(完結)殿下との婚約は私には破棄できませんの。……どうしてもというなら、署名活動なさったら?

七辻ゆゆ

文字の大きさ
5 / 6

バカなやつ

 ローズの体温と呼吸、そして涙で、じんわりハルシェードの胸が暖かくなっていく。

「くそっ……」
「う、ぐす、さんじゅ、なな……」
「なに?」
「さんじゅうなな、集まってたの、もうすぐ、だったのに……!」
「……」

 ハルシェードは言葉を失った。
 ローズが署名活動をすると言ったとき、ハルシェードは止めなかった。どうせ失敗するのは目に見えていた。
 ただ、自分よりバカがいることを心地よく思っただけだ。

「三十七人も……ハルくんの、ために……みんな……」

 確かにハルシェードは、それほども署名は集まらないだろうと思った。皆、王家に媚びるばかりで、ハルシェードの気持ちなどどうでもよいのだ。
 しかし三十七人。
 平民ではない、学園に通う貴族子女の三十七人。
 少なくはない。

 だが何よりも、どうしてローズがそこまで必死になっているのか。
 自分のことでもないのに。
 そのことがハルシェードの心に響く。どうしようもなく重く。

「ローズ……」
「んっ、でも……でも、また、また集めるから!」
「……バカか」
「また集める、絶対! ハルくんになんて言われたって! だってハルくん、嫌なんでしょ? 嫌なことやる必要なんてないよ。あたしは、ハルくんを応援するよ」

 そんなことを言ってくれた人はいない。
 ずぶ濡れで、汚い女が、それでも必死に言い募るのだ。ハルシェードの胸にふつふつと、忘れていた、忘れようとしていた怒りが蘇る。そうだ。

 どうして自分が、あのいけすかない女と結婚しないといけないのだ。
 あの、ハルシェードの気持ちなどどうでもいいと思っていそうな女と。数カ月先、卒業のあとには確実に。
 あの女に馬鹿にされながら生きていくなんてごめんだ!

「……ローズ。立てるか?」
「えっ、あ、うん」
「行くぞ」
「ハルくん……!?」

 ハルシェードはしっかりとローズの腰に手を回し、校舎の中に入っていった。




「はい?」
「とぼけるな!」
「そうおっしゃられましても、困りますわ」

 リツェルは書類をしっかり片付け、目の前の二人を見た。
 ローズはなんだか汚い液体で全身濡れているし、髪までべちょべちょだ。それにくっついているハルシェードも、片側だけ汚れている。

 どういう状況だろう。
 とりあえず帰って着替えた方が良いと思う。生徒会室を汚されたら嫌だなと思うし。

「ローズを池に突き落とし、署名を奪った。お前以外に誰がこんなことをするというんだ!」
「……普通に他にいらっしゃるのでは?」
「なんだと?」
「殿下はお立場がお立場ですし、ローズさんも王家の婚約に異を唱える生徒と知られていますもの。邪魔したい方ならいくらでも思いつきますわ。聞きます?」
「はっ……聞いたところで、意味もないたわごとで時間稼ぎしようとしても無駄だ」
「はあ。それで、ご要件は?」

 時間稼ぎされたくないなら、早急に要件を告げるべきだろう。
 そう思って聞いてあげたのだが、ハルシェードがもごついた。どうやら勢いで来て、言うべきことを決めていなかったようだ。

「ひどい! あんな、あんなやり方、間違っています!」

 かわりにローズが叫んだ。
 自分の汚れを気にもかけないさまには、何らかの気迫は感じられた。そういう変な勢いはあるのだ。だから署名をそれなりに集められたのだろうな、とリツェルはそこについては少し感心している。

「暴力では何も解決しません!」
「そもそもわたくしではないと言っているのに、証拠もなく決めつけはよくないですよ。精神的暴力と言って良いです。わたくしを社会的に抹殺しようとしているのですから」
「はっ? な……」
「証拠がなくとも、お前の仕業であることは明らかだ!」
「殿下の頭の中ではそうなのでしょうねえ。それをみなさまが拝見できればよろしいですけれど」

 どうせ説得できそうにもないので、リツェルは悪役っぽく言ってみた。実際、本音である。ハルシェードは本当に考えが足りない。
 幼い頃から教師をつけられてきたけれど、こうなった。それは教師が王子に遠慮したせいかもしれないし、もともとの彼の質かもしれない。

 どちらにしても、リツェルが付き合う義務はないのだ。

「証拠、とか……そういう話じゃありません。あたしは、もうこんなことしないでほしいだけです!」
「わあ」

 リツェルはびっくりした。
 ハルシェード以上に話を理解しない人がいた。そもそもリツェルがやったと確定しなければ「もうするな」という話は存在しないのだ。

「ローズさんを池に突き落とすな、ということでしたら、やらないと思いますよ。時間の無駄ですし」

 リツェルはなんだか哀れみを感じ、ちょっと親身に言った。

「信じられるか!」
「だって署名の紙がなくなったところで、また書いて貰えばいいだけですもの。数百単位ならともかく、数十の署名なら、一日あればもとに戻せますわ」

 署名者が後悔していなければ、とは、話の主軸ではないのでわざわざ言わない。

「それをまた奪うつもりだろう!」
「でしたらねえ、殿下がお持ちになればよろしいのですよ」
「……は?」
「殿下が常にしっかり抱えていれば、この学園にそれを奪えるものは存在しません。そうではなくて?」
「……そ、れは……そうだが……だが、どんな卑怯な手を使うつもりだ?」
「はあ」

 リツェルはため息をついて立ち上がった。

「本当に、殿下は嫌う相手には何でもできてしまわれますのね。決めつけの冤罪も、罵倒も、生徒会の仕事を押し付けることも、自分の中で正しいから、罪悪感なんてまったくないのでしょうねえ」
「仕事を押し付けるなど……! 貴様が勝手に、奪ったのだろう! 生徒会を私物化して……!」
「では殿下にお返しします。まあ、これからですと、卒業パーティの準備くらいしかやることはありませんけれど」
「な……」
「そうですわね。これからはこの部屋で、ローズさんと一緒にしっかり署名をお守りになるとよろしいですわよ」

 リツェルは本来なら生徒会長の座る椅子を、本来の持ち主に返し、生徒会室を出ていく。無言のファナも影のように付き従った。

「ま、待て!」
「リツェルさん! こんなことをしてたら、リツェルさんだって幸せになれないじゃないですかっ、どうしてわかってくれないんですか!」
「わかってくれない?」

 最後に振り返って、汚れた二人を見た。

「殿下もよくそうおっしゃっていましたわ。お前は俺のことをわかってくれない、と。わたくしはそのたび、では殿下はわかっているのかしら、と思ってしまいましたの。最初の顔合わせから不機嫌そうにされてどういう気持ちになるか、ずっと会話を無視されてどう感じるのか、わかってやっておられたのかしら」

 微笑む。

「本当、お似合いですわ」

あなたにおすすめの小説

初夜に「君を愛するつもりはない」と夫から言われた妻のその後

澤谷弥(さわたに わたる)
ファンタジー
結婚式の日の夜。夫のイアンは妻のケイトに向かって「お前を愛するつもりはない」と言い放つ。 ケイトは知っていた。イアンには他に好きな女性がいるのだ。この結婚は家のため。そうわかっていたはずなのに――。 ※短いお話です。 ※恋愛要素が薄いのでファンタジーです。おまけ程度です。

いや、無理。 (3/27・0時完結)

詩海猫(9/10受賞作発売中!)
恋愛
細かいことは気にせずお読みください。 一旦完結にしましたが、他者視点を随時更新の間連載中に戻します。 もはや定番となった卒業パーティー、急に冷たくなって公の場にエスコートすらしなくなった婚約者に身に覚えのない言い掛かりをつけられ、婚約破棄を突きつけられるーーからの新しい婚約者の紹介へ移るという、公式行事の私物化も甚だしい一連の行動に、私は冷めた瞳をむけていたーー目の前の男は言い訳が終わると、 「わかってくれるだろう?ミーナ」 と手を差し伸べた。 だから私はこう答えた。 「いや、無理」 と。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

今更戻って来いと言われても遅い、というか、その行動が無駄すぎでは?

七辻ゆゆ
ファンタジー
メグは元隣国の文官だった。しかし平民のメグは雑に扱われ、いきなり解雇された。城で一番働いてたんだけど大丈夫? まあダメだったみたいで王子がやってきたけど、メグは思うのだ。替えの利かない労働者なんていない。

初夜に放置された花嫁は、不誠実な男を許さない~不誠実な方とはお別れして、誠実な方と幸せになります~

明衣令央
恋愛
初夜に新郎は元婚約者の元へと走り、放置された侯爵令嬢セシリア。 悲しみよりも屈辱と怒りを覚えた彼女は、その日のうちに父に連絡して実家に帰り、結婚相手に婚姻無効叩きつけた。 セシリアを軽んじた新郎と元婚約者は、社交界の制裁を受けることになる。 追い詰められた元婚約者の男爵家が放った刺客に襲われそうになったセシリアを救ったのは、誠実で不器用な第三騎士団副隊長レオン。 「放置どころか、一晩中、離すつもりはないよ」 初夜から始まったセシリアの物語は、やがて前回とは違う初夜へと辿り着く――。

悪役断罪?そもそも何かしましたか?

SHIN
恋愛
明日から王城に最終王妃教育のために登城する、懇談会パーティーに参加中の私の目の前では多人数の男性に囲まれてちやほやされている少女がいた。 男性はたしか婚約者がいたり妻がいたりするのだけど、良いのかしら。 あら、あそこに居ますのは第二王子では、ないですか。 えっ、婚約破棄?別に構いませんが、怒られますよ。 勘違い王子と企み少女に巻き込まれたある少女の話し。

夢を叶えた娘

肺魚
恋愛
婚約者である公爵令嬢を放って、男爵令嬢を側近たちと囲む王太子殿下。今日も学園でモラトリアムな軽口を囀っている。でも待って。その軽口、冗談ではすまないかも?

【完結】精霊に選ばれなかった私は…

まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。 しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。 選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。 選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。 貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…? ☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。