天地伝(てんちでん)

当麻あい

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第二章

2-15

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    十五



 「結局、あいつは何をしに来たんだ」
 深夜、わしと東堂は町外れにある祠を目指して、歩いていた。天心に登る月明かりを頼りに、川沿いを下って行く。白い息を吐き出しながら、つぶやいたわしの言葉に、東堂は茶色い角刈りをなでながら、苦笑を浮かべた。
 「おそらく旦那は、待ってはるんや」
 「何をだ」
そう言って怪訝そうに顔を上げると、東堂はわしをちら、と見下ろした。
 「自分から帰ってくることを、ですわ」
灰色の双眸を細め、頬にえくぼを刻む。それを見つめ、わしは眉間に皺をよせた。「僕は、帰らんでもええですよって。こうして君が毎回、手伝ってくれるとずいぶん助かる」
 そう言って愉快そうに笑った声に、鼻を鳴らした。
 「ふざけるな。そうやってこき使おうとしとるだけじゃろう」
 「まあどっちがマシかは、八枯れはんのお心次第やろね。あんじょう、おきばりやす」
 東堂の愉快そうな笑い声を後ろに聞きながら、わしは歩みを止めた。眼前にある深い藪の中に、道の先は続いている。その黒点のような闇の奥から、肉の腐ったような匂いがただよってきていた。
 目を細め、東堂の顔を見上げる。未だその異臭に気がついていないのか、怪訝そうな表情をして「どないしはったんです?」と、言って首をかしげていた。
 一人で脆弱な人間を守りながら、うまく立ち回る必要の困難さを、思い知る。舌打ちをして、奥歯を噛んだ。それでは、まるでわしがタイマなしでは、何もできない無能と言うことではないのか。馬鹿を言うな。
 「ここから先は、ついて来るな」
 そう言って振り返ると、低くつぶやいた。東堂は眉間に皺をよせて「そら無いわ。これは僕の仕事やろ」と、不満をもらした。それも無視して、わしはさっさと藪の中へと飛び込んで行った。後ろで、わしの名を呼ぶ東堂の声が響いたが、やがてそれも闇の中へと消えてゆく。
 おそらく、普通の人間にここを見つけることはできまい。それほどに濃い瘴気が、この藪いったいを覆っているのだ。
 「なつかしい匂いだ」
 自嘲と共につぶやくと、舌舐めずりをして笑みを浮かべた。光の途切れた先に、くたびれた祠がいくつも並んでいた。その泥土のこびりついた石の塊の向こうで、崩れかけた鳥居が見える。その下から、ただよう瘴気の匂いは、わしがかつて住みついていた、あの闇の谷や、荒野の山脈を思い出させる。
 木々の間を抜け、最初に目にしたのは人間の足だった。それは皮がそげ落ち、血に染まっている。傷口からは、うじが沸き、肉がぐじゅり、と腐っていた。
 進むのに邪魔だ。わしはその足を一つ二つ、口に放り込んだ。咀嚼するが、腐りかけの肉は崩れやすく、あまりうまくはない。しかし、進むに連れて人間の腐った四肢は増えてゆく。ついには首まで転がっていた。それに足をとられて、腐葉土の上で転んでしまった。
 どれほどの、死体を捨てたらこうなるのか。舌打ちをして起き上がると、毛についた血を払った。すると、鳥居の向こうで、女の悲鳴が聞こえた。すばやく跳躍し、社の甍の上に着地した。上から裏門をのぞきこむと、数人の男に囲まれた女が着物を乱され、殴られているところだった。よく見ると、それはあの化け狸ではないのか。
 それを眺めながら、ふん、と鼻を鳴らした。どうやら、あの野党の狙いも、化け狸のようだ。しかし、あんなに乱暴をする必要はあるのか?人とは、いつの世も、貪欲で邪悪で、まったく救いがたい生き物だ。これだけ、暴力に快楽を見出すのも、人間くらいではないのか。なぜ、タイマがこんな連中を尊ぶのか、やはりわしには理解できなかった。
 「おい、早く黙らせろ」
 松明の明かりを持った男が、狸の上に跨っている男に、苛立しげに言った。跨っている男は下品な口笛を吹いて、女に化けている狸の頭をつかみ、顔を近づけた。
 「でもよ、もったいねえな。こんな上玉」
 「お前正気か?それは化け物だぞ」
 松明を持った男が、嫌そうに顔を歪めていた。しかし、狸の髪をつかんでいた男は、気にも留めず口をひん曲げて笑った。その笑みは、どんな妖怪よりも、厭わしいものに見えた。
 「だからだよ。生きたまま向こうに引き渡せば、それで報酬はもらえる。多少痛んだところで問題はねえ。本物の女だったら、そうもいかねえだろ」
 「だが、そんな野党まがいのことを」
 「野党は平気で女を犯すさ。俺たちはそうじゃねえから、これで楽しむんだろう。あんたも頭が固いな」
 そう言って、狸の顔を強くはり倒した。しかし、その瞬間に変幻が解け、狸は元の姿に戻ってしまう。それを見た男が舌打ちをして、狸の鼻面を、もう一度つよく殴った。赤黒い血が、腐葉土の上に散る。どうやら何か術を使って身体の自由を奪っているようで、狸は抵抗もできず、得意の火も使えず、地に顔を伏していた。
 事によっては、こいつらに狸の始末をうながそうかと考えていたが、論外だ。全身をつらぬいた針のような嫌悪感に立ちあがると、遠吠えをした。男たちは驚き、身を硬くした。
 飛び降りようとしたが、それを後ろから押し止めた男がいた。バランスを崩し、甍の上で足をもつれさせた。苛立ち、わしの尻尾をつかんだ人間を振り返り、うなり声を上げた。
 「なんのつもりだ。東堂」
 東堂は灰色の双眸を細め、眉間に皺をよせると静かに首を横に振った。


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