言いたかったのでしょう。
聖女のような危険なもの、自国で使うべきではない。他国を滅ぼすためにこそ使えるものだ、と。
私は思い上がっていたのでしょう。
結局、聖女にできるのは目の前の人を救うことだけなのです。
「ええ……ひとまずは」
私は悲しい気分でそう答えました。
結局、こうなってしまったのです。
「ひどい顔だ。だが大人になったな。十年前の君には、若い理想しかなかった」
「……そうでしょうね」
「現実は見えたかい?」
「ええ。殿下が私を送り出してくれた意味も」
殿下は苦笑すると肩をすくめ、懐かしむように目を細めました。
「もし、かの国が君を大事にするのなら、それでも良いと思ったんだ。国は発展するだろう。もしかすると我が国よりも」
「思ってもいないことを」
「そんなことはない。この国が魔物から民を守るため、どれほど金をかけているか知っているか? それがまるごとなくなるんだ。その金を上手く使えば、国が発展するのは当然だ」
そうかもしれない。
でも、実際にそんなことにはなりませんでした。
浮いたはずの金はどこにあったのでしょう。新しい産業も事業もおこらず、王家も貴族も教会も、そして平民も、ひたすらに平和を謳歌して日々の不満を抱えておりました。
「残念な話だ。得している時、人は得していることになかなか気づけない。損には素早く気づくのにな。だが、優秀な王家、優秀な神殿、優秀な民である可能性もゼロではなかったさ」
「結論は出ました。可能性の話をする段階ではないでしょう」
「……そうか。寂しいな。美しく賢い人々というのも、どこかにいてほしいものだが」
私はなんともいえない気分になります。その奇跡のような人がいるとすれば、眼の前の彼以外であるでしょうか。
「あなたは?」
「俺はやれるだけのことをやるだけだ」
「強い力を持つ聖女が現れたのに、あなたは使わなかった」
「人がそれほど賢くないことを知っていたから、君という可能性から逃げたのさ。そして予測通り、隣国は君という宝を手に入れ、捨てた」
懐かしい十年前、誰もが私を救国の聖女と呼んだのに、殿下だけはそうではありませんでした。結界を張ることを申し出た私に、困った顔をして「それは困るんだ」と言うのです。
『ひとりの聖女に頼った防衛など怖くてたまらない。君が裏切ったらどうする。君の力が消えたら? どうあれ君もいずれは死ぬ』
『で、でも、大侵攻は無傷で超えられます。この危機さえ乗り切れば人は死なずに……』
『人は生きるよ。そのために死なねばならない』
そうして殿下は私が異常な力を持っていることを隠しました。結界は役に立つけれども、限定的なものだと広めました。そして、このような少女の肩に期待を乗せすぎてはいけないと臣下を発奮させたのです。
そして、魔物に対抗できる力を集めました。
私は力を使わせて欲しいと何度も願いました。殿下は困った顔で少し考え、苦さをこらえるように言いました。
『どうしても人を助けたいのなら、隣国へ行くといい』
『隣国……?』
『ああ。神にとって、この国の人間も、他国の人間も同じだろう?』
確かにそうだと思いました。
だから私は請われるまま隣国へ渡り、願われるまま国に結界を張ったのです。
『でも、もし、君がもう不要だと言われたら、帰ってきなさい。この国のためにも、隣国のためにも、やるべきことがある』
あの言葉の意味も、今の私にはもうわかっています。
「隣国の状況は悪い。結界で守られたぬるま湯の中で、優秀な武人が育つはずもない。すでに多くの死者が出ていることだろう」
「……はい」
私の罪です。
かつて私が救った民が、今、死んでいくのです。
私はもっと賢く、上手くやらねばなりませんでした。十年前、あの大侵攻が終わったあとは、結界の力を緩めていき、人々が私なしで生きられるように促さなければならなかったのです。
ええ、平和に「このままでいい」と考えることをやめてしまったのは、私も同じなのです。
周囲の反対にくじけて、諦めのような日々を過ごしたのです。
そしてこの日が来てしまった。
ああ、私はなんて愚かなのでしょう。
「落ち込んでいる暇はないぞ。すぐに部隊を整える。もちろん行くのだろう?」
「はい。……隣国の民を、救うために」
私は目を伏せて言いました。
このままでは隣国の民の多くが犠牲になります。いまから結界を張り直そうとしても、私の力は衰えています。すでに国に入り込んだ魔物を追い出すのは難しいでしょう。
放っておけば隣国は魔物に蹂躙された土地になります。
救うことができるのは、この国の武力だけです。
「では我々は、聖女様が隣国の王都にたどり着けるよう協力しよう」
私は震えながらうなずきました。
決断するしかないと、わかっていたはずなのに、恐ろしくてなりません。
私はこれからこの国の兵を借りて、隣国へと侵攻するのです。民を救うためという大義名分を抱えて。
そして民を守り、兵は多くの民とともに王都にたどり着くでしょう。
私はまた、かつての殿下の言葉を思い出しました。
『隣国を助けて、よいのですか……?』
十年前、そう聞いた私に、殿下は言ったのです。
『ああ。結局はそれも、我が国のためになるだろう。あるいは聖女の正しい使い道なのかもしれない……いや、忘れてくれ』
殿下はこう言いたかったのでしょう。
聖女のような危険なもの、自国で使うべきではない。他国を滅ぼすためにこそ使えるものだ、と。
私は思い上がっていたのでしょう。
結局、聖女にできるのは目の前の人を救うことだけなのです。
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