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名前
しおりを挟む寒い季節を耐えていた緑を起こし、蜂や蝶などの虫の活動を祝福する春の初め。寒かった冬を忘れるかのように愉快そうに空を舞う蝶を馬車の中から見た私は、鏡を見ながら一生懸命整えた自分の姿に気持ちが重くなる。
ーー彼は私の姿の変化に気付いてくれるのだろうか?
長めのポニーテールを下ろし、髪型をミディアムに変えた私。彼の好みというのは分からないが、少しでも髪型を変えて彼に私のことを意識させたい私は、最近令嬢で流行っているというミディアムに変えてみることにした。友達の令嬢を見ても、三人に一人くらいはミディアム。どうしてミディアムが流行りだしたのかは分からないが、お茶会などを訪れるとミディアムの流行りを感じさせる。彼は本以外に興味が無さそうだが、流行に付いていけない女だと思われたくないので、今まで一度もしたことのないミディアムにしてみた。自分で自分のことを可愛いというのは変な奴と思われそうだけど、ミディアムに変えた自分を見て少し可愛いと思ってしまった。先程会った友達にも、お世辞かもしれないが“可愛い”の一言を貰った。……これなら、今まで一度も彼から言われたことのない可愛いを貰える?
手鏡に映る自分の姿を見て何度も溜め息をついていると、馬車を操っている使用人さんからストップが掛かる。途中から手鏡ばかり見ていたので気付かなかったが、気付けば彼の屋敷だ。馬車の外の景色には、彼がよく楽しそうに見ている花や、太陽の光で反射し宙を輝く噴水の水飛沫があった。
使用人に手を引かれて、馬車から足を地面に移すと、移そうとしたところでバランスを崩し、そのまま体が前に。地面がどんどんと近付いていく中、着地の準備が整っていない私は慌てながら着地の準備に取り掛かると、突然視界が真っ暗になり何か暖かい物に体が包まれる。視界が真っ暗な為、外がどうなっているのか分からないが、使用人達の嬉しそうな興奮したような甲高い声。暖かい何かに包まれている私は、視界が真っ暗な中でその暖かい何かに心を落ち着かせていると、視界が急に光を取り戻す。
光を取り戻した世界に、使用人達の嬉々とした声の原因を確かめる為に周りを見渡そうとすると、目の前にはーー彼の少し紅くなった頬に、久し振りに見た彼の嬉しそうに微笑む顔。
急に現れた彼に私の心臓は急激に活動を加速させると、彼は嬉しそうに微笑みながら口を開いてーー
「そんなに慌ててどうしたの、ティアラさん?」
さんが付けられたことに惜しさを感じたが、久し振りに彼はティアラと私の名前を呼んだ。
■■■■
「だから、私のことはティアラって呼んでよ。」
「……久し振りに呼んだから無理。」
「駄目?」
「うっ…だ、駄目!!」
彼の恥ずかしそうに顔を赤める姿に、私は頬を緩める。今日の彼は、本を読むのが仕事と言ったような姿とは違い、本を身に纏っていない。気が付けば、彼がよく本を読む為に座っている椅子と机も無くなっており、あんなに読んでいた本はどうしたという感じだ。本を真剣に読む彼の姿も好きだったが、こうして彼と楽しく話が出来るのは胸が踊る。
久し振りの彼との会話に胸が踊る中、彼に頬が熱くなっていることがバレないように、彼に話をし続ける。彼とろくに話してこなかった私は、いつ話が途切れてもいいように、話が途切れても大丈夫なように頭を働かせていたが、中々話は止まらずにどんどんと広がっていく。話し慣れた家族のように続く彼との会話は、私達に今まで当てはまらなかった仲の良い夫婦を思い浮かばさせるようで、それを考える度に胸と頬が熱くなる。
そんな私は、正面切って今まで私と話をしてくれなかった理由を聞くことにした。
「ねぇねぇ。どうして私と今まで話をしてくれなかったのに、今日はこんなに話してくれるの?」
「……言わなきゃ駄目?」
「う~ん。別に、私の言うことを聞いてくれるならいいよ?」
「……そのことについて話して、とかいう命令は無いよね?」
「無いから安心して。それで、私の言うことを聞くの?」
「う、うん。ティアラさんの言うことを聞くよ。」
急に私と話をしてくれるようになった理由が聞けないことに残念になる中、私は彼にどんな命令をさせようか考える。今まで冷たかった彼が見せる表情は子供のようで、私が腕を組んで必死に考えようとする振りをすると、私の命令の内容を考えてか、親に物を隠された子供のように深刻そうな顔をする。
彼のそんな表情を存分に堪能する中、私は既に決めていた命令を言うことにする。彼に名前を呼ばれた時から、既にこれを彼にさせたいと決めていた。彼は恥ずかしがってやらないかもしれないが、急に私と話してくれるようになった理由を言わないので、容赦はしない。
そんな私は空気を多めに吸って、彼に聞こえないと避けられることが無いようにして決めていた言葉を口に出した。
「ーー私のことをティアラって呼んで!!」
「っ!!」
私が言った言葉は彼に届いたのか、私が言葉を放つ前から少し赤かった彼の顔は、言葉を放った瞬間から急激に赤みを増していく。彼は自分の赤くなっていく顔を隠そうと、ポッケから取り出したハンカチで顔を隠そうとするが、そんなことはさせない。
ハンカチで顔を隠そうとする彼に、もう少しでキスが出来そうな程近くまで私は近付いた。
「早く言って!!」
「ティ、ティアラ!!」
「ーー!!」
久し振りに聞いた私の名前。さんが付いていた時と、付いていなかった時では、全くと言って良いほど言われた時の嬉しさが違う。先程助けられた時に久し振りに言われた名前も、自分の心を暖かさで満たしてくれるような力があったが、今言われた名前はそれ以上に私の心を暖かさで満たした。
恥ずかし過ぎたのか、ついには後ろを向いて私から完全に顔を隠そうとする彼に、顔を合わせるように彼の前に体を動かすと、青い透き通った瞳で私に助けを求めるような顔をする真っ赤な顔のベリー。ベリーの中性的な顔立ちも相まって、その姿は何処か子犬のような愛らしさがあって抱き締めたくなる。
胸に突如浮かんだ今までとは違う感情を抑えながら、私はもう一度彼に名前を求めた。
「も、もう一度名前を言って!!」
「ティ、ティアラさん?」
「………一度ティアラって呼んだんだから、これからもティアラって呼んで!!」
「ーーえ?」
「だから、ティアラって呼んで!!」
「ーーティアラ!!」
「!!」
彼の躊躇いのない、熱意の込められた返事に私の思考回路は止まった。
彼に名前をもう一度呼ばれた後、彼と楽しく話した記憶はあったが………
ーー内容まではどうしても思い出せそうに無かった。
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