契約結婚なら「愛さない」なんて条件は曖昧すぎると思うの

七辻ゆゆ

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「閣下、落ち着いて思い出してください」

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「リンを傷つけたな……!」

 ガルテノが店に飛び込んできた時、ジュディはまだ自警団に事情を聞かれていた。
 偽装結婚の話から、なかなか話が込み入っている。それにしたって、ずいぶん早く駆けつけたものだった。

「あの女よ、あたしを、あたしをこんな顔にっ……ひどいわ、ああっ!」
「ジュディ・エランカッ! こうもすぐに化けの皮が剥がれるとはな! 離縁だ! それだけですむと思うなよ、傷害罪で訴えて牢から一生出られないようにしてやる……!」

「それは無理っすね」

 ジュディがさすがに勢いに押されていると、口を出したのは自警団の青年だった。同時に前に出て、大きな体でガルテノを圧迫している。

「な、なんだお前は」
「アーバー街自警団のものです。国に認可された正式な組織っすよ」
「自警団がなぜ口を出す!」
「我々が呼ばれたのは、そこのリンさんが店で暴れてるって通報があったからっす。残念ながらリンさんは逃亡したんで、その場にいた客の話を聞いて、確かにリンさんが暴れたのだと考えてますよ。ほら、投げて壊した商品がそこ」
「そっ……それは、違うの、ガーノ、あたし、このひとと話をしようと思って……そしたら、平民だとか、愛人だとか、ひどいことを言われて……っ、あたし、あたしとガーノは愛し合ってるのに……!」
「リン……うっ」

(うっ?)

 見れば、ガルテノはなぜか愛しのリンから目を逸らしていた。

(ああ……)

 ジュディは呆れて、思わず口を出してしまった。

「顔を愛し合っていたのですね」
「なっ!? ち、ちがう、そうじゃない、こんな、無惨な、かわいそうで、見ていられない!」
「ならせめて抱きしめて差し上げたらどうでしょう」
「も……もちろんだ。ああリン……」

 そう言って抱き寄せながら、ガルテノはどこか身が引けている。

「調書はこちらっす。リンさんとジュディ嬢の会話はほぼほぼ聞かれてたんで、再現してます」
「は? リン、こんなことを言ったのか……?」
「言うわけないわ! あたしは、あたしとガーノのことをわかってほしくて来ただけなの……」
「そう、だよな、君がこんな嫉妬に狂った女のようなことを……だが……」
「本当なの!」
「うっ!?」

 リンが顔を上げて、うるうるとした瞳でガルテノを見つめた。
 しかしその目は腫れ上がった頬に押されて細くなっている。ガルテノは顔をそむけ、思わずのように掴まれた手も振り払った。

「どうしてっ……」
「あ、すまない! すまない、しかし、これだけ証言があっては……」
「本当なのよ、ガーノ、あたしを信じて、あたしを愛してるでしょう? あのひとを訴えて、あたしにひどいことをしたのよ? あなたはあたしを守らなきゃいけないでしょ?」
「いや……しかし……」

 リンが悲しげに縋れば縋るほど、目に見えてガルテノの熱は下がっているようだ。顔が好みでない女に迫られることは、彼にとって苦痛なことらしい。

(リンさんが哀れになってくるからやめてほしいわ。愛って……)

「そ、そうだ、いくら商品を壊したとしても、こんな暴行していいはずがない!」
「いやでも、ジュディ嬢は貴族令嬢で、リンさんは平民っすよね」
「は?」
「ひどいっ、いくら貴族だからって……」
「貴族だと罪人に罰を与える権利があるんっすよね。リンさんが何もしてなきゃもちろん越権っすけど、暴れて店の商品を壊した平民にこの程度の罰を与えるってのは、むしろ優しい方じゃないっすかね」

 ジュディも頷いた。
 平民が平民に何をされても、正当防衛以上に復讐する権利はない。それは司法に願わなければならないのだ。
 しかし貴族なら、平民の所業を即座に罰することができる。

「そんなの許されるわけないわ、ねえっ、ガーノ!」
「いや……君がやったことが事実なら、それは正しい権利だ……」
「ガーノ!? 何を言ってるの。あたしを見て、ね?」
「……そもそも、リン、なぜ、ここに来たんだ……? 絶対に近づくなと言っただろう」
「え、だって、それは、あたし、どうしても」
「考えてみれば、君はいつもそうだ。いつも厄介事を引き起こす……」
「そんなっ、あたしはただ、あなたを愛しているだけなのに……」

 すがりつかれたガルテノは、なぜか救いを求めるようにジュディを見た。
 ジュディはにこりとガルテノに微笑みかける。

「リンさんの件についてはそれでよろしいでしょうか?」
「あ、ああ……その」
「では、わたくしたちの話をしましょう。閣下がこちらにいらしてしまったので、契約は閣下の有責で破棄、離縁と五百ロナをご用意くださいね」
「待ってくれ、まだ結婚したばかりで……殿下の会の参加も」
「でも契約ですから」
「そっ……それを言うなら、君だって、約束を破って私を愛し、リンを傷つけただろう!」
「なんの話です?」
「リンに嫉妬したから、ああまでひどいことをしたのだろう!? 女が、女の顔を、あんな……!」

 さて、それはどうだろう。
 実際にボコボコにしたのは客の女性たちである。きれいな顔を狙った意味はあっただろうか。ムカついた、という大変純朴な理由はあったかもしれない。
 が、それは言わなかった。平民が勝手にボコしたとなれば私刑であり、犯罪だ。

「閣下、落ち着いて思い出してください」

 ジュディは微笑み、言い聞かせるように告げる。

「愛などという曖昧で、いつ消えるかもわからないもののことなど、契約書には一言も書かれていませんよ」




 その後、ガルテノがうるさく納得しなかったため、裁判になりかけたが、最終的には彼の両親も出てきて示談になった。家としては醜聞を避けたかったのだろう。

 当初の五百ロナの三倍、千五百ロナを受け取ることになり、ジュディはほくほく隣国に渡って事業を始めた。苦労もしたし、一時は借金を背負うことにもなったが、十年後には安定して利益が得られるようになり、家族もできた。

 ふと、思いついて実家に手紙を送って聞いてみると、どうやらガルテノは再婚のあとまたすぐ離婚、それから弟が侯爵家を継ぐことになったらしい。そうよね、あれじゃあね、とジュディはとても納得した。
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