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第四章
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目を覚ますと、見なれた天井が目に入る。
障子の向こうから射す、光はまだ朝のものではない。僕は、右手で前髪をかきあげると、時計を確認した。午前五時。夜明けまで、あと十五分ぐらいある。
「う、う、うう」
隣で眠っていた東堂が、突然うめき声を上げた。起き上がって見ると、苦悶の表情を浮かべて、何事かしゃべっているようだった。
「寝汚い女だなあ」
大きなため息をついて、頭をぼりぼりとかいて、布団から足を出し、立ち上がった。
「赤也」
障子を開けて、縁側に出ると、池から顔を出していた錦が僕を呼んだ。白い息を吐き出しながら、錦の青い双眸を見つめる。どうやら、錦が家まで運んでくれたようだ。おかげで、どこから夢で、どこから現実なのか、わからない。
「ただいま」
そう言って微笑むと、錦は青い目を細めて、飛翔した。くるり、と尾を巻いて、庭先に降りると、いつものように頭を下げた。僕は錦のうろこをなでながら、「ああ、そうだ」と、つぶやいた。
ぐずついた曇り空は、冬のつめたさそのものだ。冷気に鼻をこすりながら、白い息を吐きだした。縁側で、丸くなっている黒い猫を見つけた。その隣で、楊貴妃は、可憐な姿で、花を揺らしていた。
「これは、初めから放って置いて良いものだったんだな」
八枯れは黄色い目を開けて、僕を見上げると、ふん、と鼻を鳴らした。まあ、いいや。と、僕はため息をついて、軒先にしゃがみこんだ。八枯れも僕の後について来ると、大きく気伸びをした。
「お前に最後の記憶を見せたかったんだろう」
「なぜだ」
「そんなものわしが知るか」
「惑星の、感傷……?」
僕は膝の上に肘をついて、頬づえをついた。八枯れは、縁側の上に飛び上がった。
「どんな生き物でも、年を取ればそれなりに力を持つ」
「そういうものか」
八枯れは、怪訝そうな顔つきをして僕を見ると、呆れたため息をついた。
「登紀子から、あれほどの力を与えられておいて、そんな阿呆なことを言うのか」
「どういうことだ」
僕はムッとして、八枯れのひげを引っ張った。八枯れは、ええい、わずらわしいと言って、それを前足で払う。
「あの過保護な女のことじゃ。大方、お前の記憶の中に、力の一部をもぐりこませておったに違いない。それが、あの枝を引き寄せたのかもしれんな」
「ふうん。じゃあ、ばあさんは僕が海を渡ることを知っていたのか?」
八枯れは表情を歪めて、舌を打った。何を思い出しているのか、その不機嫌そうな顔を眺めながら、思う。八枯れとばあさんの確執は、深いようだ。
「当然じゃ。あいつにも特別な力がある」
「楊貴妃は、どうなるんだろうな」
ふん、と鼻を鳴らして、八枯れは丸くなる。その猫の小さな背中を見つめながら、そっと手をのばした。指先に触れる、動物の毛は、やわらかく、温かい。僕は微笑を浮かべて、八枯れの耳をくすぐった。
「どうにもならんさ。もうとっくに、光の海へ還った」
「あそこは、彼岸なのか?」
「かもしれん」
僕は苦笑をもらして「彼女は、ようやく安らぎの世界へ行けたのかな」と、つぶやいた。八枯れは、片方の目だけを開けて、僕をちら、と見上げ、うっすらとそれを細めた。黄色い瞳の奥でゆれているのは、太陽光の反射だろうか。
薄曇りの合間から、やわらかな陽光が射している。僕はそれを見上げながら、鬼を抱いて、それを膝の上に下した。八枯れは抵抗しない。尻尾をくるりと巻いて、膝の上で丸くなると、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「僕は、いつも境界の上を、うろうろしているような気がしている」
そうぼやくと、八枯れは、あくびをもらして、くぐもった声で言った。
「言ったろう。彼岸と此岸の境目はひどく曖昧なものだ」
左足にかかる、重さが丁度良い。布ごしに伝わってくる、生き物のぬくもりに、ようやく安心する。鬼の背中をそっと撫で、僕は微笑を浮かべる。
ふと、空を見上げると、赤と白の星が、明滅し輝いていた。
了
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