32 / 45
第三章
3-6
しおりを挟む六
三日と言わず、その日の夜に彼女と言葉を交わすことができた。会話と言っても、相手は植物だ。動物のように巧みに言葉を、扱うことができる訳じゃない。そっと肌に触れるように、あるいはかがやきが視線を横切るように、さりげなく通り過ぎてゆく。
注意していなければ気づくことは困難で、気づくことができなければ、植物の言葉など一生知ることはできない。それほど些細な声であり、しかし脈々とした生の躍動であり、繊細な織物なのである。
彼女も同じだった。夢を介してではあったが、一枚の葉を僕の足元に落として、消えて行った。その一枚を拾い上げたとき、はじめて彼女の言葉が染み込んできた。是も非も無く、手にした言葉はたしかに強い望みを持っていた。
しかし、それとは別にある映像が、脳裏をよぎった。それは、眼前でたしかに行われた生々しさを持って、僕の意識を押さえつけて来た。彼女の目の前で、赤黒い液体が飛び跳ねた。温かく、どろどろとしたものが、土の上に染み込んで消えた。それは動物の血であり、人間の血である。赤黒い血を覆い隠すように、空からはいくらも雪が降って来ていた。
その雪は白く、しかしつめたくはなかった。まるで灰のように細かな霧状の白いものが、彼女の全身を包みこむように降りそそぐ。土壌に染み込んだ赤い液体と混ざるようにして、白い粉はうすい桃色に染まる。そして、衝撃音。爆風のなかで、白煙が舞い、空は舞いあがった泥土や、煙で真っ黒になっていった。
目を覚ますと同時に、息を飲んだ。額から落ちた汗をぬぐって、身を起こす。枕もとに置き放しにしていたノートを開いた。忘れないうちに楊貴妃の言葉をそこに書きつける。布団の上で頬づえをつくと、ノートを繰りながら、じっとその文字列を眺めた。
「ヒガシノソラ。
ズットマッテイタ。
ヒカリノカナタカラ。
ワレモカエロウ。
ヒャクネンノミヤコ。
カガヤキノウミヘ。」
「意味がわからんな」
横から顔をつっこんできた八枯れが、低くつぶやいた。突然のことに驚いて、ペンを落とすと、頭を引いてしばし黙った。目の前でゆれる黒い尻尾を眺めながら、小さく息をつく。頭をぼりぼりとかきながら「急に出てくるな」と、言って眉根をよせた。
「帰りたいところでもあるのだろうか」
「どこにだ」
「わからないよ」
八枯れはふん、と鼻を鳴らして、布団の中から這い出した。後足で耳の裏をかきながら、「うちは植木屋じゃないぞ」と、愚痴った。その呑気な背中にため息をつきながら、胡坐をかいて腕を組んだ。
「ひらがなと漢字にしてみようか」
そうつぶやいて、ノートを繰ると、新しいページにペンを走らせた。横から覗き込んできた八枯れが、慣れない口調で読みあげた。
「東の空。
ずっと待っていた。
光の彼方から。
我も帰ろう。
百年の都。
輝きの海へ。」
ううん、と首を傾げて顎をかいた。ペンを指先で回しながら、布団の上でごろり横になった。電灯の光にノートを透かして、ぼんやりと眺める。
「ええっと、つまり光の彼方から来たから、東の空へ帰してってことか?」
「百年の都ってのは何じゃ。どこにある」
「わからない」
「輝きの海ってのは?何を待っているんじゃ」
「わからない。情報が足りない」
「話しにならんな。今回はさっさと手を引け。その方がわしも楽じゃ」
「お前は、本当に変わらないな」
「何がじゃ」
「薄情者って話しだよ」
はあ、とため息を吐き出して頭をかいた。それを眺めていた八枯れは鼻を鳴らして、丸くなる。「もの好きめ」と、大きなあくびをもらして、尻尾を振っている。そのゆらゆらと揺れる黒い尻尾を眺めながら、小さく息をついた。
何か決定的なものに欠けると言うのか、全体的に曖昧模湖としている。つかみどころがなく、まるで霧の中に手をつっこんでいるようだった。だが、あの脳裏をよぎった映像は、夢ではないはずだ。
テーブルに置いてある花瓶に目をやった。昨日の夕方、邪植に用意させたもので、その中に池の水を入れて、楊貴妃の枝をさしている。持ちこまれた当初から、だんだん弱ってきていたが、さすが錦に清められた水だけあって、数時間もすれば元の通りの気品を漂わせはじめた。
淡い桃色の花びらを開いて、つぼみを震わせながら、闇の中でじっとしている。もしかすると、東堂が運んできたときは、衰弱しきっていたため、言葉をしゃべることもできなかったのかもしれない。
寝息をたてはじめた八枯れを置いて、立ち上がった。開け放しにしていた襖を抜けて、居間に入ると、楊貴妃の枝にそっと触れた。いくらか、池の水を吸い上げた花びらの先から、露が垂れる。まるで、雨に降られたように濡れているその姿に、ふっと笑みを浮かべて、しゃがみこんだ。そのとき、背後から強い力で頭を抑えつけられた。油断しきっていたため、倒れると同時に畳の上で顎を打ちつけた。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
第5皇子に転生した俺は前世の医学と知識や魔法を使い世界を変える。
黒ハット
ファンタジー
前世は予防医学の専門の医者が飛行機事故で結婚したばかりの妻と亡くなり異世界の帝国の皇帝の5番目の子供に転生する。子供の生存率50%という文明の遅れた世界に転生した主人公が前世の知識と魔法を使い乱世の世界を戦いながら前世の奥さんと巡り合い世界を変えて行く。
つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました
蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈
絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。
絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!!
聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ!
ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!!
+++++
・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
神様の忘れ物
mizuno sei
ファンタジー
仕事中に急死した三十二歳の独身OLが、前世の記憶を持ったまま異世界に転生した。
わりとお気楽で、ポジティブな主人公が、異世界で懸命に生きる中で巻き起こされる、笑いあり、涙あり(?)の珍騒動記。
高校生の俺、異世界転移していきなり追放されるが、じつは最強魔法使い。可愛い看板娘がいる宿屋に拾われたのでもう戻りません
下昴しん
ファンタジー
高校生のタクトは部活帰りに突然異世界へ転移してしまう。
横柄な態度の王から、魔法使いはいらんわ、城から出ていけと言われ、いきなり無職になったタクト。
偶然会った宿屋の店長トロに仕事をもらい、看板娘のマロンと一緒に宿と食堂を手伝うことに。
すると突然、客の兵士が暴れだし宿はメチャクチャになる。
兵士に殴り飛ばされるトロとマロン。
この世界の魔法は、生活で利用する程度の威力しかなく、とても弱い。
しかし──タクトの魔法は人並み外れて、無法者も脳筋男もひれ伏すほど強かった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる