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第三章
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しおりを挟む十二
翌日の昼時、珍しい客の来訪を、由紀が嬉々として知らせた。タイマは、連日の体調不良によって、寝こんでおり、登紀子は学校へ出ていた。そのため、普通の客人であれば、由紀が対応するしかないのだが、縁側にひょっこりとのぞかせた、なつかしい顔を見て、ため息をついた。「なるほど」と、思うと同時に、不機嫌になる。
「やあ、しばらく」
そう言って、微笑した京也は、黒い着物を翻して、縁側で丸くなっていたわしの前に立つ。じろり、と見上げて、鼻を鳴らした。
「鼻たれ小僧か。夏以来じゃな」
「そう言うお前は、相変わらず吞気そうだね。悪霊」
「何の用じゃ。登紀子はおらんぞ」
「なに」京也は、断りもなくわしの隣に腰かけると、苦笑を浮かべた。「兄さんの見舞いに来たんだ。もちろん、義姉さんと、登紀子にも会いに来た訳だが」
当然のようにわしの名前を上げないところが、京也らしいと言えばそうだが、あからさますぎて気に喰わない。京也の横顔を見上げると、微笑む頬には、疲れきった皺がよっていた。
「坂島の当主は暇なのか?昼間から出歩いて」
「なに、本当を言うと、調査がてら立ち寄ったのだよ」
「調査だと?」
「ああ、お前は新聞も読まないのか。否、いまは読まない方が、良いのかもしれんが」
ぼそぼそと、言葉をにごした京也を、鼻で笑った。
「大学教師ともなると、ずいぶん偉そうな口を訊くな。つい先頃まで、兄さん、兄さんと言って、鴨の子供のように、後ろをついて歩いておったくせに」
「お前は、親戚のおじさんか。それと教師ではなく、非常勤の講師だよ」
「どう違うんじゃ」
怪訝そうな顔でそう問えば、京也は呆れたため息をついて、頭をかいた。
「僕は結構、真剣な話をしに来たんだぜ」
「生憎だったな。恭一郎は、近頃、体調がすぐれんのだ。いまも寝ている」
わしが尻尾を巻きこんで、丸くなると、京也は頬をかきながら「そうか、困ったな」と、つぶやいて苦笑を浮かべた。
「兄さんも心配なのだが、ううん、それ以上に、不穏な」
「何か気になるなら、登紀子に話をしたらどうじゃ」はっきりとしない、京也のもの言いに、次第、苛立ちをつのらせる。
「事が曖昧なだけに、女性を巻き込むのは、あまり利口とは思えないな。悪戯に不安にさせたい訳でも、無いのだよ」
「由紀も登紀子も、それほど愚かではない。少なくとも、貴様よりはな」と、眉間に皺をよせて、ふん、と鼻を鳴らすと、京也は「もちろん、知っている」と、笑った。つかみどころのないのは、坂島に共通の特徴なのだろうか。
「馬鹿にして、言っているんじゃない。僕自身、正直言うと不安なのだ」
わしが、目を開けて京也の横顔を見ようとした時だった。得体のしれない、熱の動力と、打ちつけるような振動が、地面の奥から響いてきた。微弱な電気信号のように、伝わってくる波動に、京也は未だ、気づいていない。わしは、それが何か、すぐには理解できなかったが、とっさに声を上げた。
「何かに、つかまれ」
「え」と、京也が短く声を上げた瞬間、庭が、縁側が、屋根が、左右に大きく揺れた。それは一度だけの、短いものだった。生物が脈を打つような振動のあと、すぐにおさまった。しかし、その一度の振動によって、はじき飛ばされたのか、京也は縁側から転がり落ちていた。
無様な姿に、呆れたため息をついたが、台所にいる由紀が心配になり、わしは踵を返した。が、同時に目の前に、立っていたタイマと、由紀の顔を見上げ、すぐに力が抜けた。
「京也さん、大丈夫ですか」そう言って、由紀は、わしの横をすりぬけると、すぐに京也へとかけよって行った。後ろで青い顔をしたまま、つっ立っているタイマを見上げて「いまのは、何じゃ?地割れか?」と問うと、笑われた。
「この国は、地震が多いんだ。いまのは、ずいぶん大きい揺れだったが」そう言ったタイマの声は、いくぶん、気だるそうだった。「京也は、帝国大学で教鞭を取っているだろう。そこには、確か地震学を研究している研究員も、いたはずだ。なあ、京也」
「さすが。兄さんはお話が早くて、助かります」
京也は由紀の手を借りて、立ち上がりながら、苦笑を浮かべた。わしは、ふん、と鼻を鳴らして踵を返すと、座敷へと上がった。
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