王家の秘薬は受難な甘さ

佐倉 紫

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1巻

1-1

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   第一章 紅薔薇べにばらたわむ


 ――――パァンッ! 


 すがすがしいまでの破裂音はれつおんが、高い天井に響き渡る。
 集まっていた人々は何事かと振り返り、視線の先に見えた光景に皆例外なく絶句した。
 人々の注目を集めて立っていたのは、銀髪ぎんぱつまぶしい長身の青年。
 そして、手を振り下ろしたままのポーズでつま先立ちしている令嬢。
 わずかにのけぞった青年の頬には、真っ赤な手形がついていた。
 ――なんとおそれ多いことを。
 周囲がさーっと青ざめるのも構わず、令嬢は細腰に手を当てると「フン」と鼻を鳴らした。

自業自得じごうじとくよ。純情な女の子を侮辱ぶじょくした罰ですからね。せいぜい反省するといいわ!」

 その言葉に、なにを思ったのか。
 ぶたれた頬に己の手の甲を押しつけた青年は、底冷えするようなまなざしで、詰め寄る令嬢を見下ろしていたのだった。


 ◇◆◇


「おまえももう二十一歳になったのだろう。いいかげん結婚相手を見つけんか!」

 そう父親にせっつかれて、仕方なく、嫌々、本当に渋々しぶしぶ、顔を出した舞踏会ぶとうかい
 どこにいても目立つ銀髪のせいで、広間に入った途端とたん、黄色い悲鳴が響き渡った。
 毎度、このときばかりはこの髪がまわしくて仕方がない。
 主催者に挨拶あいさつだけして、大人しく物陰にでも引っ込むつもりでいるのに、どこへ行っても令嬢たちがそわそわしながらくっついてくるのだ。

(――くっついてくるくらいなら話しかけろ)

 なんで集団でこそこそ追い回すんだ。
 なにかあるのかと振り返ってみれば、きゃーきゃー言うばかりで、すぐおうぎで顔を隠すし。
 顔を正面に戻せば、ここぞとばかりに食い入るような視線を感じるし。

(こういうのを俗に『うざい』と言うわけか……)

 兄から仕入れたフランクな言葉を思い出し、「はぁ」と彼は知らずため息をついた。
 彼からすれば、うんざりという表情のつもりなのだが、悲しいかな、生まれつき整ったその顔立ちは、彼の本心を周囲に正しく伝えてくれない。
 あからさまに面倒くさがっている顔は『うれい顔』と変換され、愛想ゼロの仏頂面ぶっちょうづらは『思案しあん顔』といずれも感嘆のため息をつかれる。
 皮肉を込めた嘲笑ちょうしょうですら『令嬢殺しの薄氷はくひょうの微笑み』などとうたわれるのだから、人が多く集まる場に出ていくことが、彼にとってどれほど苦痛かはして知るべしであろう。
 できることなら、仕事以外ではずっと自室にもっていたい。
 だが実際にそうするには、彼はあまりに身分が高かった。
 実行したら、おそらく上を下への大騒ぎになるであろうことは容易よういに見当がつく。
 だから、今日もきたくもない舞踏会ぶとうかいに足を運び、結婚相手を探しているのだ。
 それもすべて、兄が結婚してからというもの、「おまえもさっさと身を固めろ」とうるさく言ってくる両親を黙らせるため。

「おお、ゼルディフト公爵様! このような場でお会いするのはお久しぶりでございますなぁ」

 不意に右手から声をかけられ、青年は足を止めて振り返る。
 視線の先にいたのは、近衛騎士団このえきしだん所属の隊長アゼフトだ。この会を主催している子爵は王都から離れた地方の領主だ。そのためあまり面倒な人間と会わずに済むと思ったのに、予想外だった。
 にやにやとした微笑みに、さらにうんざりさせられてしまうが、無視するには厄介な相手である。

「――アゼフトきょうもいらしていたのですか。このような遠方でお会いするとは、奇遇ですね」
「まさにそうですな! これもなにかのおぼし召しということでしょう!」
(そんなのを思し召す神がいるなら即刻滅んでしまえばいい)

 と、なんとも罰当たりなことを考えながら、青年は無表情のままアゼフト卿を見据みすえた。

「よい機会でございます。ぜひ、我が娘を紹介させてくださいまし。愛娘まなむすめのロクサーヌでございます」
「お初にお目にかかります、ゼルディフト公爵様。ロクサーヌにございます」

 父親からの紹介を待っていたのだろう。どこからともなく現れた美女が、口元に蠱惑的こわくてきな笑みを浮かべながら優雅に礼をした。
 最悪だ、と青年は胸中きょうちゅうで顔をしかめる。
 豊満な胸元を強調するようなドレスといい、細い腰を際立たせるビーズ飾りといい、ゆるやかに波打つつややかな黒髪といい――青年のもっとも嫌いなタイプの女である。
 おまけに自信に満ちたその微笑みときたら! このわたくしを袖にする男なんているはずがないわ! という根拠のない自信に満ちあふれているではないか! 
 本来なら、ここで令嬢の手を取り、その手の甲に口づけるのが紳士しんしとしての作法である。
 が、こんな女に口づけるくらいなら、不作法とののしられたほうがマシだと思うのがこの青年だ。
 彼はここでも自分の信念をつらぬいた。

「どうも」

 これ以上ないほど素っ気ない挨拶あいさつを返し、すぐにきびすを返そうとする。

「おおおお待ちください公爵! ほらっ、もうすぐダンスも始まりますからっ、ぜひうちの娘と一曲ご一緒して――」
「ダンスは不得手ふえてなので失礼します」
「そう言わずに!」

 追いすがるだけの父親にれてか、ロクサーヌ嬢が素早く動く。
 次の瞬間、青年は彼女に腕をつかまれ、柔らかな胸を身体に押しつけられていた。

「わたくしからもお願いいたしますわ。ぜひ、踊ってくださいまし」
(い・や・だ)

 振り返った青年は薄氷はくひょうの瞳を細めてそう訴えるが、ロクサーヌは挑戦的に微笑んだままだ。
 ふたりの膠着こうちゃく状態が続く。いつの間にか周囲の人々も固唾かたずを呑んでやりとりを見守っていた。
 その沈黙を破り去ったのは――

「ちょっと、そこの色男!」

 切り込むようなりんとした声に、全員が一斉いっせいにそちらを向く。
 青年も咄嗟とっさに声がしたほうを向いた。
 不思議なことだが、響き渡ったその声には、振り向かずにはいられないような強制力がひそんでいたのだ。
 だがその『色男』というのが、まさか自分を指しているとは思わなかった。
 公爵位を持つこの自分を……成人するつい三年前までは『第二王子』と呼ばれていたこの自分を、『色男』呼ばわりするような無礼者はさすがに存在しないはずだった。
 パァンッ! と小気味こきみよい音が立ちのぼる。
 振り返るなり左頬をぶたれた青年は、不意を突かれて大きくのけぞってしまった。
 あまりに見事な平手打ちに、痛みよりも驚きよりも、むしろ爽快さを覚えてしまう。
 ロクサーヌも驚いてぱっとその手を放した。
 自由になった青年は、改めて顔を平手打ちをした人物の正面に向ける。
 そこには、振り下ろした右手をぎゅっと握りしめた、小柄な令嬢がたたずんでいた。
 背の高い青年に平手打ちするため、つま先立ちになっていたのだろう。長いドレスの裾をぱふんと床に打ちつけると、彼女は強い光を宿す瞳でののしってきた。

自業自得じごうじとくよ。純情な女の子を侮辱ぶじょくした罰ですからね。せいぜい反省するといいわ!」

 ――なんだって? 自業自得? 侮辱? ……反省? 
 わけがわからず、つい剣呑けんのんなまなざしを相手にそそいでしまう。
 けれど令嬢は年のわりに堂々とした立ち姿で、おまけに「フン」と鼻を鳴らした。
 鼻息に合わせて亜麻色あまいろの髪がふわりと揺れる。
 青年はなぜか、その軌跡きせきを薄氷の瞳で追いかけてしまったのだった。


 ◇◆◇


 ルチア・マーネットの朝は早い。
 なにせこの家には、弟と妹が全部で五人も暮らしているのだ。
 一番下の子はまだ三歳になったばかりで、ちょっと目を離すとすぐどこかに行ってしまう。
 その子たちを叩き起こし、着替えをさせ、朝食を食べさせるだけでもかなり大変なのであった。

「ほぉら、さっさと起きなさーい!」

 鍋底を柄杓ひしゃくで叩きながら、ルチアは弟妹ていまいたちを起こしにかかる。
 狭い寝台の上で雑魚寝ざこねしていた弟妹たちは、あーうー、などとうなりながら目を覚まし始めた。

「カレン、にわとりえさをやって卵を取ってきて! マーティンは暖炉に火を入れてちょうだい。ルドルフはミレイとアーサーの着替えを手伝ってあげて!」
「はぁ~い」

 上の子たちが従順じゅうじゅんに答えて、言われたことを行動に移し始める。
 彼らが着替えをしているうちに、すでに前掛けを引っかけたルチアは残り物のスープを温め、パンを切り分け、朝食の支度したくを始めていた。
 今日れた卵は四つ。手早くオムレツを作り、全員に行き渡るように皿に盛った。
 そうして食卓にいい匂いが立ちこめる頃には、弟妹たちも朝の支度を終えて居間に集まってくる。

「マーティン、すすが手についているわ。洗ってきなさい。――こら! ルドルフったら、またつまみ食いしようとして! そういう子はスープ抜きにするわよ!」
「お姉さま、お母さまのぶんのスープは?」
「こっちに分けてあるわ。ああ、いいわよ。わたしが持っていくから。カレンは他の子たちをお願い」
「はぁ~い」

 カレンは一番上座に腰かけ、弟妹たちを大人しくさせると、朝のお祈りを始めた。
 彼らが朝食にかぶりつくのを見届けてから、ルチアはスープを持って二階へ上がる。
 奥の部屋はこのやしきの主人である、ルチアの母の私室だった。

「お母さま、おはようございます。今朝の具合はいかがかしら?」
「ああ、ルチア……。ええ、とってもよくてよ。久しぶりにあのひとの夢を見たわ」

 そっと目元をぬぐう母を見て、ルチアもたちまち切ない気持ちに駆られる。
 このマーネット家の家長であり、ルチアたちの父である男爵は、昨年馬車の事故が原因で亡くなってしまった。直後は一命を取りめたものの、治療の甲斐なく数日後に息を引きとった。
 同じ馬車に乗っていた母は命に別状はなかったものの、脚を悪くしてしまって、今は一年の大半をこの部屋にもって生活している。

「お母さま、泣かないで。お父さまだってきっと、お母さまに毎日笑って過ごしてほしいと思っているはずよ。はい、今朝のスープ」
「本当に、あなたには苦労をかけるわね、ルチア。せめて使用人を雇えるだけのお金の余裕があったのなら……」
「お母さまったら、毎日そればっかり」

 スープを手渡しながら、ルチアはからりと笑った。

「わたしのことはいいのよ。それに使用人なんか雇っていたら、アレックスが学校に行けなくなっちゃうじゃない。マーティンやルドルフやアーサーだって、きちんと学校に行かせてあげたいしね」

 アレックスというのは、寄宿制の王立学院に通っている長男の名だ。
 長女であるルチアの四つ下で、つい先日十四歳になったばかりである。
 父亡き今、このマーネット家の爵位と領地を継ぐのは彼なのだが、成人に達する前であるため、正式に男爵を名乗ることができない。
 そのため現在、領地の経営は王城から派遣された官吏かんりになっている。
 ルチアは官吏に頼んで、下の三人の弟たちも学校に行かせるにはどうすればいいのかを確認した。
 いわく、このやしきの使用人を最低限にし、生活費などもいろいろ切り詰めればなんとかなるとのことだった。そういうわけで、失った使用人のぶんまでルチアが毎日率先して働いている。
 弟妹ていまいたちもようやくしっかりしてきて、毎日食べて寝るぶんには困らない程度の生活は維持できていた。

(本当はお母さまをいいお医者にせてさしあげたいけれど……)

 さすがにそこまでの費用は捻出ねんしゅつできない。
 それなりに存在していたはずの財産も、両親の治療費や父の葬儀のために、ほとんどなくなってしまった。

「でもねルチア、あなただって、本来ならまだ女学校に通っていたはずなのよ? わたしとあのひとがこんなことになったばかりに、あなたを学びの場から引き戻すことになってしまって……」

 ルチアの脳裏のうりに、王立学院と隣り合った寄宿制の女学校の全景が浮かぶ。
 十二歳になった年から両親に不幸が訪れるまで、ルチアは良家の令嬢が多く集まる女学校で、毎日楽しく暮らしていた。
 堅苦しい規則や時代遅れな花嫁修業にうんざりすることもあったが、同じ年頃の友人たちと学んだり遊んだりしたことは、今も胸の片隅に輝かしい思い出として残っている。
 本来なら、今年の夏まではその女学校で学ぶ予定だった。
 そして卒業と同時に社交界にデビューし、将来を誓い合う殿方を見つけるつもりでいたのである。
 ――だが、今のルチアには社交界デビューなど夢のまた夢。
 ルチアはふっと微笑んで、母の肩を優しく抱きしめた。

「わたしはいいのよ。アレックスや他の子たちが幸せになってくれれば、それで充分。お母さまだってそうでしょう?」
「でもね、ルチア……」
「ほぉら、もう暗いことは言わないの! スープを飲んで。一晩おいて味がさらに染みているはずだから」

 自信作よ、と笑うと、母もようやく弱々しい笑みを浮かべた。

「ありがとうね、ルチア。あなたのおかげで、どれだけ家が助かっているか……。本当に、感謝してもしきれないわ。お父さまのぶんまで、愛していますからね」


 そんなルチアに転機が訪れたのは、それからしばらくも経たないうちだった。
 ある日、今はもう訪れる者も少ない男爵邸に、一台の馬車が入ってきた。

「ルチア! ああ、久しぶりね。他の子たちもみんな元気?」
「え、ヴィレッタっ? いったいどうしたのよ、突然じゃない!」

 出迎えたルチアは、馬車から降り立った同い年の従姉妹いとこに目を丸くした。
 レースつきの帽子をかぶったヴィレッタは、めずらしく興奮した様子でルチアに抱きついてくる。
 元気そうな従姉妹の姿に、ルチアも晴れやかな笑みを浮かべた。

「本当に久しぶり! でもどうして? 女学校の卒業式まで、あと一ヶ月はあるでしょう?」
「お姉さまの結婚式に合わせて帰ってきたのよ。それよりルチア、去年に比べてせたんじゃない?」
「そうかしら?」

 少し距離を置いたヴィレッタは、大きな瞳でまじまじとルチアを観察してくる。
 ルチアの恰好かっこうは普段通り――つまりは、動きやすいドレスに前掛けを引っかけただけのものだった。ふわふわの亜麻色あまいろの髪もおさげにして、とても貴族の令嬢とは思えぬ装いになっている。

「話には聞いていたけど……本当に、使用人みたいに暮らしているのね」
「ふふっ、これはこれで動きやすくて快適なのよ?」

 ルチアは悪戯いたずらっぽく微笑み、その場でくるりと回って見せた。
 明るいルチアの様子にほっとしてか、ヴィレッタもようやく笑みを浮かべる。

「さ、とにかく上がってよ! たいしたおもてなしはできないけど、あなたの顔を見たらきっと母も喜ぶわ」
「ええ、わたしも叔母おば様に会うのを楽しみにしてきたの。今日は叔母様の好きなケーキもあるのよ? 下の子たちも喜ぶといいけど……」
「まぁっ、『ラ・ゼレフォン』の木苺きいちごのケーキね! みんな絶対に喜ぶわ」

 王室御用達ごようたしと評判の店の紋を見つけ、ルチアははしゃいだ声を上げてしまった。
 案の定、しばらく甘味と縁のなかった弟妹ていまいたちはケーキと聞いて大喜びし、なだめるのが大変だった。
 自分とヴィレッタのぶんのケーキを切り、残りをカレンに任せたルチアは、改めて彼女に急な来訪について尋ねる。

「お姉さんの結婚式があるなら、ここにいてはいけないんじゃないの?」
「あら、そんなことはないわ。準備はもうあらかた済んでしまっているし、向こうの親族への挨拶あいさつも済ませてしまったしね」

 ヴィレッタは軽く肩をすくめる。そんな仕草も可憐かれんな彼女にはとても似合っていて、女学校仕込みのお茶の飲み方も実にさまになっていた。

「わたしが休暇に戻ってきたもうひとつの理由は、父方の親戚が主催する舞踏会ぶとうかいへ参加するためなのよ」
「舞踏会に?」

 社交シーズンの盛りはまだ一ヶ月以上先だが、早いところでは身内のみの顔合わせのようなパーティーがいくつも開かれているらしい。
 ヴィレッタが参加するのも、そのうちのひとつということだ。

「初めて顔を出す舞踏会ぶとうかいが、いきなり王宮主催のものじゃ緊張しちゃうでしょう? だからまず身内が主催する小規模なパーティーに参加して、それなりに顔見知りを作ってから、王宮へ向かうというのがセオリーなのですって」
「へぇ、そうなのね」

 ルチアが学んだ舞踏会の知識といったら、ダンスと会話術と、それに付随ふずいするマナーくらいのものだ。その他の具体的なことは、デビュー間近になってから教えられるものなのだろう。

「ほら、わたしって人見知りだし引っ込み思案じあんだから、お父様がひどく心配なさっていて。もう女学校は出ていいから、しばらくは舞踏会にいっぱい足を運びなさいって」
「それで先に帰ってきたわけね。伯父おじ様も心配性というか、根回しがいいというか……」

 あけすけなルチアの言葉に、ヴィレッタは声を立てて笑った。

「ルチアったら相変わらずだわ。そうやって思ったことをすぐ口に出して言ってしまうから、先生たちがいつも渋い顔をしていたのよね」
「その先生方のおかげで、当時はだいぶマシになっていたんだけどね。こっちに帰ってきてから、結局もとに戻っちゃったわ。なにせ育ち盛りの弟妹ていまいたちをしつけるには、ひらひらとささやくように話す、なんて意味のないことだってわかっちゃったんだもの」

 居振いふいの教師の真似をして言うと、ヴィレッタはまた小さく笑った。

「本当に、あなたもお父様のことさえなければ、わたしたちと一緒に卒業できていたはずなのに……」
「こればっかりは仕方ないことよ。さぁ、それより社交界デビューするなら、ぜひそのことをわたしの母にも報告してちょうだい。あなたのこと、もうひとりの娘みたいに可愛がっているのよ? 元気な顔を見せて安心させてあげて?」

 ヴィレッタはうなずき、ふたりは二階の母の部屋へと向かっていく。
 母も久しぶりに会うヴィレッタにとても嬉しそうな顔をして見せたが、やはり社交界デビューに関しては複雑な思いがあるようだ。
 ちらりと目を向けてくる母に、ルチアはいつもと同じ明るい笑みを浮かべる。
 華やかなドレスに身を包み、社交界へ羽ばたく従姉妹いとこが、うらやましくないと言えば嘘になる。
 だが弟妹たちのための貯蓄ちょちくを崩してまで、自分が贅沢をする理由がそこにあるとは思えなかった。


 ――だが、ルチアのそんな本心を、母もヴィレッタも見抜いていたということか。
 数日後、ルチア宛にいくつかの小包が届いた。受け取った彼女はひたすら目を丸くしてしまう。

「うわぁ、綺麗きれいなドレスだ……!」
「おいアーサー、よだれだらけの手でさわるなって。絶対高いぞ。この靴もおうぎも……」

 一番下の弟が「きゃっきゃっ」と言いながら箱に手を伸ばすのを、ルドルフがあわてて止めに入る。それでも乗り出そうとするアーサーを、マーティンがひょいと抱き上げた。
 カレンとミレイに至っては夢見るような表情で、箱からこぼれたドレスにうっとりっていた。

「いったい誰がこんなものを……」

 ルチアはあわてて添えられていたカードに目を通した。
 差出人はヴィレッタになっていたが、なんとカードに記されていたのは彼女の父、カーティス伯爵の名前だった。ルチアの母の兄である伯爵は、亡き父とも親友同士で、葬儀のときも大変世話になった内のひとりである。
 伯爵はヴィレッタからルチアの近況を聞き出すと、すぐにこのドレスを用意してくれたということだった。

『突然のことだけに、新しいものは用意できなかった。わたしの妻が着ていたものを手直しさせたので、もし気に入ったようであれば、今夜はこれを着て馬車に乗ってほしい』

 すでに馬車の手配は済んでいるとのことで、ルチアは伯爵の心遣いに胸を熱くした。

「お母さま、伯父おじ様がドレスを送ってくださったの」

 急いで母に報告に行くと、母は驚くこともなく、静かに微笑みを浮かべる。
 ルチアは瞬時にピンときた。

「もしかして、お母さまが伯父様に頼んでくださったの?」
「ヴィレッタにお願いして、手紙を届けてもらったのよ。……まぁ、素敵なドレスじゃない。ねぇルチア、せっかくなのだから、少し楽しんできたらいいわ」
「お母さま……」
「あなただって、たまには息抜きすることも必要なのよ」

 ルチアは嬉しさのあまり、不覚にも涙ぐんでしまうが、急いで口角を引き上げてうなずいた。

「あっ、でももちろん早めに帰ってくるわ。明日の朝食の支度したくがあるもの」
「そんなことは気にしないで。……と言いたいところだけど、確かにカレンひとりじゃ難しいかしらね」

 苦笑する母に笑みを返し、ルチアはわくわくしながら腕の中のドレスを抱きしめた。
 ――そうして夕刻、日が沈む時刻になって、伯爵家から迎えの馬車がやってきた。
 カレンの手を借り、贈られたドレスに着替えたルチアは、久々の盛装せいそうにどきどきしながら階段を下りる。
 玄関ホールで待っていた弟妹ていまいたちは、そんな長姉ちょうしの姿を見て感嘆のため息をついた。

「おねえさま、とってもきれい……っ!」

 妹たちがたちまち夢見るような表情になる。
 ルチアは気恥ずかしく思いながらも、ドレスの裾をつまんで軽く礼をして見せた。

「そう言ってもらえて嬉しいわ、ミレイ。馬子まごにも衣装でしょう?」
「お姉さまったら、そんなことはないわ! 本当にとっても素敵よ。お姫様みたい」

 気恥ずかしさにとぼけるルチアを、カレンが頬を紅潮こうちょうさせながら褒めちぎる。
 実際、今日のルチアはいつもの彼女とはまるで別人だった。
 質素なドレスに身を包み、髪をひっつめていた化粧っ気のない娘はもういない。
 そこにいるのはまぎれもなく、男爵家のご令嬢だった。
 亜麻色あまいろの髪はふわふわと広がり、薄く化粧をほどこした頬は薔薇ばら色に染まっている。すみれ色の瞳はいつも以上にまぶしい輝きを放って、見る者を魅了みりょうするような明るいきらめきに満ちていた。ふんわりとした薄桃色のドレスが、そこに可愛らしさを添えている。
 これまでにない長姉ちょうしの姿に弟妹ていまいたちは興奮状態だ。ルチアが仕上げに手袋と真珠の髪飾りを身につけると、言葉を尽くして「綺麗きれいだ」と褒めてくれた。
 おかげで彼女自身も、まるでおとぎ話のヒロインにでもなったような気持ちで、ついつい浮かれてしまう。
 馬車に乗り込むときには弟妹たちが全員門の前に出てきて、楽しんできてねと手を振ってくれた。
 ――あの子たちが舞踏会に憧れを持てるように、今日はうんと楽しんできて、あとでいっぱい素敵な話を聞かせてあげよう。そう決意し、ルチアは到着寸前まで手鏡を見つめ、おかしなところはないかと念入りにチェックした。
 しばらくして目的地に到着し、ルチアはどきどきしながら馬車を降りる。
 小規模と聞いていたが、一歩踏み出せば、そこは想像以上に華やかな舞踏会ぶとうかいの会場だ。
 ルチアは田舎から出てきた小娘よろしく、ぱちぱちと目をしばたたかせながら、夢の一夜に大いに胸をふくらませたのであった。


「ルチア! 久しぶりだな。元気にしていたか?」

 入り口できょろきょろしているとすぐに声がかけられ、ルチアはぱっと振り返る。

「あ、伯父おじ様! ――じゃなくて、カーティス伯爵様。本日は大変なご厚意こういたまわりまして……」

 忘れかけていたマナー教本を頭の奧から引っ張り出し、あわてて言い直したルチアは、ドレスの裾をつまんで貴婦人の礼をして見せた。
 伯爵は合格と言いたげに大きくうなずいたが、ルチアが顔を上げると驚いたように目をみはる。

「なんと。しばらく見ないうちに美しくなったな! おまえの母君の若い頃を思い出すよ」

 そうしてにこっと破顔はがんして、カーティス伯爵はルチアを胸に抱き寄せた。

「元気そうでなによりだ。それより悪かったな。おまえの母君から手紙をもらうまで、わたしとしたことが、すっかりおまえの社交界デビューのことを忘れていたよ」
「えっ、でも伯爵、わたしは……」
「デビューするつもりはなかったと言いたいんだろう? そういうわけにはいかない。おまえはわたしの妹と親友の娘なんだ。死んでしまった親友に代わり、めいの社交界デビューをわたしがになうのは当然のことさ」
「……伯父様……っ」

 思わずうるっときたルチアを、伯爵は鷹揚おうような笑顔で励ました。

「それに、おまえがそばにいてくれれば、ヴィレッタもきっと安心だろう。ここ数日、何件かの舞踏会に出席させたんだが、未だ誰とも交流を深めていないようでね。少々困っていたんだよ」
「まぁっ」


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