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第二章
2-12
しおりを挟む十二
しばらくの沈黙のあと、タイマは勝手に淹れたのだろう、茶をすすっていた。白い湯呑を、琉璃色の座卓の上に置いて、背を向けて丸くなっていたわしの背中に触れた。そうしてなぜか、小さなため息をついていた。
ちらと視線を向けて、タイマの鋭い双眸を見つめる。白い頬は色つやもよく、白髪も相変わらず痛みを見せず、さらさらと流れていた。その顔に快活な笑みを浮かべて、頬づえをついていた。
「もう逃げないのか」
そう言ったタイマの言葉に、ムッとして目を細めた。
このときばかりは散々言っていた「人間の心」と言うものが、どうのようなものかわかったような気がした。タイマは、触れてほしくないと思う部分に、なんの気兼ねもなく、躊躇も見せず、触れてくる。ようは、図々しい奴なのだ。こいつには、繊細さというものが足りない。それは東堂のところで、しばらく厄介になっていて、ようやく知れたことだ。黙っていると、タイマは困ったように笑った。
「なあ、帰って来ないつもりか?そいつは、困るぜ」
本当に困っているのか、眉間に皺をよせて渋面をつくった。それは、あまりにも意外だった。もう二度と帰って来るな、と言われるとばかり思っていた。触れてはならない部分に、わしとて、触れたのだ。許されないだろうと、覚悟していたのに、このあっけらかんとした様は何なのだ。何か、企んでいるのだろうか。どうにも落ち着かず、タイマの顔をじっと、見つめた。
「なんだよ、本当にしゃべれなくなったのか?」
「どこから入ったんだ」
「どこって、玄関に決まっているじゃないか」
「気配がなかった」
「お前が、気がつかなかっただけだろう」
たしかに、子供が入口に立っていたことにも、気がつかなかったくらいだ。よほど、神経が疲労しているのだろうか。だとしても、わしは仮にも鬼だぞ。気配や、生物の動き、匂いで察知できなくて、どうするのか。なんだか、みずからの危機管理能力の低下に、頭が痛くなってきた。
「なあ、八枯れ」
「やかましいな。いったい何をしに来た。帰れ」
わしが、苛立ってタイマの方を見上げると、タイマもムッとした顔をして、睨んできた。それは、珍しいものを見ているような気がした。
「いい加減で、俺は怒るぜ」
「勝手にしろ」そう言うと、タイマはついに癇癪を起した。わしの体にしがみつくと、顔を近づけてきてわめいた。
「どうして、言うことを聞いてくれないんだ。お前がいなくちゃ、嫌だって言ったじゃないか。お前が、他のものになるのも、俺を嫌いになるのも、由紀を殺してしまうのも、ぜんぶ嫌だ。だからお前の葛藤なんか、知ったこっちゃないんだからな」
ずいぶん、勝手なことを言う男だと、唖然とした。驚き、目を見開くと、タイマは不機嫌そうな顔をしたまま、わしの双眸を睨んだ。
「逃げるだけなら、良いさ。でも、帰って来ないのは困るんだ」
「貴様は、」わしは、呆れてため息をついた。「小さな子供か?それとも、気に入りの玩具をとられて、癇癪を起しているのか?ふざけるなよ。わしには、わしの生があって、貴様には、貴様の生があるだろう。それが、必ずしも重なるとは限らん。ましてや由紀と生を重ねると、決めたのだろう?それなら、いい加減でわしを縛りつけるのを止したらどうだ」
タイマはそれでも怯む、と言うことを知らない。
「お前も、一緒に重ならなくちゃ、嫌なんだから仕様がない」
「貴様のそういうところに、うんざりしているんだと、なぜわからない」
「いいから、一緒に帰ろう」
「話にならん」
「こっちの台詞だ」
まるで子供の喧嘩だった。わしはついに天井を仰いで、脱力した。その時、いつの間に帰って来ていたのか、東堂が、わしとタイマの馬鹿げた言い合いに、嘴をつっこんだ。
「なんや、夫婦漫才みたいやね。旦那もあまり、強引にしてると、本当に嫌われちゃいますよって」
茶色い角刈りをかきながら、靴を脱ぐと、わしとタイマの前にしゃがみこんだ。新しい湯呑を座卓の下から取り出すと、それに茶をそそいだ。すすりながらわしの頭をなでながら「まあ、たしかに得難い友でしょうがね」と、言って笑っていた。
「珍妙なところが良いだろう」
「旦那に言われたくないと思いますよ」
「でも本当によく気が利くんだ」
「ちょこっとくらい貸して欲しいですね。いま人手が足りんので」
「良いけど、金は取るぜ」
こいつら、わしを何だと思っているのだろう。タイマと東堂を見比べて、深いため息をついた。なにより相変わらずの様子に、ここ数日、悶々としていたのはいったい何だったのか。そう思うと、無性に腹立たしくなってきた。
そうして愚痴を吐く前に、店の玄関口で何かぶつかる音が響いた。わしは、口を開けたまま、しばし硬直し、それを見たタイマは愉快そうに笑っていた。東堂が億劫そうに「なんや、今日はえらい賑やかやなあ」と言って、立ち上がる。背後で何が起こっているのか。見るのも嫌だった。
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