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第四章
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しおりを挟む六
舗装されていない山道を歩きながら、狸は丸く細い尻尾を振って、わしを振り返った。鬚をひくつかせ、脅えているような表情を浮かべる狸に苛立ち、「何じゃ」と、低くうめいた。
狸は、一度大きく体を震わせてから「失礼を」と、消え入るような声で謝った。わしは、呆れたため息をついて「それで?なぜ貴様が噛んでるんだ」と、話の続きをうながした。
「不肖ながら東堂さま、ご主人のお店で、働かせていただいております。皆様の安全の保証は、わたくしの務めでございました。お犬さまと登紀子さまには、内密にするようにと、申しつかっておりましたので、このような形に。お犬さまのお迎えは、登紀子さまのご命令でございます」
「なんでも良いが、その堅苦しいしゃべり方をどうにかしろ。鳥肌が立つ」
「ご命令とあれば、少しくだけます」
「もういい。好きにしろ」
狸は、わしの隣をとろとろと歩きながら、鼻から滴る血を舐め上げた。「なんだ、主人は暴力をふるうのか?」と、にやにやしながら聞くと、狸は苦笑を浮かべた。
「店を焼かれたのです。揺れの後に」
「バレたのか?」
「いいえ。ご主人もあれでしたからね。遅かれ、早かれ、時間の問題でした。揺れのあと、登紀子さまのご家族をかくまっていたことが露見して、町民の憤懣や不安が、家の崩壊と同時に、爆発したのです。わたくし達が、妙な術で国を滅ぼそうとしているとか、乗っ取ろうとしているとか」
「恭一郎の母親以上の妄想力を持っているな。作家になれるぞ」
「それでございます」
「どれだ」わしは、眉間に皺をよせて顎をかいた。
「恭一郎さまの行方が、騒動のあとからわからないのです」
狸の緊張した声に、一度目を丸くして「は」と、短く声を上げたが、小さく息をついて平生を装った。「そうか」とだけつぶやくと、狸はこちらをうかがうような視線を投げてよこす。わしは、うずまき模様の着流しの袖に両腕をつっこみ、三つ目を閉じると、微笑を浮かべた。
「暴れ出すとでも、思ったか?」
「とんでもございません。ただ、登紀子さまはご心配のようで」
「神経質なやつだからな」
「茫然自失です。ご主人も、平生を装ってはいますが」
「恭一郎に懸想しとるからな」
そう言って声を上げて笑うと、狸に睨まれた。「冗談じゃ」と、牙を見せて頭をかいた。狸はため息をついて、前を歩きだした。
「無事だろう、とは言い難い。以前のままならな。確実に言えたことだが、いまのあいつが、狂乱状態にあるこの町を抜けられる可能性は、低い」
「冷静なのですね」
「焦ったところで、どうしようもない」
「本当にそうでしょうか?」狸は、じっと、わしを見据えて、鼻を鳴らした。「お犬さまにとって、恭一郎さまは重要なものごとでは、ないように見受けられますが」
「ほう。なかなか賢いな」わしは、三つ目を細めて笑う。「登紀子以上に、あいつには関心が持てん。生きていようが死んでいようが、どうでもいい」
狸が口を開き、喰ってかかろうとした瞬間、上から小石が降ってきた。見上げるまでもない。崩れかけた土砂が、狸とわしの頭上にまで、迫ってきている。
顔を上げて笑った。ついに、ここにも来たな。そうつぶやいて、とっさに狸の上に覆いかぶさった。狸は、地に伏したまま「お犬さま、危険です」と、間の抜けたことを言った。危険だから、庇ったんだろうが。わしの呆れた声は、きちんと発せられたのだろうか?
グロガロ、ガログロ、ドドド、ドン。目の前が真っ暗になり、何も見えなくなった。いくらか砂塵へと崩したが、狸は砂山の中に埋まってしまった。
気を失っているから、這い出ることはできんだろうし、なにより引きずり出すこともできない。堀り出るには、この砂山は高すぎる。深海から上がる時くらいには、時間がかかる。わしは良いが、狸は無理だ。身が持つまい。下手に動けば、余計に埋まる。なにより砂利を口にでも入れて窒息させたら、後で東堂に叱られる。
「さて、どうしたものか」
次から次へと、厄介事が絶えない。「それならお前は、最高の運の持ち主だな」と、言ったタイマのふざけた笑い声が、聞こえた気がした。
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