誰にも気づかれなかった僕の生き方が、世界を変えていました。

シロトネ

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第1話 夜が終わる音

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「……また終電、逃したな」

蛍光灯だけが照らすオフィスの隅で、僕は冷めたコーヒーを口に運んだ。
苦いだけのその味は、眠気を誤魔化すどころか、むしろ胃に重たく沈んでいく。

夜中の二時。
会社のフロアには僕ひとり。
カタカタと鳴るキーボードの音だけが、まるで命の音のように続いていた。

パソコンの画面には、同僚が投げてよこした資料の修正案。
「明日までにやっておいてもらえると助かるんだけど」なんて、軽い口調で押しつけられた仕事だ。

僕がやる必要なんて、本当はない。
でも、断れなかった。いつものように。

誰かが困ってるなら、自分がやればいい。
そう思い込んでいたし、そうするのが“良い人間”だと思っていた。

もう、何日もちゃんと寝ていない。

スマホを見ると、未読のメッセージがいくつも並んでいる。
「いつまで残ってるの?」「体壊すよ」
心配というより、呆れと憐れみが混じった文面。

喉が渇いていた。
手が震えて、胸の奥がギュッと締めつけられるように痛む。

「……なんでだろ」

椅子から転げ落ちるように床に倒れ込む。
冷たいタイルの感触が、うっすら残った意識に染みてくる。

天井を見上げたまま、思った。

――ああ、死ぬんだな。
それが、こんなにも静かなものだなんて。

怖くなかった。
むしろ、どこかほっとしていた。

誰にも文句を言えなかった。
誰にも助けを求められなかった。
怒鳴ることも、泣くこともできずに、ずっと笑っていた。

いい人でいようと、必死だった。
嫌われないように、空気を読んで、自分を押し殺して――

でも、本当は。

「……誰かに、気づいてほしかっただけなのにな……」

言葉が、口からこぼれ落ちた。
涙が一滴、頬を伝い、そして――僕の意識は、静かに闇に沈んだ。

◇ ◇ ◇

目を覚ましたとき、世界は真っ白だった。

光でも闇でもない、色のない空間。
音も、風も、温度さえもない。
けれど、自分の“存在”だけは確かにそこにあった。

立っている感覚。重力も、体の重さもない。
なのに、僕は間違いなく“ここ”にいる。

「ここは……どこ?」

呟いた声が、すっと空気に溶ける。

その問いに応えるように、優しい声が響いた。

「よく来たね。ずっと見てたよ、君の人生を」

振り向くと、光の中から人のような何かが現れた。

輪郭はぼんやりとしていて、性別も年齢もわからない。
でも、その声はあたたかく、そして、どこか哀しげだった。

「最後まで、誰のことも恨まなかった。誰のせいにもせず、ただ静かに、黙って苦しんで……それでも、人のために生きていた。君みたいな魂は、ほんとうに、まれなんだよ」

僕は、ただぽつりと呟く。

「……意味なんて、あったのかな。僕の人生に」

光の存在は、ゆっくりと首を横に振った。

「意味なんて、他人が与えるものじゃない。君自身が、ずっと“意味”を作っていた」

「だから……もう一度、生きてみないか?」

その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。
この空虚な空間の中で、僕の心だけが、確かに震えていた。

「次の人生では、君に“枠”は与えない。性別も、立場も、常識も。君自身が何者なのか、君が選んでいい。自由に、生きてみなさい」

自由に。
その言葉が、こんなにも優しく聞こえたのは初めてだった。

僕は、ゆっくりと目を閉じる。

これが最後の選択になるのなら――今度こそ、自分の心で選びたい。

「……わかった。じゃあ、次の人生では」
「名前は、ユイにするよ」
「今度こそ、自分で選んで、自分のために――誰かを、救いたい」

その瞬間、光が弾けた。

全てが、静かに、温かく、優しく――僕を包んでいった。
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