僕らが生きるのは夜の街。

雄太(Yuta)

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一章「出会い」

2.夜との出会い、夜の出会い。

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いつからだろうか、子供の心を忘れたのは。今日の給食が楽しみじゃなくなったのは、人のことを気遣って鬱になって、かと思ったら周りの人間のことがどうでも良く思えてきたのは。
 別に、童話に出てくる悲劇のヒロインみたいな人生を送ってきたわけではない。意地悪な義母や義姉を持ってるわけでもないし、灰被りを意味する『シンデレラ』っていう名前をつけられたわけでもない。友達もそこそこいたし、運動はいまいちだったけど、頭もそこそこ良かった。でも、僕の人生には憧れの王子様も救ってくれる魔法使いもいなかった、というただそれだけの話だ。
 『可もなく不可もなし』、これは良くも悪くもないことを意味する言葉だが、可もなく不可もない人生ほどつまらないものはない。人間は安定を好むが、結局は刺激がないと生きていけないんだ。僕にはその刺激がなかった。
 だからだろうか、いや、きっとそうだ。僕は深夜、二本の時計の針が円周の頂上を指した時、自身の家であるアパートから抜け出した。日常から抜け出したくて、刺激を求めて。親はほとんど家にいない。抜け出すのは簡単だった。
 ――『夜』。非日常を絵に書いたようなその言葉は、いつも見ている街並みすらも妖艶な魅力で染めていった。ただいつもとは時間帯が違うだけ。けれど、その非日常感は僕の心を高揚させるには十分すぎるものだった。
 大きく息を吸い込むと冷たい空気が肺に入る。当然だが太陽のぬくもりは感じられない。それが加護から抜け出したようななんとも言えない不安感に変わる。しかし、それはまるで今まで自分を縛っていた枷が消えたような、自由を感じさせるものでもあった。守られていないというのはそれだけでスリルに変わり刺激に変わっていった。
 一歩、歩いてみる。先程の冷たい空気が、今度は髪を撫でる。少し肌寒い。家にマフラーでも取りに帰るべきだろうか。そう考えながらも僕は歩みを止めることはなかった。此処で帰ってしまうととまた日常に戻ってしまう気がして、それが嫌だった。
 コンクリートで舗装された道を進んでいくと、商店街に出た。店の前にはシャッターが下ろされ、表面にはそれぞれの店のロゴがスプレーアートで描かれてあった。昼間までの喧騒は収まり、代わりに酔っぱらい達のたまり場となっていた。絡まれそうになるのをなんとか早足で歩いて回避した。そのまま歩いていくと5分程で商店街を抜けた。早足だったというのもあるが案外あっという間だった。酔っぱらい達の声が消え、辺りが一気に静まり返った。
 道端の電灯の灯りに沿って歩いていくと今度はビル街に出た。先程までの景色とは打って変わり、高層ビルが立ち並ぶ様子は摩天楼という言葉を我が物とせんように思えた。
 道なりに奥に進んでいくと、目の前に雑居ビルが現れた。錆びの匂いが香る鉄筋コンクリートのビルで、外壁からは屋上まで非常階段が伸びていた。周りのビルと釣り合わないその古びた見た目はまるでこの建物だけ時間の流れが早く経過しているのではないかと感じる程だった。しかし、古びた見た目とは裏腹に他の建物に負けないくらいの高層ビルだった。
 少し駆け足で階段を登ってみると、先程まで立っていた地面がどんどんと遠くなっていくのを感じた。ふと、横を見てみると、そこはもう随分と高所で、下がある程度見渡せた。落下防止用の手摺がついた柵から半身を乗り出すと、冷たい風が一層強く吹き、改めて自分が非日常にいることを実感した。自分がどこまで日常から遠い場所に来れたのか確認したくて、自分の住んでいるアパートを見つけようとしたが、それは他のビルに阻まれてしまった。
 寄りかかっていた柵から体を離すと、初めてその柵の状態の悪さに気づいた。ボロボロに腐食した手摺は先程まで体を預けていたとは思えない頼りのなさだった。もし、落ちていたらと思うとゾッとする。
 階段をさらに上に登ってみると、やがて屋上についた。屋上に続くドアの鍵は開いており、ぎぎぃと開閉機能の限界を感じさせる音を発しながら開いた。
 ドアを通り抜けると、そこには花瓶がいくつか置かれていた。中に入ってる花は枯れていて何の花なのか判別するのも難しい状態だった。屋上を見渡すと物はほとんどなく、目立つものは大きなボイラーくらいだった。床はひんやりと冷たく、その温度がうすいクロックスを通して伝わってきた。
 屋上の奥の方には柵があり、非常階段の手摺と同様腐食してボロボロだった。今度は体重をかけないようにして、手摺に腕を乗せた。目に映る景色は高いところに来た分、より壮大なものになっていた。アパートを探してみたがやっぱり他のビルが邪魔で見つけることはできなかった。
「よぉ、少年。死時は決まったか?」
 耳元にふいに吐息混じりの声が響く。体中に悪寒が走る。同時に脊髄反射で体を捩らせると、数歩後ろに下がった。
 声のした方に目線をやると、そこには不気味に笑う青年の姿があった。白い肌にくっきりとした鼻筋、パット見好青年とも取れる容姿だったが、ぼさぼさと乱れた髪と目の下の青隈、黒いパーカーが不健康という印象を植え付けてきた。
「そんなに驚くことはないじゃないか。で、死時は決まったかい?」
 青年は意味のわからない質問を再び投げ返してくる。
「死時って.....え、いや....」
 予想外の展開に頭が回らず言葉をつまらせる。
「誤魔化す必要はないさ。ここに来る理由は一つしかない。」
 ははっと乾いた笑い添えながら、青年は言う。
「理由...?」
 恐る恐る、青年の真意を探るように言う。
「自殺だよ。」
 青年はじっと目を細めながら言う。その目には光はなく、何の感情も灯っていなかった。
 自殺?冗談じゃない。
「え、いや違っ、.....。そんな死ぬとかは....。」
 回らない頭を無理やり回しとりあえず否定の言葉を発してみる。
「......。」
青年はしばらく黙り込み、そのまま僕の目を見つめてきた。
「えー、そうなの?よかったぁ。」
 青年はいきなり沈黙を破ると、細めていた目をパチっと開き驚いたような表情を浮かべ、その後ニッコリと笑った。しかしその目からはやっぱり何の感情も読み取ることができなかった。
 「じゃあさ、ここに何しに来たの?」
 青年の顔から表情が消える。その目線は未だに僕を捉えており、すべてを見透かしているようなその目にはとてつもない嫌悪感を覚えた。
 此処に来た理由.....。
「その..刺激が..スリルを味わいたくて、だから自殺とかじゃ.. 。」
 まだ頭は回っておらず、どうやっても言葉が吶りうまく説明できない。
 僕の話を聞きながら。青年はうんうんと、うなずいてみせた。その仕草は如何にも態とらしいものだった。
「なるほど!ただのお馬鹿さんなガキだったか。」
 青年は少し間をおいてぽんと手を叩きながら言った。
「お馬鹿さんって.....。」
 「いやね、此処は多いんだよ、人生に疲れたーとかで飛び降り自殺する人。いやぁ、良かった良かった。夜はまだ長いのにいきなりガキの飛び降り自殺を見せられる羽目になるかと思ったよ。」
 ふぅ、安心した、と付け加えると、青年は大きく息を吐きだした。
 鍵も空いていたし、他のビルより古い分、このビルはおそらくセキュリティも緩い。なるほど確かに自殺するには絶好のスポットなのだろう。無論、僕は此処に命を絶つ為にやってきたわけではないが。
 ふと、ドアの近くにおいてあった花瓶の方に目をやる。あの花もきっと自殺した方への供養のために置かれていたのだろうと今になって気づく。
 ん、?待てよドア? 青年の方に視線を戻す。青年は未だに僕の顔を見据えていた。
「待て、あんた、そういえばどこから....。だって――」
「だって、何だい?」
 青年は一歩二歩と僕との距離を詰める。
――だって、僕が屋上に入ったときには誰もいなかった。それに、屋上に入るための出入り口は僕が入ってきた非常階段のドアと、ビルの内部と繋がっているであろう正規のドア以外なかった。正規のドアにはしっかりと鍵がかけられていたし、非常階段のドアは開ける時に不愉快なぎぃという音が鳴る。気づかないはずがない。じゃあ一体、どこから――、
「よっ、と。」
「え?」
 青年は、息が体に当たりそうな距離まで来ると、手でポンッと僕の肩を押す。不意を突かれた僕は、バランスを崩し倒れた。
 バキッという鈍い音が鼓膜に届く。視界の端には壊れた柵の破片が見えた。不味い、死ぬ。
 その時、今までの何十倍もの速度の風が僕の髪と服、そして思考をかき乱していった。重力による落下はスピード感たっぷりに、されど無限とも感じられる時間続いていった。いざ、死ぬとなると走馬灯なんて機能せず、頭の中がどんどん真っ白になっていく。
「あぶねぇ、ギリセーフ。」
 目を開けると青年の顔が視界に入った。僕はいま青年に横抱き、所謂お姫様抱っこをされていた。
―ドスンッ
「痛っ...!」
ゴミを投げ捨てるように雑に僕を地面におろすと、青年は不敵な笑みを浮かべた。
「刺激的だっただろう?少年。紐なしバンジーは楽しかったか?」
 青年はパッパッと手でスボンの埃を払うような仕草をしながら地面の僕を見下ろし、訪ねてきた。
「地面、コンクリートですよ....。」
「ん?」
「だから、地面コンクリートでできてますよね...!砂埃とか立たないし...払う必要ないじゃん..!」
 相手のペースに乗せられ続けているのが嫌で、無理やり軽口を叩いてみる。当然他に意味なんてない。ただの無駄な足掻きだ。
「雰囲気だよ、雰囲気。良いだろ?ムードとか雰囲気ってのは時に事実を凌駕するもんさ。」
 青年は両手を肩の斜め前に持ってくるとやれやれとため息をついた。
「ていうか君、呑気なもんだね。殺されかけたんだよ?」
 青年は嘲るような口調で問いかけてきた。
「な!? それは、お前のせいで―」
 僕は必死に反論しようとする。けれど....
「俺じゃない、アイツのせいだ。」
 青年は真顔に戻るとすっと指を上に向けた。僕は青年の指が指す場所、僕達がさっきまでいた屋上に目をやった。そこには――

 ――赤く光る目を持った人ではない何かが僕達を見下ろしていた。
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