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20話 優木坂詠は自分の気持ちを認めないようです
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「ただいま」
「にゃーん」
「ふふ、ムギ。お出迎えご苦労」
玄関のドアを開けると、いつものように飼い猫のムギが出迎えてくれた。
私――優木坂詠は、靴を脱いで家に上がり、足元にすり寄るムギをじゃらしながら、そのままリビングの戸を開けた。
「おかえりなさい、詠」
「ただいまお母さん」
リビングに入ると、ソファーに座ってテレビを見ていたお母さんが私に声をかけてきた。
「案外早かったのね。どう? 楽しかった?」
「うん、楽しかったよ。あと、お母さんが持たせてくれたお土産のワインセット、喜んでくれた。ありがとう」
「あらそう。それなら良かった」
お母さんは嬉しそうな顔で笑う。
「お母さん、文は?」
「部屋にいるわ。多分本でも読んでるんじゃない?」
「そっか」
それからお母さんは、リモコンでテレビの電源を消すと、私の方に向き直った。
「ねえ、詠」
「なに?」
「今日の相手のお友達って、男の子なんでしょう?」
「えっ!?」
いきなりそんなことを言われ、私は驚いてしまった。
余計な心配や勘繰りをされるのも嫌だったので、お母さんには今日のことは、友達の家で一緒に晩御飯を食べてくるとだけ説明して、相手が男子だということは伏せていた。
「あ、あの、その」
「隠さなくたっていいわよ。別に怒らないし、むしろお母さん、応援してるから」
しどろもどろになる私に対し、お母さんはとても穏やかな口調で言った。
「……どうして分かったの?」
私が尋ねると、お母さんは笑顔を浮かべながら答えた。
「そりゃあわかるわよ。だって詠、ここ最近ずっと嬉しそうにニヤニヤしてたし。それに、雰囲気が変わった。だから同じ女としてピンときたわ」
「そ、そうかな?」
お母さんの言葉を聞いて、私は慌てて自分の顔をペタペタと触ってみる。自分では自覚はなかったんだけれど、そんなにニヤニヤしていたんだろうか。
「ちなみに文も言ってたわよ? お姉ちゃんのあの反応は間違いなくオトコだって」
「あ、あの子……!」
まさか小四の妹にも気取られているなんて。
恥ずかしさから顔が熱くなるのを感じた。
「でもよかった。高校入学してすぐの頃は、本当に不安そうな表情ばっかりだったけど、最近は凄く明るくなったもの。良い友達ができたみたいで安心したわ」
「う、うん……青井くんっていうんだけど、本当に良い人なんだよ。私と同じ本好きでね……」
私がそう言うと、お母さんは優しい微笑みを見せた。
「ねえ、詠。せっかくだからその青井くんのこと、今度うちにも来てもらったら? お母さんも会ってみたいわ」
「えっ!? いや……それはちょっと……」
突然の提案に、私は思わず声を上げてしまう。
「いいじゃない。詠がどんな子と仲良くなったのか見てみたいわ。大丈夫よ、お父さんには内緒にしとくから」
「そ、そういう問題じゃなくて……えっと、その。あ、そうだ。私お風呂入ってくるね!」
このままだとお母さんに押し切られてしまいそうな気がしたので、私は慌ててその場から離れることにした。
***
「詠、タオルここに置いとくわよ」
「ありがとう、お母さん」
私は、洗面所の扉越しから聞こえた母の声に返事をした。
それから、浴室の天井を見つめながら、小さくため息をつく。
はあ。お母さんに――だけじゃなくて、文にもあっという間にバレるとは思わなかった。
しかも家に連れて来いなんて。ムリムリ、そんなの私の心の準備ができてないよ。
私は湯船の中で体育座りのような格好をしながら、今日一日のことを思い返していた。
それにしても、今日は楽しかった。
青井くんのおかげで、私は今日、沢山の初めてを経験することができた。
休日に友達と遊ぶこと、友達の家に遊びにいくこと、友達とピザパーティーをすること。
どれも私以外の人にとっては、なんてことのない日常の出来事かもしれない。
だけど、ずっと友達がいなかった私にとっては、どれもこれも憧れていたことばかり。
それと、これは恥ずかしくて、青井くんにも伝えることができなかったけれど。
男の人に、帰り道を家まで送ってもらっちゃった。
昔、お気に入りの恋愛小説で読んでから、密かにずっと憧れていたシチュエーション。
そして、その相手は青井くんだ。
そんなことを考えていると、耳が、頬が。
カッと熱を帯びるのを感じて、思わず私はポチャンと顔を湯船につけた。
そしてお湯の中で瞼をぎゅっと閉じていると、出来上がった暗闇の中に、青井くんの顔が浮かぶ。
ああ、いつもこうだ。
青井くんのことを考えると、不意に体が熱くなる。
そのあと心の中がモヤモヤとして、思わず顔を突っ伏したり、体をジタバタさせてしまったりする。
私は湯船から顔を上げて、ゆっくりと目を開いた。
変だ私。ヘンだよ。
青井くんとは出会ってから、仲良くなってからまだ一か月しか経っていないのに。
ふと気づくと、いつも私は青井くんのことを考えてるんだ。
今日の帰り道、青井くんに打ち明けたとおり、中学までの私は、本だけが友達の根暗で地味なぼっち女だった。
そんな自分を変えたくて迎えた高校入学。
自分でも笑っちゃうくらいの高校デビューだった。
髪型を変えて、眼鏡からコンタクトにした。
それから、クラスメイトの話題についていけるように、目ぼしいSNSのアカウントも作ったし、流行りのテレビ番組や音楽のことを必死に勉強した。
根がコミュ障なのを隠すためにいつもニコニコして、皆に合わせて愛想笑いを続けた。
そして、皆からの頼まれごとは絶対に断らなかった。
そんな努力の甲斐あってか、私の周りには人が集まるようになった。
だけど、どんなに外見を変えようと。行動を変えようと。自分に自信のない根暗女が、無理して仮初の自分を演じているだけだ。
本当の私を知ったら、今私の周りにいる人達は、きっとあっという間に去ってしまう。
そんなことを勝手に一人で悩み始めて、内心ではいつもウジウジして、緊張していた。
人との正しい関わり方が、よく分からなかった。
そんなときだった。
放課後の教室で、青井くんと初めてお話をしたのは。
青井くんに対する第一印象は、なんだか少し怖そうな人だなって感じ。
だけど、実際に話してみるとそれは間違いで、とても話しやすくて、すぐに打ち解けた。
一緒に帰って、連絡先を交換して、友達になって。
LINKのやりとりが楽しかった。
もちろん、直接おしゃべりをするのもそれ以上に楽しかった。
いつの間にか青井くんと二人で話ができる放課後がくるのが待ち遠しくなっていたよ。
なんで青井くんに対して私はここまで心を開けたのだろう。改めて考えてみると自分でもちょっと不思議だ。
失礼な話だけど、学校での青井くんはいつも一人ぼっちだったから、本当の私と一緒なんだと思って、安心して勝手に親近感を覚えたのかもしれない。
青井くんの前では、皆に優しい優木坂詠の仮面を被らないで、素のままの自分になれた気がした。
それに、人に囲まれながらいつも心の中ではキョロキョロオドオドしている私と反対に、青井くんはいつも一人なんだけど、でも堂々としていて寂しさを感じさせないような不思議なオーラがあった。
だから、心のどこかで憧れのような気持ちもあったんだと思う。
最後に――これが一番の理由かな。
青井くんは優しかった。
頑張って優しい人のふりをしている私なんかと違って、さりげない、ホンモノの優しさが滲み出ている人だった。
妹の誕生日会のあの日、その優しさに私は救われた。
そんなわけで、私はどんどん青井くんと仲良くなった。
青井くんと一緒にいると、楽しくて、嬉しくて、心がぽかぽかしてきて、幸せな気持ちになる。
でもその一方で、時々胸の奥がきゅんとうずくような切ない痛みを感じることがある。
こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。
でも。たぶん私はこの気持ちの、不可思議な胸の疼きの名前を知っている気がした。
だけど、認めない。
認めるのが怖い。
だって私がこの気持ちを認めて、そして彼に押し付けてしまったら?
彼にこの気持ちを気づかれてしまったら?
もう青井くんと笑って話せなくなってしまうかもしれない。
そんなのは嫌だ。絶対にイヤだ!
そんなことになるくらいなら、このままで十分。
今のままで私は十分に幸せだ。
これ以上、求めちゃいけない。
私と青井くんは友達なんだ。
私は自分にそう言い聞かせる。
だけど……
同時にこうも思った。
放課後だけじゃなくて、もっと多くの時間、青井くんと話をしたい。
朝一緒に学校に行って。
休み時間は他愛のないことを楽しく語り合って。
お昼休みは一緒にご飯を食べて。
友達として、もっと多くの時間を共有したい。
そんなささやかなワガママなら、許されてもいいんじゃないかなって。
「夜空くん――」
半分無意識にこぼした私のその呟きは、浴槽から立ちでる湯気に溶けて消えていった。
「にゃーん」
「ふふ、ムギ。お出迎えご苦労」
玄関のドアを開けると、いつものように飼い猫のムギが出迎えてくれた。
私――優木坂詠は、靴を脱いで家に上がり、足元にすり寄るムギをじゃらしながら、そのままリビングの戸を開けた。
「おかえりなさい、詠」
「ただいまお母さん」
リビングに入ると、ソファーに座ってテレビを見ていたお母さんが私に声をかけてきた。
「案外早かったのね。どう? 楽しかった?」
「うん、楽しかったよ。あと、お母さんが持たせてくれたお土産のワインセット、喜んでくれた。ありがとう」
「あらそう。それなら良かった」
お母さんは嬉しそうな顔で笑う。
「お母さん、文は?」
「部屋にいるわ。多分本でも読んでるんじゃない?」
「そっか」
それからお母さんは、リモコンでテレビの電源を消すと、私の方に向き直った。
「ねえ、詠」
「なに?」
「今日の相手のお友達って、男の子なんでしょう?」
「えっ!?」
いきなりそんなことを言われ、私は驚いてしまった。
余計な心配や勘繰りをされるのも嫌だったので、お母さんには今日のことは、友達の家で一緒に晩御飯を食べてくるとだけ説明して、相手が男子だということは伏せていた。
「あ、あの、その」
「隠さなくたっていいわよ。別に怒らないし、むしろお母さん、応援してるから」
しどろもどろになる私に対し、お母さんはとても穏やかな口調で言った。
「……どうして分かったの?」
私が尋ねると、お母さんは笑顔を浮かべながら答えた。
「そりゃあわかるわよ。だって詠、ここ最近ずっと嬉しそうにニヤニヤしてたし。それに、雰囲気が変わった。だから同じ女としてピンときたわ」
「そ、そうかな?」
お母さんの言葉を聞いて、私は慌てて自分の顔をペタペタと触ってみる。自分では自覚はなかったんだけれど、そんなにニヤニヤしていたんだろうか。
「ちなみに文も言ってたわよ? お姉ちゃんのあの反応は間違いなくオトコだって」
「あ、あの子……!」
まさか小四の妹にも気取られているなんて。
恥ずかしさから顔が熱くなるのを感じた。
「でもよかった。高校入学してすぐの頃は、本当に不安そうな表情ばっかりだったけど、最近は凄く明るくなったもの。良い友達ができたみたいで安心したわ」
「う、うん……青井くんっていうんだけど、本当に良い人なんだよ。私と同じ本好きでね……」
私がそう言うと、お母さんは優しい微笑みを見せた。
「ねえ、詠。せっかくだからその青井くんのこと、今度うちにも来てもらったら? お母さんも会ってみたいわ」
「えっ!? いや……それはちょっと……」
突然の提案に、私は思わず声を上げてしまう。
「いいじゃない。詠がどんな子と仲良くなったのか見てみたいわ。大丈夫よ、お父さんには内緒にしとくから」
「そ、そういう問題じゃなくて……えっと、その。あ、そうだ。私お風呂入ってくるね!」
このままだとお母さんに押し切られてしまいそうな気がしたので、私は慌ててその場から離れることにした。
***
「詠、タオルここに置いとくわよ」
「ありがとう、お母さん」
私は、洗面所の扉越しから聞こえた母の声に返事をした。
それから、浴室の天井を見つめながら、小さくため息をつく。
はあ。お母さんに――だけじゃなくて、文にもあっという間にバレるとは思わなかった。
しかも家に連れて来いなんて。ムリムリ、そんなの私の心の準備ができてないよ。
私は湯船の中で体育座りのような格好をしながら、今日一日のことを思い返していた。
それにしても、今日は楽しかった。
青井くんのおかげで、私は今日、沢山の初めてを経験することができた。
休日に友達と遊ぶこと、友達の家に遊びにいくこと、友達とピザパーティーをすること。
どれも私以外の人にとっては、なんてことのない日常の出来事かもしれない。
だけど、ずっと友達がいなかった私にとっては、どれもこれも憧れていたことばかり。
それと、これは恥ずかしくて、青井くんにも伝えることができなかったけれど。
男の人に、帰り道を家まで送ってもらっちゃった。
昔、お気に入りの恋愛小説で読んでから、密かにずっと憧れていたシチュエーション。
そして、その相手は青井くんだ。
そんなことを考えていると、耳が、頬が。
カッと熱を帯びるのを感じて、思わず私はポチャンと顔を湯船につけた。
そしてお湯の中で瞼をぎゅっと閉じていると、出来上がった暗闇の中に、青井くんの顔が浮かぶ。
ああ、いつもこうだ。
青井くんのことを考えると、不意に体が熱くなる。
そのあと心の中がモヤモヤとして、思わず顔を突っ伏したり、体をジタバタさせてしまったりする。
私は湯船から顔を上げて、ゆっくりと目を開いた。
変だ私。ヘンだよ。
青井くんとは出会ってから、仲良くなってからまだ一か月しか経っていないのに。
ふと気づくと、いつも私は青井くんのことを考えてるんだ。
今日の帰り道、青井くんに打ち明けたとおり、中学までの私は、本だけが友達の根暗で地味なぼっち女だった。
そんな自分を変えたくて迎えた高校入学。
自分でも笑っちゃうくらいの高校デビューだった。
髪型を変えて、眼鏡からコンタクトにした。
それから、クラスメイトの話題についていけるように、目ぼしいSNSのアカウントも作ったし、流行りのテレビ番組や音楽のことを必死に勉強した。
根がコミュ障なのを隠すためにいつもニコニコして、皆に合わせて愛想笑いを続けた。
そして、皆からの頼まれごとは絶対に断らなかった。
そんな努力の甲斐あってか、私の周りには人が集まるようになった。
だけど、どんなに外見を変えようと。行動を変えようと。自分に自信のない根暗女が、無理して仮初の自分を演じているだけだ。
本当の私を知ったら、今私の周りにいる人達は、きっとあっという間に去ってしまう。
そんなことを勝手に一人で悩み始めて、内心ではいつもウジウジして、緊張していた。
人との正しい関わり方が、よく分からなかった。
そんなときだった。
放課後の教室で、青井くんと初めてお話をしたのは。
青井くんに対する第一印象は、なんだか少し怖そうな人だなって感じ。
だけど、実際に話してみるとそれは間違いで、とても話しやすくて、すぐに打ち解けた。
一緒に帰って、連絡先を交換して、友達になって。
LINKのやりとりが楽しかった。
もちろん、直接おしゃべりをするのもそれ以上に楽しかった。
いつの間にか青井くんと二人で話ができる放課後がくるのが待ち遠しくなっていたよ。
なんで青井くんに対して私はここまで心を開けたのだろう。改めて考えてみると自分でもちょっと不思議だ。
失礼な話だけど、学校での青井くんはいつも一人ぼっちだったから、本当の私と一緒なんだと思って、安心して勝手に親近感を覚えたのかもしれない。
青井くんの前では、皆に優しい優木坂詠の仮面を被らないで、素のままの自分になれた気がした。
それに、人に囲まれながらいつも心の中ではキョロキョロオドオドしている私と反対に、青井くんはいつも一人なんだけど、でも堂々としていて寂しさを感じさせないような不思議なオーラがあった。
だから、心のどこかで憧れのような気持ちもあったんだと思う。
最後に――これが一番の理由かな。
青井くんは優しかった。
頑張って優しい人のふりをしている私なんかと違って、さりげない、ホンモノの優しさが滲み出ている人だった。
妹の誕生日会のあの日、その優しさに私は救われた。
そんなわけで、私はどんどん青井くんと仲良くなった。
青井くんと一緒にいると、楽しくて、嬉しくて、心がぽかぽかしてきて、幸せな気持ちになる。
でもその一方で、時々胸の奥がきゅんとうずくような切ない痛みを感じることがある。
こんな気持ちになったのは生まれて初めてだった。
でも。たぶん私はこの気持ちの、不可思議な胸の疼きの名前を知っている気がした。
だけど、認めない。
認めるのが怖い。
だって私がこの気持ちを認めて、そして彼に押し付けてしまったら?
彼にこの気持ちを気づかれてしまったら?
もう青井くんと笑って話せなくなってしまうかもしれない。
そんなのは嫌だ。絶対にイヤだ!
そんなことになるくらいなら、このままで十分。
今のままで私は十分に幸せだ。
これ以上、求めちゃいけない。
私と青井くんは友達なんだ。
私は自分にそう言い聞かせる。
だけど……
同時にこうも思った。
放課後だけじゃなくて、もっと多くの時間、青井くんと話をしたい。
朝一緒に学校に行って。
休み時間は他愛のないことを楽しく語り合って。
お昼休みは一緒にご飯を食べて。
友達として、もっと多くの時間を共有したい。
そんなささやかなワガママなら、許されてもいいんじゃないかなって。
「夜空くん――」
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