鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔

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第十一章「信康切腹」

第五十五話「築山御前」

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遠江国 堀口村

そこは、寂れた家屋が数軒並んだ小さな村でございました。
おそらく、ここにいるはず。
拙者は信康様御自害の真相にあたり、まずはもう一つの不可解な死から探る事に致しました。
それは、家康公の御正室・築山御前の死でございまする。信康様の母君であられる築山御前。築山という名前は、御前が住んでいた岡崎の地名に由来します。家康公が今川の人質時代に今川家重臣・関口義広殿の娘である御前と結婚し、その二年後に信康様が生まれます。
そもそも此度の信康様御自害の主な原因とされているのは、信康様の御正室・徳姫様が実父である織田信長に送ったとされる手紙。その手紙には、信康様と築山御前が武田勝頼と内通しているという事が書かれていたそうです。それ故、怒った織田信長が家康公に対し、信康様と築山御前の成敗を命じたとされております。常日頃、徳姫様と築山御前の仲があまりよろしくないのでそのような事が起こったのではないか、というのが専らの噂でございまする。
真相がどうであれ築山御前は信康様御自害の前の月、八月二十九日に亡くなっておられます。拙者は、その時の様子を探るべく、この遠江国堀口村にやって参りました。この村におる男ならきっと何かを知っておると踏んだ訳でございまする。その男とは、築山御前の介錯を行ったとされる男―野中三五郎重政。築山御前の介錯の後、故郷であるこの堀口村に蟄居(ちっきょ)したそうでありまする。
堀口村は小さな村ですので、彼の住まいはすぐに見つかりました。
他の家に比べれば少し大きいですが、ぼろぼろの屋根に壁も所々に穴が空いており、一見すると人が住んでおるようには見えませなんだ。
拙者が開いたままの戸から中に入ると、白髪混じりの初老の男が土間で水を飲んでおりました。拙者は、その男性にゆっくりと声をかける。
「・・・野中、重政殿か?」
拙者の問いに初老の男の動きが一瞬止まるが、すぐにこちらに振り返る。
「・・・いかにも」
初老の男―野中重政殿は、そう言って頷くと続けて拙者に質問をする。
「何用でここへ参られた?」
拙者は、その問いに率直に答える。
「築山御前の死についてお伺いしたく参りました」
「・・・」
黙り込む野中殿。しかし、その沈黙は長くは続きませんでした。
突如、部屋の中から一人の少女が顔を出す。
「う、あ、あう、あ、あ・・・」
少女は何かを言っておるようでしたが、拙者にはまったく理解ができませなんだ。しかし、野中殿は少女の意を察したのか優しく声をかける。
「大丈夫だ。何でも無いから部屋の中へ入っていなさい」
「う、あ、ああ」
野中殿にそう言われた少女は、ゆっくりと部屋の中へと入って行く。
「・・・娘じゃ。見ての通り聾唖(ろうあ)でな。皆、儂が築山御前を斬った呪いじゃと言うておる」
「・・・」
拙者は、野中殿の話に黙って耳を傾ける。
「皆、築山御前を悪女などと言うが、何を根拠にそんな事を言うておるのじゃ。あの御方は我が子の為を思い、自らを犠牲にされたのじゃぞ」
そう話をする野中殿の瞳には涙が浮かんでおりました。
拙者は、野中殿に事の次第を問いかける。
「その時の様子を詳しく教えてはいだだきませぬか?」
野中殿は黙って頷くと、ゆっくりと話を始める。
「あれは小薮村での事じゃ。某は家康公からの命を受け、築山御前と共に浜松城へ向かう途中でございました。築山御前は全身白装束。自らの死をもって息子の無罪を証明しようという意の現れでございました。村のはずれまで来たところで、築山御前は憔悴(しょうすい)した顔つきで某に向かって『もうここらでよかろう。輿を下ろしなされ』と仰せになられたのです」
拙者は、野中殿の話を固唾を呑んで聞き入る。
「そして、築山御前は輿からお降りになられ、某に『野中殿、早うに。如何なされた。君命を忘れ給いしか?・・・いでや、妾自らせん』と仰り、懐に持っていた短刀で自らの首に刃を突き刺したのでございます・・・」
そこまで言うと、野中殿の瞳から涙が溢れ出てきました。
「突然の出来事で某も困惑してしまったのですが、目の前で苦しむ築山御前を楽にしてさしあげたいと思い某は刀を抜き御前の介錯を行ったのでございます」
野中殿の涙ながらの告白に、さすがの拙者も瞳を潤ませる。
「その後、築山御前介錯の報を浜松の家康公に告げた際、殿からも無理に殺さずとも他に方法があったのではないかと言われ申した。その言葉を聞き、某は居ても立っても居られなくなり、この堀口村に蟄居(ちっきょ)した次第でござる」
そして、野中殿は拙者の目をまじまじと見詰める。
「貴殿も、もしこの先、築山御前を中傷する者が現れた際は、あの御方は決してそのような方ではないと伝えて下さりませ」
野中殿の懇願に拙者は黙って頷く。
「某は、この地で細々と築山御前の供養を行っていこうと思いまする。貴殿も御前の死を探るという事は何かしら訳があるはず。貴殿の御武運をお祈り致す」
そう言って頭を下げる野中殿。
拙者も一礼をし、振り返って野中殿の屋敷を後にする。
少しではありますが、此度の野中殿の言葉により信康様御自害の一端を垣間見られたような気が致しました。しかし、それはあくまでも一端。これからが本当の真相究明でございまする。
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