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心を尽くせばわかってくれる
それでもローズは頑張った。
紹介された相手を必死に説得した。彼らはローズの「お友達」の義理があるようで、話だけは聞いてくれるのだ。
「申し訳ないですが、勝手に名前を書いたりできませんよ。僕も貴族家の一員ですので」
「だからこそよ、えっと……カベウスくん。貴族として大事なことがあるでしょ?」
「ええ、家門を守ることは何より大事です」
「それは小さな目標よ」
「はあ。……っ、ちょっと」
「よく考えてみて。家を守る、それはなんのため?」
ローズは気持ちが伝わるように、しっかりとカベウスの手を握り、目を見つめて言った。
取り付く島もなかった彼の目が泳ぐ。ようやく人間として、ローズを見てくれた気がした。
「……先祖が守り続けてきたものを、僕の代で潰すわけにはいかないでしょう」
「あっ、すごい。カベウスくんは優しい人なんだね。自分のことだけじゃないなんて」
「いや……」
「でもね、もしカベウスくんに子供ができたとして……ううん、カベウスくんの子じゃなくても、あなたの家を次ぐ子がいる。想像してみて。その子は幸せだと思う?」
「……それは、その子次第じゃないですか」
「そうね。でも、積み重ねてきた歴史は誰を幸せにするためのもの?」
手を握って、目を見つめて。
ローズの言葉にカベウスは動揺したようだ。
「家の子供たちが幸せになって、もちろん先祖さんに怒られるようなこともない。そんな道もあるって思うんだ。きっとみんなが、ほんとうの目的を忘れちゃってるから!」
「……!」
カベウスは震えた。
そんなことを言ってくる女性は、いや、老若男女誰一人いなかった。カベウスは「貴族は家を守るもの」と言い聞かされ、それを疑いようのないことと信じて生きてきたのだ。
だが心の何処かで不満もあった。
どうして自分自身でなく家のために生きなければならないのか。それを口に出すことは許されなかったし、当然、その気持ちを肯定してくれる人もいなかった。
「ローズ嬢……」
「やだ、ローズでいいわ。ね、簡単なことだと思うんだ。みんながちょっとずつでいいの。ちょっとずつ力を出したら、いっぱいの力になるでしょ。そうしたら、大きなものにも勝てる!」
「大きなもの……」
「そうよ。あなたは家に縛り付けられてるけど、家はもっと大きな家に縛り付けられてる。つまり、ハーヴェン公爵家ね」
カベウスにとって遠い世界の話だったが、確かにそうかもしれないと思う。家のためと言いながら両親は、寄親である貴族家の言いなりなのだ。
その寄親の家よりもさらに上、それがハーヴェン公爵家である。
「この署名が集まったら、公爵家の力を削ぐことができる。みんなの力で、すごく真っ当で、先祖さんにも誇れる手段で。それってすごいことだよ!」
「……いや、だめだ、だめだ、勝手に署名するなんて。僕らはまだ未成年なんだ。家に相談しないと」
「見て!」
ローズは彼の目の前で署名簿を開いてみせた。
「っ! こ、こんなに……?」
「そうよ。これだけの人が協力してくれてるの」
「……」
「誰も家に聞いたりしなかった。みんな、自分の意思で決めてくれたの」
「……」
「あなたはどうなの、カベウス!」
「……!!」
カベウスは強い衝撃を受けた。
並ぶ名前の中には高位貴族のものもある。堂々たる筆跡は壮観だった。彼らの意思が、わずかな力が、寄り集まって輝いて見えた。
「今のままでいいの? 家のためっていいながら、他の家のために尽くしてる。それでいいの!?」
「よく……ない……」
うめくような言葉が漏れた。
それが真実、カベウスの本音だった。よくない。まったくよくない。どうして自分の人生を、やりたいことを犠牲にしなければならないのか。
「なら書いて、カベウス」
微笑んだローズがペンを握らせてくる。
カベウスは頷いた。たくさんの名前が並んでいる。それはとても頼もしかった。その中に、カベウスは小さな名前をひとつ紛れ込ませるだけだ。
たったそれだけで、カベウスは未来を得た気になれた。
しかし署名をして翌日には、カベウスは後悔していた。
どうしてあんな話に乗せられてしまったのだろう。たくさんの署名があるからといって、見逃してくれるわけがない。むしろあの中で最も低位なのが自分であれば、見せしめにされる可能性すらある。
王家と公爵家の婚約に物申す、あれはそういう署名だ。はっきりとサインしてしまった。あれが表に出れば、自分は廃嫡されかねない。上位貴族に喧嘩を売る低位貴族など生き残れるはずがないのだ。
(どうする? どうすればいい……父上に相談したって切り捨てられる。サインを、なかったことにしないと……)
書類を盗んで破棄してしまう?
だが署名欄には高位貴族の子息のものもあった。そもそもローズと話したのだって、彼らに頼まれて断れなかったからだ。
裏切り行為が発覚すれば身の破滅に違いない。
(いや! このままいたところで破滅だ。署名活動が上手くいってもいかなくても、王家に逆らった貴族という名は残り続ける!)
カベウスは苦悩しながら、必死に知恵を絞り出した。
(僕だとバレないように破棄するしかない。それしか……でも、どうやって?)
急がなければならない。こうしている間にも、あの署名簿が誰かに見せられているかもしれない。王家に喧嘩を売った証がそこにある。
(早く、早くしないと……!)
下校の時間が来る前に、カベウスは考えがまとまるより先に、ローズのクラスへと向かった。彼女はいつものように「お友達」に囲まれ、堂々と話をしていた。
破滅がそこにあるというのに、どうしてああいられるのだろう。
羨ましい。サインをしたのだって、そこに気圧されたからだ。でも、ああはなりたくない。
「心を尽くせばわかってくれるわ」
「ああローズ、本当に君は素晴らしい。誰もが口にできない真実を教えてくれる」
「そんな、それしかできないだけよ」
「それが誰にもできないことだ」
「違いない! 大事なことはみんな君が教えてくれた」
「そうだ、くだらない因習など捨ててしまおう」
「みんな……あたしは大したことは考えてないよ。この心ひとつしかないもの。手伝ってくれるみんなのおかげだよ。本当にありがとう」
「ローズ……」
「ローズ」
周囲が軽蔑した視線を向けることに気づいてもいない。どうして「お仲間」以外の署名が集まらないのか、そんなのわかりきっているではないか。中身のない、酔っ払ったやつらにまともに取り合ってどうする。
(なぜこんなやつらに、僕は……!)
署名簿はローズの座る机の上にある。その周囲を男たちが囲んでいる。誰も署名簿に意識を向けてはいないが、気づかれずかすめ取るなんて不可能だろう。
カベウスはじっと彼らを観察する。幸いというべきか、彼らを迷惑そうに見ているものは多くいる。カベウスの存在は目立っていない。
本当に、ローズとお友達たちは周囲が気にならないようだ。
(このまま、署名簿を置いてどこかに行ってくれたら……)
頼れる友人がいれば、協力を頼むことができただろう。彼らの気をそらしてもらって、その間に署名簿を盗む。
しかしもちろん、こんな最悪なことを誰にも打ち明けられはしない。
(そもそも、どんなバカだってあれを置いていくわけはないか。だったら……ローズがひとりの時を狙うしかない)
ひとりになるときがあるのは知っている。そのとき、署名簿を持っていることも。
(二人きりで話をした。もし他の誰かが呼び出しても、そうなんじゃないか? だったら……)
紹介された相手を必死に説得した。彼らはローズの「お友達」の義理があるようで、話だけは聞いてくれるのだ。
「申し訳ないですが、勝手に名前を書いたりできませんよ。僕も貴族家の一員ですので」
「だからこそよ、えっと……カベウスくん。貴族として大事なことがあるでしょ?」
「ええ、家門を守ることは何より大事です」
「それは小さな目標よ」
「はあ。……っ、ちょっと」
「よく考えてみて。家を守る、それはなんのため?」
ローズは気持ちが伝わるように、しっかりとカベウスの手を握り、目を見つめて言った。
取り付く島もなかった彼の目が泳ぐ。ようやく人間として、ローズを見てくれた気がした。
「……先祖が守り続けてきたものを、僕の代で潰すわけにはいかないでしょう」
「あっ、すごい。カベウスくんは優しい人なんだね。自分のことだけじゃないなんて」
「いや……」
「でもね、もしカベウスくんに子供ができたとして……ううん、カベウスくんの子じゃなくても、あなたの家を次ぐ子がいる。想像してみて。その子は幸せだと思う?」
「……それは、その子次第じゃないですか」
「そうね。でも、積み重ねてきた歴史は誰を幸せにするためのもの?」
手を握って、目を見つめて。
ローズの言葉にカベウスは動揺したようだ。
「家の子供たちが幸せになって、もちろん先祖さんに怒られるようなこともない。そんな道もあるって思うんだ。きっとみんなが、ほんとうの目的を忘れちゃってるから!」
「……!」
カベウスは震えた。
そんなことを言ってくる女性は、いや、老若男女誰一人いなかった。カベウスは「貴族は家を守るもの」と言い聞かされ、それを疑いようのないことと信じて生きてきたのだ。
だが心の何処かで不満もあった。
どうして自分自身でなく家のために生きなければならないのか。それを口に出すことは許されなかったし、当然、その気持ちを肯定してくれる人もいなかった。
「ローズ嬢……」
「やだ、ローズでいいわ。ね、簡単なことだと思うんだ。みんながちょっとずつでいいの。ちょっとずつ力を出したら、いっぱいの力になるでしょ。そうしたら、大きなものにも勝てる!」
「大きなもの……」
「そうよ。あなたは家に縛り付けられてるけど、家はもっと大きな家に縛り付けられてる。つまり、ハーヴェン公爵家ね」
カベウスにとって遠い世界の話だったが、確かにそうかもしれないと思う。家のためと言いながら両親は、寄親である貴族家の言いなりなのだ。
その寄親の家よりもさらに上、それがハーヴェン公爵家である。
「この署名が集まったら、公爵家の力を削ぐことができる。みんなの力で、すごく真っ当で、先祖さんにも誇れる手段で。それってすごいことだよ!」
「……いや、だめだ、だめだ、勝手に署名するなんて。僕らはまだ未成年なんだ。家に相談しないと」
「見て!」
ローズは彼の目の前で署名簿を開いてみせた。
「っ! こ、こんなに……?」
「そうよ。これだけの人が協力してくれてるの」
「……」
「誰も家に聞いたりしなかった。みんな、自分の意思で決めてくれたの」
「……」
「あなたはどうなの、カベウス!」
「……!!」
カベウスは強い衝撃を受けた。
並ぶ名前の中には高位貴族のものもある。堂々たる筆跡は壮観だった。彼らの意思が、わずかな力が、寄り集まって輝いて見えた。
「今のままでいいの? 家のためっていいながら、他の家のために尽くしてる。それでいいの!?」
「よく……ない……」
うめくような言葉が漏れた。
それが真実、カベウスの本音だった。よくない。まったくよくない。どうして自分の人生を、やりたいことを犠牲にしなければならないのか。
「なら書いて、カベウス」
微笑んだローズがペンを握らせてくる。
カベウスは頷いた。たくさんの名前が並んでいる。それはとても頼もしかった。その中に、カベウスは小さな名前をひとつ紛れ込ませるだけだ。
たったそれだけで、カベウスは未来を得た気になれた。
しかし署名をして翌日には、カベウスは後悔していた。
どうしてあんな話に乗せられてしまったのだろう。たくさんの署名があるからといって、見逃してくれるわけがない。むしろあの中で最も低位なのが自分であれば、見せしめにされる可能性すらある。
王家と公爵家の婚約に物申す、あれはそういう署名だ。はっきりとサインしてしまった。あれが表に出れば、自分は廃嫡されかねない。上位貴族に喧嘩を売る低位貴族など生き残れるはずがないのだ。
(どうする? どうすればいい……父上に相談したって切り捨てられる。サインを、なかったことにしないと……)
書類を盗んで破棄してしまう?
だが署名欄には高位貴族の子息のものもあった。そもそもローズと話したのだって、彼らに頼まれて断れなかったからだ。
裏切り行為が発覚すれば身の破滅に違いない。
(いや! このままいたところで破滅だ。署名活動が上手くいってもいかなくても、王家に逆らった貴族という名は残り続ける!)
カベウスは苦悩しながら、必死に知恵を絞り出した。
(僕だとバレないように破棄するしかない。それしか……でも、どうやって?)
急がなければならない。こうしている間にも、あの署名簿が誰かに見せられているかもしれない。王家に喧嘩を売った証がそこにある。
(早く、早くしないと……!)
下校の時間が来る前に、カベウスは考えがまとまるより先に、ローズのクラスへと向かった。彼女はいつものように「お友達」に囲まれ、堂々と話をしていた。
破滅がそこにあるというのに、どうしてああいられるのだろう。
羨ましい。サインをしたのだって、そこに気圧されたからだ。でも、ああはなりたくない。
「心を尽くせばわかってくれるわ」
「ああローズ、本当に君は素晴らしい。誰もが口にできない真実を教えてくれる」
「そんな、それしかできないだけよ」
「それが誰にもできないことだ」
「違いない! 大事なことはみんな君が教えてくれた」
「そうだ、くだらない因習など捨ててしまおう」
「みんな……あたしは大したことは考えてないよ。この心ひとつしかないもの。手伝ってくれるみんなのおかげだよ。本当にありがとう」
「ローズ……」
「ローズ」
周囲が軽蔑した視線を向けることに気づいてもいない。どうして「お仲間」以外の署名が集まらないのか、そんなのわかりきっているではないか。中身のない、酔っ払ったやつらにまともに取り合ってどうする。
(なぜこんなやつらに、僕は……!)
署名簿はローズの座る机の上にある。その周囲を男たちが囲んでいる。誰も署名簿に意識を向けてはいないが、気づかれずかすめ取るなんて不可能だろう。
カベウスはじっと彼らを観察する。幸いというべきか、彼らを迷惑そうに見ているものは多くいる。カベウスの存在は目立っていない。
本当に、ローズとお友達たちは周囲が気にならないようだ。
(このまま、署名簿を置いてどこかに行ってくれたら……)
頼れる友人がいれば、協力を頼むことができただろう。彼らの気をそらしてもらって、その間に署名簿を盗む。
しかしもちろん、こんな最悪なことを誰にも打ち明けられはしない。
(そもそも、どんなバカだってあれを置いていくわけはないか。だったら……ローズがひとりの時を狙うしかない)
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