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第四章
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しおりを挟む五
海上に上がってすぐ、遠くに広がる赤い帯が、目に入る。足元に転がる風呂敷包みは、逃げ出した者のそれだろう。ほとんどが黒く焦げ、炎がくすぶっている。ぱちぱち、しゅー、と焼ける荷物を睨みながら、舌打ちをした。
揺れの後、台所でくすぶっていた火が燃え移ったのだろう。家屋を燃した火の粉が、風に乗って空を舞い、家財を持って逃げ惑う、人間どもの荷を焼いて、赤い帯は横へ、縦へと、広がっているようだった。ごうごうと、燃える街並みを眺めながら、いつか、タイマの言っていたことを思い出した。
「身の回りのこと以外について、本気で考えると言うのは、リアリティーに欠ける。そんな立派なことができる生物が、一体どれだけいるものだろうか?」
そう言っていたあの生物の言動が、そもそも現実感に欠けていた。人は目に見えるものごとしか、信仰できない。目に見えないものを見てしまうのを恐れるからか、見てしまった瞬間に、異質となり、その異質は孤独になるからなのか。立派になるとは、孤独になると、言うことか。理想と現実が乖離しても、わしらは生きているじゃないか。それだけでは、どうして駄目なのか?
「貪欲なものだ」
わしは、くく、とのど奥を鳴らして笑うと、高く跳躍した。
「空は飛べぬが、足がある。地は遅れて、天に追いつくものだ。だが、遅々としているがゆえ、上からでは見えぬ景色を知っている。死を飲み込みに行くか」
砂埃を巻き上げ、木々をゆらし、飛んだ屋根を踏み砕いて、大地を駆ける。中途で見かけた、死にかけの子供や、埋まっていた老人、焼かれそうになった女などを拾っては、更地と化した大地に投げ捨てて行った。時間にして数秒のことだ。突風が、通過して行ったようにしか、感じられまい。直、意識も戻れば、自分で歩くことはできるだろう。
何十里と、そうして、堀り出しては投げ、土砂を砂塵にしては進み、燃える炎をまとい連れ去り、雨雲をつくりながら、東堂の店を目指した。中途で、うっかり姿を見られ「化け物め、こいつのせいか」と言われ、乱心した人間どもに囲まれた。
子供を土砂の間から引きずりだしていた時には、石を投げられ、刃物も投げられた。もちろん、痛くはないから良いが、気を失っている人間に当たったら、元も子もないではないか。そう思うと、腹が立ったので、刃物を全部、砕いて、溶かして、逃げ去った。ざまあみろ。
永代橋にさしかかったころ、橋の焼けおちているのを見て、迂回した。まだ火の手の回っていない、森林の中をかけ抜けている途中、「お犬さま」と、声をかけられ、足を止めた。
振り返ると、負傷した狸が息を荒くして、真っ黒の両眼で、わしを見つめていた。「どうぞ、こちらです」と言われて、眉間に皺をよせた。
「何の話だ?」
「場所を移したのです」
「場所だと?」
「東堂さま共々、わたくしどもの巣穴に」
わしは、着流しの袖に腕をつっこみ、じっと狸を見据えた。「どういうことじゃ。なぜ、貴様があいつらを助ける」
狸は、鼻先から血をたらしながら「道中でご説明いたします。お早く」と、言ってわしに背を向け、ゆっくりと歩き出した。しばらく、その弱弱しい後姿を眺めていたが、遠くで野卑な慟哭が響き、そちらへ目をやった。
赤々と燃え盛る橋と、川の中に落下した人間どもが乱闘しているようだった。ここにいても、漂ってくる腐敗した肉と、焼け焦げた匂い。空を覆うような赤い炎。登る白い煙と、黄色と黒の火の粉、巻き上げる旋風、倒れる家屋、崩れる土砂、死体の山、乱心した人間どもの罵声と悲鳴、つかみあい、蹴りあい、沈めあい、押しあい、自分だけ助かろうと、必死に走り続ける。地獄のようだ。
モウ、モウ、モウ、モウ。
旋風にのって聞こえてくるのは、魔の笑い声だ。奴らは、死肉を喰い、攪乱し、怨念と憎悪を増幅させて、魂を喰らう。タイマは、その鳴き声を「郷愁」だと言った。
黒い影と、赤い渦が交錯する天を見上げて、わしは鼻を鳴らした。
「笑わせる」
喪失、絶望、孤独、失語、混乱、耽溺。狂いを「郷愁」だと、詠う。これこそが生だと、いまもお前は、快活に笑っているのか。それなら、ああ、たしかに。「人の心は、面白い」
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