17 / 42
第二章
2-3
しおりを挟む三
「とも子は、その、ちょっと変わった娘でして」
ようやく落ち着きを取り戻した藤本は、さきほどとは態度を変えて、殊勝な様子で正座をしていた。邪植の淹れなおした茶も飲まず、座卓の下でらんらんと目をかがやかせている八枯れに怯え、時折、両手を震わせていた。僕は、湯呑をくゆらせながら、ふう、と息を吐きだした。
「どんな風に?」
「その、喰うものが人と違うって言うか。もちろん、もともとはそんな娘じゃなかったんですけど。親が借金だけ置いて逃げちまったからかな。頭がおかしくなったんだ」
まだ続くのかと思い、つい横やりを入れた。
「あなたのとも子鑑定など聞いていないんですよ。僕が知りたいのは、山下とも子本人と、失踪の理由です」
「あいつは、化けものなんです」
「それはもう聞きました。だからね、藤本さん。あなたは、山下とも子の何を見て、そう思ったんですか?」
途端、藤本は頬を赤らめて悔しそうに、眉根をよせた。何を話すべきで、何を話すべきでないか。そんなこともわからない人間ほど、単純に物事を介して、わかったつもりになる。思いこみで査定などをやって、優位に立とうとするのだから、良い気なものだ。
「文字を、喰うんです」
ぼんやりと、宙を見つめながら煙草盆を引き寄せたとき、藤本ははっきりとそう言った。ようやく、面白くなってきたな、とほくそ笑みながらマッチをすった。
「あいつは、小学校を出てから両親を事故で亡くしましてね。以来、ふさぎの虫になった」
「とも子さんはいま、中学生でしたね」僕は、資料の一部に目を落としながら、つぶやいた。藤本は「ええ、まあ。十二の時にうちで引き取りました」と、おどおどした様子で、話しを続けた。
「それで、まあ、二年くらい前ですかね。普通の食い物は、いっさい食べられなくなってしまって。その代り、チラシ、雑誌、新聞、本、ともかくいろいろな文字を喰うんです。自分で書いた文字も、食います。だからなのか、うまくしゃべれない」
文字を喰う、と言うのがいまいち想像できないが、ともかく話しの全容を把握して、この邪魔者を帰して、山下とも子本人に会うのが先だ。僕は微かに眼を細めて、先をうながした。
「あなたとの会話は?」
「必要は、ぜんぶ筆記です。もちろん、それも後で喰っちまう。いつもぼんやりしてるだけで、何を考えているんだか。さっぱりわからない」
「いなくなったのはいつですか?」
「一週間くらい前です。俺が仕事から帰ってくると、もういなくなっていた」
「その日の前後、何かおかしなことはありませんでしたか?」
そのとき、藤本は急に言葉につまった。うつむかせていた顔をほんの少しだけ持ち上げたが、すぐに視線を落として、くちびるを曲げた。右上をちら、と見つめてから、またすぐに下を向いて、「ないです」と、消え入るような声でつぶやいた。たぶん嘘だ。
僕は大きなため息を吐くと同時に、白い煙を鼻から吐き出した。「なるほどね」と、煙草を指にはさんだまま、包帯を巻いている右腕を座卓の上に置いた。
登ってゆく煙の向こうで、ぼおっと、少女の姿が浮かぶ。前髪がいやに長い女で、うつむいている。青白い指をゆっくりと動かして、藤本の頭を指さした。その腕には、いくつかの痣が残っている。僕はそれを眺めながら、うっすらと双眸を細めて、くちもとを歪めた。
「とも子さんは、前髪が長いんですね」
藤本は、大きく体を震わせた。膝の上でにぎっていた拳が、ぶるぶると震える。それにも構わず、白い煙をくゆらせて、山下とも子の悲愴な顔をじっと、見つめる。おちくぼんだ暗い両目、はれあがった瞼、色のないくちびる。霊なのか、生きた思念なのか、よくはわからないけども、ともかくよほど、僕に言いたいことがあるようだ。
「悲しそうな顔だ。あなたのことをあまり好きではないようですね」
彼はまったく口がきけなくなっていた。震える腕を抑え込むようにして、よりいっそう体を縮こまらせている。
「傷。なるほど、あなたは彼女に暴行をくわえていたのか。そう言えば、口がきけないそうですね?」僕は灰皿の上に煙草をのせて、煙に満たされた座敷内で、にい、と笑んだ。「声の出せないのを良いことに、殴っていたんですか。では、失踪する前は?より、いっそう激しくやったのではないですか?」
「何を」藤本は悲痛な声を上げると、ついに立ち上がった。しかし、足がすくんで動けないのか、そのまま静止して、じっと僕を見下ろしている。目の下の隈が、びくびくと痙攣をくりかえす。ここか、と彼の恐怖をとらえて、微笑を浮かべた。
「そんなに強く殴ったつもりはなかった。でも、彼女は意識を失った。あなたは怖くなって、家を出た。次の日の朝帰ると、とも子さんは姿を消していた」
うわああ、藤本はついに叫び声を上げて、後ずさる。後頭部を壁にぶつけて止まると、ずるずるとその場にしゃがみこんだ。白髪の混じった髪の毛をひっかきながら、うう、と低くうめいている。それでもなお、山下とも子は彼の前で、じっと立って見下している。まとわりつくでもなく、しがみつく訳でもなく、何も言わず、語らず、ただ、じっと見下している。
頬づえをついて、その様子をしばらく見守っていたが、煙草の火をもみ消した。煙がかき消えるとともに、山下とも子の姿が消える。
「藤本さん。あなた、山下とも子を探して欲しい訳じゃないんでしょう」僕は、すっかり冷めてしまった茶をすすりながら、つまらなそうにつぶやいた。「あなたが気になるのは、山下とも子の生死だけだ。だから警察には行けないし、探偵にも頼めなかった。僕のようなところに相談に来る人は、まあ、だいたい色んな事情を抱えていますがね。あなたくらいですよ。こうでもしないと、本当のことを話そうとしない頑固者は」
それでもまだ全部は話してないだろう。と、座卓の下から顔を出した八枯れがつぶやいた。まあ、そうだ。結局は、僕が誘導尋問したに過ぎない。藤本は、うつむいたままついには黙り込んでしまった。縮こまるようにして、体育座りをした。その全身は、いまもぶるぶると震えている。
「そりゃ言葉でこそ語らないが、見ろよあの顔。十年は老けたぞ」
「ひいひい、ぎゃあぎゃあと騒いどるからな。明白じゃ」
「まあ、殺したんだったら警察はまずいし、生きていたとしても報復されるかもしれない。ともかく、姿がないってことがなにより、怖いんだろう」
「自業自得じゃ」八枯れはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、するり、と座卓の下から出てくる。尻尾を舐めてから、背中を丸めて、伸びをした。僕は苦笑を浮かべて、煙草をくわえると、マッチをすった。
「でも、文字喰いに興味あるだろう?」
「興味があるのは、貴様の方じゃないのか?」
「ああ。そうだな」
いずれにせよ、山下とも子を探しだすしかない。そうして、煙を吐き出すと、縮こまったままの老人を、見据えた。「こいつは、もう使えないかな」と、つぶやくと、邪植が襖を開けて入って来た。茶菓子などをわざわざ買ってきたのか、その盆の上には豆大福がのっていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話
桜井正宗
青春
――結婚しています!
それは二人だけの秘密。
高校二年の遙と遥は結婚した。
近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。
キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。
ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。
*結婚要素あり
*ヤンデレ要素あり
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる