静寂の歌(逢魔伝番外編)

当麻あい

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第二章

2-3

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    三


 「とも子は、その、ちょっと変わった娘でして」
 ようやく落ち着きを取り戻した藤本は、さきほどとは態度を変えて、殊勝な様子で正座をしていた。邪植の淹れなおした茶も飲まず、座卓の下でらんらんと目をかがやかせている八枯れに怯え、時折、両手を震わせていた。僕は、湯呑をくゆらせながら、ふう、と息を吐きだした。
 「どんな風に?」
 「その、喰うものが人と違うって言うか。もちろん、もともとはそんな娘じゃなかったんですけど。親が借金だけ置いて逃げちまったからかな。頭がおかしくなったんだ」
 まだ続くのかと思い、つい横やりを入れた。
 「あなたのとも子鑑定など聞いていないんですよ。僕が知りたいのは、山下とも子本人と、失踪の理由です」
 「あいつは、化けものなんです」
 「それはもう聞きました。だからね、藤本さん。あなたは、山下とも子の何を見て、そう思ったんですか?」
途端、藤本は頬を赤らめて悔しそうに、眉根をよせた。何を話すべきで、何を話すべきでないか。そんなこともわからない人間ほど、単純に物事を介して、わかったつもりになる。思いこみで査定などをやって、優位に立とうとするのだから、良い気なものだ。
 「文字を、喰うんです」
 ぼんやりと、宙を見つめながら煙草盆を引き寄せたとき、藤本ははっきりとそう言った。ようやく、面白くなってきたな、とほくそ笑みながらマッチをすった。
 「あいつは、小学校を出てから両親を事故で亡くしましてね。以来、ふさぎの虫になった」
 「とも子さんはいま、中学生でしたね」僕は、資料の一部に目を落としながら、つぶやいた。藤本は「ええ、まあ。十二の時にうちで引き取りました」と、おどおどした様子で、話しを続けた。
「それで、まあ、二年くらい前ですかね。普通の食い物は、いっさい食べられなくなってしまって。その代り、チラシ、雑誌、新聞、本、ともかくいろいろな文字を喰うんです。自分で書いた文字も、食います。だからなのか、うまくしゃべれない」
文字を喰う、と言うのがいまいち想像できないが、ともかく話しの全容を把握して、この邪魔者を帰して、山下とも子本人に会うのが先だ。僕は微かに眼を細めて、先をうながした。
 「あなたとの会話は?」
 「必要は、ぜんぶ筆記です。もちろん、それも後で喰っちまう。いつもぼんやりしてるだけで、何を考えているんだか。さっぱりわからない」
 「いなくなったのはいつですか?」
 「一週間くらい前です。俺が仕事から帰ってくると、もういなくなっていた」
 「その日の前後、何かおかしなことはありませんでしたか?」
 そのとき、藤本は急に言葉につまった。うつむかせていた顔をほんの少しだけ持ち上げたが、すぐに視線を落として、くちびるを曲げた。右上をちら、と見つめてから、またすぐに下を向いて、「ないです」と、消え入るような声でつぶやいた。たぶん嘘だ。
僕は大きなため息を吐くと同時に、白い煙を鼻から吐き出した。「なるほどね」と、煙草を指にはさんだまま、包帯を巻いている右腕を座卓の上に置いた。
登ってゆく煙の向こうで、ぼおっと、少女の姿が浮かぶ。前髪がいやに長い女で、うつむいている。青白い指をゆっくりと動かして、藤本の頭を指さした。その腕には、いくつかの痣が残っている。僕はそれを眺めながら、うっすらと双眸を細めて、くちもとを歪めた。
 「とも子さんは、前髪が長いんですね」
 藤本は、大きく体を震わせた。膝の上でにぎっていた拳が、ぶるぶると震える。それにも構わず、白い煙をくゆらせて、山下とも子の悲愴な顔をじっと、見つめる。おちくぼんだ暗い両目、はれあがった瞼、色のないくちびる。霊なのか、生きた思念なのか、よくはわからないけども、ともかくよほど、僕に言いたいことがあるようだ。
 「悲しそうな顔だ。あなたのことをあまり好きではないようですね」
 彼はまったく口がきけなくなっていた。震える腕を抑え込むようにして、よりいっそう体を縮こまらせている。
 「傷。なるほど、あなたは彼女に暴行をくわえていたのか。そう言えば、口がきけないそうですね?」僕は灰皿の上に煙草をのせて、煙に満たされた座敷内で、にい、と笑んだ。「声の出せないのを良いことに、殴っていたんですか。では、失踪する前は?より、いっそう激しくやったのではないですか?」
 「何を」藤本は悲痛な声を上げると、ついに立ち上がった。しかし、足がすくんで動けないのか、そのまま静止して、じっと僕を見下ろしている。目の下の隈が、びくびくと痙攣をくりかえす。ここか、と彼の恐怖をとらえて、微笑を浮かべた。
 「そんなに強く殴ったつもりはなかった。でも、彼女は意識を失った。あなたは怖くなって、家を出た。次の日の朝帰ると、とも子さんは姿を消していた」
 うわああ、藤本はついに叫び声を上げて、後ずさる。後頭部を壁にぶつけて止まると、ずるずるとその場にしゃがみこんだ。白髪の混じった髪の毛をひっかきながら、うう、と低くうめいている。それでもなお、山下とも子は彼の前で、じっと立って見下している。まとわりつくでもなく、しがみつく訳でもなく、何も言わず、語らず、ただ、じっと見下している。
 頬づえをついて、その様子をしばらく見守っていたが、煙草の火をもみ消した。煙がかき消えるとともに、山下とも子の姿が消える。
 「藤本さん。あなた、山下とも子を探して欲しい訳じゃないんでしょう」僕は、すっかり冷めてしまった茶をすすりながら、つまらなそうにつぶやいた。「あなたが気になるのは、山下とも子の生死だけだ。だから警察には行けないし、探偵にも頼めなかった。僕のようなところに相談に来る人は、まあ、だいたい色んな事情を抱えていますがね。あなたくらいですよ。こうでもしないと、本当のことを話そうとしない頑固者は」
 それでもまだ全部は話してないだろう。と、座卓の下から顔を出した八枯れがつぶやいた。まあ、そうだ。結局は、僕が誘導尋問したに過ぎない。藤本は、うつむいたままついには黙り込んでしまった。縮こまるようにして、体育座りをした。その全身は、いまもぶるぶると震えている。
 「そりゃ言葉でこそ語らないが、見ろよあの顔。十年は老けたぞ」
 「ひいひい、ぎゃあぎゃあと騒いどるからな。明白じゃ」
 「まあ、殺したんだったら警察はまずいし、生きていたとしても報復されるかもしれない。ともかく、姿がないってことがなにより、怖いんだろう」
 「自業自得じゃ」八枯れはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、するり、と座卓の下から出てくる。尻尾を舐めてから、背中を丸めて、伸びをした。僕は苦笑を浮かべて、煙草をくわえると、マッチをすった。
 「でも、文字喰いに興味あるだろう?」
 「興味があるのは、貴様の方じゃないのか?」
 「ああ。そうだな」
 いずれにせよ、山下とも子を探しだすしかない。そうして、煙を吐き出すと、縮こまったままの老人を、見据えた。「こいつは、もう使えないかな」と、つぶやくと、邪植が襖を開けて入って来た。茶菓子などをわざわざ買ってきたのか、その盆の上には豆大福がのっていた。

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