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3章
3.1
しおりを挟む困っている人がいたら、助けてあげなさい。それが、両親の教えだった。
だから、子供の泣き声に気付いたとき、トウリは咄嗟に駆け出した。両親の制止の声も聞かずに……。
そうして、トウリは船着き場の暗がりにうずくまっている子供を見付けたのだ。
「どうしたの?」
トウリが問い掛けても、子供は俯いたまま、何も言わない。
苦しいのかもしれない。トウリがハンカチを差し出すと、子供はおずおずとそれを受け取った。
「――ありがとう……、……」
思い出すたびに色褪せていく、幼き日の記憶。
けれど、トウリはあのときに子供が見せた笑顔を、今でも鮮明に覚えている。
チーズの焼ける香ばしい匂いが、バターの香りと混ざり合い、辺りにふわりと満ちている。スープの甘い香りを含んだ湯気の気配と、食欲をそそる脂の弾ける音が、トウリに朝の訪れを告げていた。
ゆっくりと体を起こしたトウリは、カーテンの合間から差し込む柔らかな日差しを見て、雨が止んだらしいことに気付く。隣で眠っていたはずのエミリオの姿はそこになく、彼の気配は扉一枚を隔てた向こう側にある。
床に落ちたスウェットを拾って着ながらトウリが寝室を出ると、キッチンに向かうエミリオの背中が見えた。彼は高い位置で束ねた髪を揺らしながら、振り返って言った。
「あ……おはよう、トーリ! そろそろ起こそうと思ってたところ」
トウリはやや面食らいながら、挨拶を返した。
「……おはよう」
「キッチンのもの、色々と借りちゃった」
「それは別に、構わないが……」
「顔を洗っておいでよ」
こそばゆい心地になりながら、トウリはエミリオに言われた通りに脱衣所で顔を洗い、リビングへ戻る。
テーブルには、既に朝食が用意されていた。焼き立てのクロックムッシュに、トロトロのスクランブルエッグ。ベーコンは焦げ目がつくまでこんがりと焼かれていて、焼きトマトの赤い色が食卓に彩りを添えている。
エミリオは、最後に甘い香りのするコーンスープを運んできて言った。
「今朝はコーヒーにする?」
「……ああ」
「ミルクと砂糖は?」
「じゃあ……ミルクだけ」
トウリが席に着いている間に、エミリオはインスタントコーヒーで手早くカフェオレを淹れてくれた。
「早く起きたから、シャワーを借りて近くの市場に行ってきたんだけど……何でも揃うね」
近くにはスーパーもあるが、目と鼻の先にある運河沿いを行けば、早朝から市場が賑わっている。
冷蔵庫にはほとんど何も入っていなかったはずだ。どうやら、食材を色々と買って来てくれたらしい。
忙しなく動き回っていたエミリオが、やっとトウリの向かいに座った。高い位置で括っている髪の先が、彼の肩の上を滑って落ちていく。
「どうぞ」
エミリオに促されて、トウリは手を合わせた。
「……いただきます」
エミリオは少しだけ物珍しそうな顔をして、
「日本式の挨拶だ」
そう言って、トウリを真似て手を合わせてみせる。
トウリは最初にクロックムッシュに手を伸ばした。ハムの塩味とベシャメルソースの甘みが絶妙で、熱々のチーズが糸を引く。
「……旨い」
コーンスープをスプーンで掬って飲んでいたエミリオが、白い頬をほんのりと赤らめる。
「よかった」
トロリと蕩けるスクランブルエッグはバターの香りがして、カリッとした触感のベーコンとよく合う。焼きトマトの程よい酸味はアクセントになっており、甘い香りのコーンスープは胃を優しく温めた。
屋敷を出て一人暮らしを始めてからと言うものの、トウリがこんなに豪華な朝食を食べたのは初めてのことだった。
「トーリって、やっぱり和食派?」
「特別そういう訳ではないが……慣れた味ではある……」
「ん……そうなんだ」
エミリオが作る味噌汁の味を想像するだけで、トウリの胸は期待でドキリと弾んだ。
「あ。残った食材で色々と作って、冷蔵庫と冷凍庫に入れておいたから。よかったら食べて」
トウリが頷いてみせると、エミリオは少しだけ頬を膨らませて、
「戸棚にエナジーバーがいっぱい入ってたけど……ちゃんとしたものも食べなきゃ駄目だよ?」
「……わかってる」
「調味料は置いていっていい?」
トウリはまた無言で頷きながら、今日が休日で良かったと思った。
結局、トウリの頭の中のスイッチが、ヴァンパイアによる連続吸血窃盗事件の調査に切り替わったのは、出された料理を残さず完食し、コーンスープをおかわりし終えてからのことだった。
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