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第三章
3-13
しおりを挟む十三
突然、頭を叩かれた。目を開けると不機嫌そうな、登紀子の顔があった。
「どうして、そんなところで寝ているのだろう。私が、もしひどい悪党で、問答無用で、お前の皮をはぐような人間だったら、とっくに殺されているわよ」
「その前にわしが貴様を喰ってやる」
「札一枚で、動けなくなるお前にできるのかしら」
「寝起き早々つっかかってくるな。何が気に喰わんのだ」
「全部よ。こっちは怪我をしてるって言うのに、お前のその平和ボケ顔を見ていると、腹が立つわ」
わしは、大きなあくびをもらして、呆れた声を上げた。
「勝手な奴じゃ。理不尽に出くわしたからと言って、理不尽に当たるな。まだ、さめざめと泣いているほうが、可愛げがあるものを」
「可愛くなくて、悪かったわね。どうせ魔女よ」
京也がタイマと話をしている間、入れ違いで、登紀子が帰宅したようだ。玄関から上がる、と言うことを知らないこの不作法な娘は、庭を通り、池のそばにある縁石を飛び越え、縁側に腰かけて、唐突に怒りはじめた。
丸くなったまま、ちら、と登紀子を見上げて、小さくため息を吐き出した。
「いま、客がいる。静かにしろ」
「どうせ京也さんでしょう。上がれば良いじゃない」
「追い出されたんじゃ。貴様のせいでな」
「なによそれ」登紀子は、眉間に皺をよせて、不機嫌そうに頬をふくらませた。長身に、男装姿で、そんな面を見せられても、気色が悪いだけだった。
「貴様の無事を確かめろ、と言われたんじゃ。迎えに行けとな」
「来てないじゃない」
「貴様の匂いが、こちらに向かって来ていたからな。問題ない」
登紀子は双眸を細め、「なるほど、相変わらず手抜きな訳ね」と言って、わしの鬚を引っ張った。下くちびるを見せながら、「恭一郎は過保護なだけじゃ」と、反論した。登紀子は、ふん、と鼻を鳴らして手を離した。
「確かに無事だったけど、大きな揺れで転んだのよ。ほら」
そう言って、包帯の巻かれた膝小僧を見せてきた。わしは、それを見ながら鼻で笑い「良かったな、骨が丈夫で」と言ったが、またすぐに鬚を引っ張られた。乱暴な娘である。
「滋が助けてくれたのよ」
「シゲル?」
登紀子は、頬づえをついて、空を見上げた。赤茶色の髪が、陽光に反射して、金色にかがやいていた。
「同じ寺子屋に通っていた、二つ上の男の子。無口で、本ばっかり読んでたから何を考えてるのか、全然わからなかったけど。黒い手帖をいつも持っているのよ」
「それがどうした」わしは、うんざりした声を上げて、尻尾を振った。登紀子は、「相変わらず、短気ね」と、呆れた声で言う。短気なんじゃない。長い話が嫌いなんだ。
「私もたまたま、図書館にいたのよ。本棚が倒れてきた時、滋がとっさにかばってくれたの。そのせいで、彼が腕を骨折したんだけどね」
「ほう、魔女をかばうのか。奇特な人間もいたものだな。重宝しろよ」
「ご親切にどうも」
登紀子は歯を見せて笑うと、次はわしの尻尾を引っ張った。勢いで、尻が縁側から落ちかける。あわてて、立ち上がり、登紀子を睨んだが、涼しい顔で笑っていた。誰に似たのか、親の顔が見てみたいものだ。
「やあ、帰ったか。二人とも来てくれ。大事な話があるんだ」
すら、と開いた襖から、タイマが顔をのぞかせた。わしは、一瞬ぎょっとしたが、すぐに平生を装って、座敷へと上がる。登紀子は、わしの後に続いて中に入ると、京也に向かって適当なお愛想をのべる。
わしは、思わず失笑をもらして「鉄面皮」と、つぶやいた。すぐに、尻尾を踏んづけられる。電気がはしったようなしびれた痛みに、身もだえ、うなり声を上げた。きっ、と顔をしかめて、振り返ると、タイマが久しぶりに声を上げて、笑っていた。
こちらは笑い事ではないぞ、馬鹿天狗め。
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