静寂の歌(逢魔伝番外編)

当麻あい

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第三章

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    三


 さびれた駐輪場に戻ると、純一が頓狂な声を上げた。果たして、錦のことがわからない子供たちをどうやって、背に乗せたものか思案していた時だった。純一のほうを見ると、丸くなって伏せっていた錦を見つめて「先生、先生、龍が」と、言って唖然としていた。
 「君、もしかして見えるのか?」
 みのるの肩を抱きながら言うと、「何ですか、純一さんに何かあったんですか」と、袖を引っ張られた。後ろから顔を出した邪植は、ううんと言って、愉快そうに口元を歪めた。
 「なるほど、あんまりショックが大きくて、境界を越えちゃったのかもしれませんね」
 「なんの境界だ」僕は訝しそうに言って、眉間に皺をよせた。
 「そりゃ頭のです」
 「つまり、僕はまともじゃないと言いたいんだな」
 「そんなつもりはないですけど」と、言いながらも醜悪な笑いを貼りつけている。相変わらず、こいつもふざけたやつだ。大きなため息を吐き出すと、邪植の背中を蹴り飛ばした。
 ともかく、説明の手間が省けたのは幸いだった。みのるには悪いが、純一ともども言いくるめて、さっさとここを離れることにする。
純一には、「ともかく乗れ」と言いつけ、邪植にみのるを担ぎ上げさせると、錦の背に乗せた。純一をその後ろに乗せて、僕もようやく跨ることができた。
 風を切りながら、上昇してゆく中途で、純一は何かがふっきれたのか嬉々とした声を上げて、はしゃぎはじめた。先ほどまで、顔を真っ青にしていたと言うのに、子供とは現金なものだ。
一方みのるは目が見えないので、純一よりも現在の状況判断がおぼつかず、不安そうだった。錦の鱗をしっかりとつかんだまま「純一さん、あまり暴れないで」と叫びながら、決して顔を上げようとはしなかった。
 錦は、子供たちと触れあえるのがうれしいのか、時折、飛翔の抑揚を激しくして、僕とみのるをあわてさせた。純一はますますはしゃぎだし、「錦はすごい。かっこいい」と言って、赤と金の鱗に接吻などしていた。
だが、こればかりは仕様がないな、と僕は苦笑をもらした。邪植や八枯れと違って、錦は人にやさしい。それにも関わらず、三匹の中でもっとも人とは遠い。
彼はもともと、ばあさんの飼っていた錦鯉だ。ばあさんが死ぬのと同時に、霊力が高くなって龍になった。そのため、どのような魔や妖怪よりも清浄な気を保っている。だからこそ、汚れた気の多い俗世では、姿形さえも維持することが難しい。
また、邪植は人に化けるし、八枯れは黒猫の中に入っているから、力のないものにも見える。錦は、そう言った借り宿を持っていないので、本当に霊力が高く、かつ清浄な気を保てるものにしか、見ることはできない。
 僕は、霧のような雲の間を抜けながら、これまでずいぶん錦には寂しい思いをさせてきたのではないかと思い、そのかがやく鱗をなでた。しかし、式神に対して、そのような杞憂を抱いた自らに失笑する。
 「おかしなものだ」
 苦笑をもらしてつぶやいた僕の言葉に、みのるは「早く降ろしてください」と、震える声で叫んでいた。その身体を後ろから抱いて、苦笑した。
 「大丈夫だ。錦は人を落としたりしない。後ろから、鴉もくっついて来ているんだから」
 「そういう問題じゃないんですよ。だから、純一さん、暴れないで」
 純一は、足をゆらしながら錦の鱗を撫でて、口笛を吹いた。
 「なんだよ、みのる。いっつも生意気なくせに、怖がりだな」
 「ぼくは繊細なだけです」
 「順応性が低いんだ」
 「あなたはアメーバ以上に単純な脳なんでしょうね」
 「落っことすぞ、お前」
 純一が眉間に皺をよせて、みのるの頭を押さえつけると同時に、錦は小さくキュウと、鳴いた。ゆるやかに円を描きながら、庭先に降り立つ。みのるは、言葉の通り真っ先に飛び降りた。
それに続いた純一は、錦の頭をなでながら「先生、こいつください」などと、生意気なことまで言い始めた。僕もようやく錦の背から飛びおると、「これは形見だから、駄目です」と、微笑を浮かべた。
 「いいから、早く座敷に行きなさい。ななことさゆりは、泣いていましたよ」
 ぽん、と背を軽く押すと、みのると純一は顔を見合せて、すぐに靴を脱いで縁側から中へと入って行った。僕は左腕を回して伸びをしてから、未だ伏せている錦の頭をなでる。
「お前は、もう休んでくれ」
 錦は青く透き通った双眸を細めて、「わかりました」とつぶやいて、一度高く飛翔してから、丸池の中へと飛び込んだ。縁石にぶつかった飛沫を頬に受けながら、邪植は苦笑を浮かべた。
「厄介なことになりましたね」
 「これも歌か?」僕は、縁側に上がって靴を脱ぎながら、眉間に皺をよせた。
 「ええ、欲望の軌跡が残ってました。いくつか種を植えたので、あそこに居た人間が二次災害を起こすことは、たぶん無いと思いますけど」
 「なんだよ、煮え切らないな」
 邪植は、羽根をしまいながら口元を歪めて「たしかあそこで、中継やってましたよね」と、つぶやいた。僕はハッとして、その横顔を見つめた。
 「おい、それって」
 「もしかすると広い範囲に、歌が広がった可能性がありますね」
 「冗談じゃないぞ」
 舌打ちをして頭をかいた。この時になってはじめて、いま相手にしているものが、途方もなく大きなものであることに気がついた。


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