本当は怖い婚約破棄

七辻ゆゆ

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本当は怖い婚約破棄

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「まあ落ち着きなさい、ランプレヒト。親としても王としても、おまえが若さゆえの過ちで将来を誤るのを見過ごすわけにはいかないのだ」
「若さゆえなど……! 私は本気です、父上。妻にはミーアしか考えられない。この想いは生涯変わらぬと誓いましょう」
「わ、私もです、陛下。恐れ多くもレヒト……、ランプレヒト殿下を、愛しています」

 ミーアは私の隣で震えながら言った。
 なんという勇気だろう。本来なら彼女は、侍女としてさえこの王の居室に入ることのできない身分だ。
 彼女の腕の感触に励まされながら、私は言った。

「父上、あなたも母上と共にあったからこそ、苦難を乗り越えてこられたのではありませんか。どうか正しい判断を。愛する人とともにあることが、人を強く、賢くするのです」
 腕の力が強くなる。
 その健気さに胸が震えた。ああ、彼女を隣で守り抜こう。なにものからも。
 なにより私の婚約者、公爵令嬢マリアローザから。

「ランプレヒトよ、わしとて、わしと妻のように、愛し愛される未来を得てほしいと思うておる。だが多くの令嬢の中からおまえは、マリアローザ嬢を選んだではないか?」
「それこそ……若い過ちというものです!」
「そうだな。マリアローザ嬢が嫌がったにもかかわらず、おまえはどうしても彼女が良いと言った」
「それは……」
「懐かしいですわ」
 マリアローザが微笑みながら言った。
 それは彼女にとって最良の日であっただろう!
 だが私にとっては、彼女に欺かれる日々の始まりだ。

「父上、私はただ、私を嫌がる令嬢に惹かれたのです。私の周囲には型にはめたような褒め言葉しかなかった!」
「物珍しさだけで選んだと?」
「そ……、いえ、違います、彼女ならば真実の言葉を聞かせてくれるに違いないと思ったのです!」
「ええ、わたくしはあの日より、いつでも殿下をお慕いしております」
「戯言を! おまえはわざと私を嫌いな振りをして、私の気を引いただけではないか。あれほど嫌がっていたというのに、次の茶会ではすでに、おまえは他の誰も私のそばに近づけなかった!」
 そう、私は謀られたのだ。
 本当に私を見てくれるのはミーアだけだ。貴族のいやらしさを持たない彼女が「大好きです!」と飾らない言葉をくれ、私は本物の愛を知ったのだ。
「それはそうですわ。誰かに取られてはたまりませんもの……」

「だ、だからって、マリアローザさんは、私に……」
 ミーアが私に縋りながら訴える。
「そうだ。父上、聞いてください。この女は……」
「ランプレヒト」
 私は舌打ちしたくなったが、我慢した。この女の名など呼びたくもないが、父上にわかってもらわねばならない。
 私のわがままや若気の至りなどではなく、すべてはこの女が悪いのだ。
「マリアローザ公爵令嬢は、私に近づくのにふさわしくないなど、ミーアをさんざん侮辱し、」
「ええ、男爵家はどのような教育をなさっているのかしら……」
「教科書を切り裂き、」
「その方に一冊の本は早すぎたのですわ。1頁ずつでも、きちんと理解してくださらなければ」
「階段から突き落としたのです!」
「汚い言葉を吐いて、わたくしの前から動こうとしないのだから、そうなりますわ」
「わ、わたしは、そんな、ただ、お話をして……」
 かわいそうなミーア。私が必ず守る。

「ふむ。しかしなランプレヒト、マリアローザ嬢のおまえへの愛は本物だ。決しておまえの悪いようにはするまい」
「もちろんですわ」
「ばかな。父上は騙されているのです。そのおん……、マリアローザは、ただ后の地位が欲しいのです」
「それはないのだ、ランプレヒトよ」
 父上がため息をついた。
 何が、何だというのだ。父上がこれほどマリアローザの肩を持つとは思わなかった。

「殿下、わた、私、は……」
「ミーア?」
「……」
「ミーア、どうした」
 くたりとミーアが私にもたれかかって目を閉じた。
「ミーア!」
「案ずることはない。薬が効いてきただけだ」
 父上の言葉に目を見開く。
「な、なにを、まさかミーアを」
「いいや。ここからは王家の大事となるのでな、余人に聞かせるわけにはいかぬゆえ、先に眠ってもらった」
「……」
 私は父上を、マリアローザを睨んだが、確かにミーアは安らかに眠っているだけのようだ。

「彼女は皇后となる人です。すべてを聞く権利があります」
「ふむ。では、話は次の機会にするかね」
「……いえ」
 私はためらった。
 早く父上を説得しなければならない。卒業の日は近い。学院を卒業したら、ミーアは家の都合で結婚することが決められている。
 そう、二十も年上の男の後妻になる!
 思うだけで頭に血がのぼる。許すわけにはいかない。婚約の破棄が遅れれば遅れるほど、ミーアはあの男に嫁ぐものとして周知されてしまうのだ。
「今で、構いません。彼女にはあとから私が伝えます。ですから……」
「では誰ぞ、ミーア嬢を休ませよ」
「し、しかし……」
「危害は加えぬ。私の名において誓おう」
「……」
 父上にそうまで言われては、私は侍女に運ばれていくミーアを見送った。頼りない寝顔だ。早く話を終わらせなければ。

「のうランプレヒト。マリアローザ嬢の思いは本物である。これは疑いようのないことなのだ。なぜならば……」
「父上、世迷い言です。貴族が真の心を見せるはずがないのだから」
 貴族に傅かれて育った私はよく知っている。
 特にマリアローザのことを信じられるはずがない。

「……この王家に伝わる魔法薬がある」
「は?」
「ええ、私はそれを頂いたのです、殿下」
「……魔法薬?」
 何の話だ。
 心が見える薬でもあるというのか?
「ああ。このことは、王であるこのわしと妻、公爵家の一部の人間しか知らぬ」
「公爵家の……?」

 私はマリアローザを見た。彼女はいつもの、得体の知れない微笑みを浮かべている。
「それというのも、公爵家で生成されているものなのだ。……現当主も、まさか自分の娘に使うことになるとは思いもしなかっただろうがな」
「……いったい何なのです、その薬、とは……」
「惚れ薬ですわ、殿下」

「は……」
 何を言い出すのだ。
「そんな、おとぎ話のような代物が」
「あるのです。……お恥ずかしながらわたくしは、殿下との婚約が嫌で嫌でたまらず、家を出奔しかけたのです」
「な」
「それが今では……ふふ。あなた様のお顔を見ているだけで、天にも昇る心地。あなた様のお言葉は、いつでも、何度でも、わたくしの心を塗り替える。きっと幸せにしてさしあげます。殿下。わたくしだけを見てくださいませ」
 気色の悪い。
 そう、いつでも彼女の言葉には、うっすらと寒い気味の悪さがあった。嘘ばかりをつく女の言葉だからだと思っていた。
 だがこれは、
 これはもしや、
 もっと根本的な、偽りの……

「ちち、うえ……」
 舌を噛みかけた。
 なんだ?
 とても眠い。
「効いてきたか」
「そうですわね。少し早いですが、それだけ興奮されていたようです」
 マリアローザと父上の声が聞こえる。しかし私の目はすでに閉じられいて、どうあがいても開きそうになかった。
 眠いのだ。
「ま、さか……っ」
 それでも拳を握り、口を開く。

 そうだ、さきほど言ったではないか「先に眠ってもらった」と。他にも眠るものがいなければ、そんな言葉は出ない。
「心配いりませんわ、殿下。目が覚めたらきっと、わたくしたち、似合いの夫婦になれます。とても仲良しの、似たもの夫婦に」
 マリアローザの、心のこもった、けれどこもっていない言葉が素通りしていく。助けてくれ。
 ミーア。

「ああ、大丈夫ですわ。ミーア様のお休みになる別室にも、婚約者の方をお呼びしておりますから」
「ば、ばかな……」
「ふふ。大丈夫、この王宮でふしだらなことはしませんわ。ただ、目を覚ましたときに顔を見なければなりませんの」
「ランプレヒトよ。案ずることはない。わしも妻も、その薬を飲んでいるのだから」
 父上と母上の仲睦まじい姿を思い、私は絶望した。
「もし殿下がお目覚めになっても、まだミーア様を愛してらっしゃるのなら……私は身を引きますわ」
「……マリアローザ嬢」
「陛下、そのくらいの希望はあってもよいではありませんか。もしそれが叶うのならば、私も、他の誰かを愛することができるでしょうから」


「わたくしは偽りなく殿下を愛しております。けれどわたくしとて、愛する人は選びたかったですわ」
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