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第三章
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「どうやら、犯人の女は、愛媛で捕まったみたいですわ」
登紀子を部屋に寝かせ、タイマ達のいる座敷へと上がると、神妙な面持ちをした東堂が、急にそんなことを言った。襖を開けた音に気づいたタイマが、眉を持ち上げて、笑みを浮かべた。わしはそれに、ちら、と視線を投げて「その女は、貴様と何か関係があるのか?」と、不機嫌に言った。
東堂は、茶色い角刈りをなでながら、「それが、八枯れはん。君のが、因縁が深いかもわからん」と、苦笑を浮かべた。
「どういう意味だ?」
「覚えてますか?君が、僕の店に飛び込んできた時のこと」
「狸の話か。また、あいつが関わっているのか?」
眉間に皺をよせると、東堂は軽く首を振って「あの社で見たやろ?死体の山。あれ、全部がそうやとは言えんが、捨てきれない子供の死骸はあっこに置いて行ったようや」と、言って灰色の双眸を細めた。
ふん、とわしは鼻を鳴らす。尻尾を振りながら、畳の上にしゃがみこんだ。
「金目当てで、子供をあずかり、殺したか。定期的に払われる謝礼で、暮らしは良くなったが、死体の処理に窮し、それであの惨状か。愚行じゃな」
東堂は、一度、大きなため息をついて膝を叩いた。タイマは未だ、じっと黙っている。
「それより、不気味なんは、その女と同じくらい、あそこに何らかの事情で、死体を捨ててる人間が、他にもいた言うこっちゃ。世の中が、荒れてる言うても、もう維新からずいぶん経つ。イギリスでは飛行機も飛んで、ランプは今じゃ、一般に普及しとるし、僕のような服装も、そう珍しいもんじゃなくなった。汽車も通って、田舎者だって都会に来よる。金持ちなんか、車で街道を走るほどやで?そうなって、ようやっとあの女の殺しが、異常視されて、新聞にのっとるんや。それまで、武士が人を切って歩いたり、道に反せば、みずから腹を切って、首を切るのが、義や、美だった国が、や。その方が、よっぽど異常やで」
「そんなことは、どうでもいいんだ」
タイマは、会話に割って入ると、低く枯れた声ではっきりと、言った。東堂は片眉を持ち上げて、一度黙り、「でも、旦那」と、続けようとしたが、タイマの目を見つめると、それをやめた。わしは、血の気の引いた、タイマの青い顔を、じっと見据える。ため息を吐き出して、淡々とつぶやいた。
「登紀子は、無事じゃ。乱心はしたが、水子の影を、吸い込んだだけで、影響はないだろう。そいつの記憶に、一時的に混乱したんだ。相当、体力を失っとったが、大きな怪我もない。眠れば、明日の朝にでも目を覚ます」
わしが話終えるのと同時に、タイマは腹の上にかけていた布団を、きつくにぎりしめた。
「どうして」わしの顔を、じっと見据えた。その声に、一瞬、背筋が寒くなる。「どうして、お前がいて、そうなるんだ。頼んだろう、お前にだ。八枯れ」
しぼりだした声は、怒りを抑えるような響きを残して、畳の上をすべる。シン、と静まり返った座敷の中で、わしは、無表情にタイマの双眸を見つめた。
「すまない。だが、一応は無事だったろう」
「何だと」
「これ以上、何を求めとるんじゃ。わしは、貴様とは違うんだ」
睨みあい、一時、座敷内を緊張の糸が張った。ぎらぎらとかがやく、タイマの双眸は黄色く、鋭いものだった。だが、威圧も恐怖なども、微塵も感じられない。否、そこには、何もないのだ。これほど、力を無くした男が、あの天狗のタイマだと、誰が信じられる。みずからの無力に苛立ち、八当たるだけの、ただの男を、どうして直視することができる。それでも、これが、奴の望んだ道なのだ。わしとて、いまさら引くことなど、できる訳がない。
一つため息を落とすと、牙をのぞかせ、うなり声を上げた。
「忘れるな。貴様の身勝手さが、登紀子を殺しかけとるんだ。あの娘は、望んで力を、継ぐ訳じゃない。ましてや、自分の異常を、親にだけは知られまいと、無駄なことをしとる。殊勝な娘だな」
タイマは、目を見開いて、言葉を無くした。下唇をかみしめ、うつむく。白髪に隠された、渺茫とした顔を眺め、舌打ちをした。
「弱くなったものだな」
そうつぶやいて踵を返すと、廊下に飛び出した。
「ちょっと、待ちや」と、東堂の声がわしを追いかけたが、歩く速度をゆるめることを、しなかった。そのまま、縁側を進み、楓の木が左右にゆれるのを眺めながら、その場にしゃがみこんだ。池で、錦鯉が跳ねては、泳ぎ、たゆたっている。まるで、嘲笑するかのようなその振る舞いに、ふんと鼻を鳴らした。
いつもこの景色をタイマと共に眺め、いろいろの話をし、酒を飲み、飯を食った。由紀の縫物を見ながら、文句を言い、尻尾を触られるたびに、くだらない口喧嘩をした。
風が吹くたびに、タイマの白髪はゆれ、その下には、何ものをも凌駕する、快活な天狗の笑いがあった。ここに帰れば、いつでも、あの男が風を吹かし、すべてを巻き込み、どこへなりと連れて行った。心地よい自由が、そこにはあった。
それが、いまはもう形をひそめて、消えようとしている。人になれないからか?それとも、人になったからなのか?一つの命を、生かすためなのか。それが、お前の言う心なのか。
「八枯れ。お前は人の心って、何かわかるか?」
いつだって飄々として、そんなくだらないことを聞いてきた。そこに、一瑠の希望を見出すように、表情をかがやかせていた。子どものように、無心に、純粋に、信じていた。いまのお前は、人の心がわかるのか?馬鹿な化け物め。
「だから人は弱いと、言ったんじゃ」
誰にでもなくつぶやいた、わしの言葉を聞いているものはいなかった。ただ池の中を優雅に泳ぐ、一匹の錦鯉だけが、時折きらきらと輝くうろこを見せて、飛び跳ねていた。
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